4章‐3

 僕はここでそんな切り出し方をされるとは全く想定しておらず、思わず眼を丸くした。

「スピアードさん、どこでそんな話を」

「仕事柄さ」

 彼の髭まみれの口元がふっと笑ったように見えた。「君がその案件に絡んでいるらしいことも小耳に挟んだ。それ以上は私も知らんが」

「それは……」

 僕は愕然とした。なんで昨日の今日で、この老人がそこまで知っているのか。秩序保障局の情報管理はざる過ぎやしないか。

「慌てなさんな、これを知るのは惣会でも指折りの数ぐらいさ。君が出会っている実務担当が漏らしたわけでもない。もっと上の者の間での話題として聞いている」

 彼は僕の動揺をあっさりと見透かしたようだった。「私が耳にしているのは、たまたまそういう立場で、そういう連中と付き合いがあったというだけ。その手の話題であれば、君が知っていて私が知らないことはあまりないだろうね。君もシラを切らねばならない立場ならもう少し演技力を磨かんとな」

 そう僕にアドバイスを告げて、彼は好々爺然とした微笑みを浮かべた。面目ない限りだった。


「……失礼ですが、こういうコソコソした案件を小耳に挟めるスピアードさんのお立場というのは?」

「私は、惣会の間じゃ“レガシー”と呼ばれている連中のひとりさ。わかるかね?」

「レガシー? いえ……」

「技術保全再生局という部局になる。旧文明のあれこれを集めて、崇めて、足らぬ足らぬと愚痴をこぼす役回りだよ。私はそこにいる少々ベテランの研究員だ」

 噛み砕いて説明されたつもりだろうが、曖昧な言い回しをされるとかえってイメージが持てない。

「ええとその、技術保全再生局レガシーの研究員というのは、つまりどういったご職務で?」と僕は更問した。

 若造の質問に、シュア氏はあまり嫌な顔をしなかった。

「もう少し具体的に言えば、有史以来連綿と続いて来た旧社会の利器や技術の数々を、いかに保存し、再生し、継承していくかを考える。ロスト・テクノロジーをひとつでも減らすことが使命だ」

「それは何とも……気の遠くなりそうなことをされているのですね」

「いやはや本当にそうだよ。文明崩壊前はひとつの富裕国の公共図書館だけで数億冊もの蔵書があった。当時は300近い国があった中の1国だけの、紙面化された情報だけでもそれだけの量がある。全てを保存するには、このお城は物理的にも記憶容量的にもあまりにも手狭だ。今この瞬間も、お城の外には有形無形の莫大な技術遺産が野ざらしにされ、風化が進行している」

「ああ、だからお城の外の話にはご関心がある、と」

「その通り。君は理解が早くて助かる」

 有り難そうにシュア氏は小さく笑った。「実際、過去の征察事業にも随分関与させてもらった。と言うより、私も征察事業を立ち上げようと運動した1人だった。紆余曲折はあったが、あの時節にあの壮大なプロジェクトを実現にこぎつけたこと自体、当時の若い我々にとっては金字塔であり僥倖であったと言える。……残念ながら、結果は望ましいものではなかったがね」

 シュア氏が征察事業の発起人のひとりだったというのは初耳だった。

 それに、征察事業のことをそんなに肯定的に、しかもノスタルジーを込めて話す人には初めて出会ったので、僕は少し驚いていた。物事にはそういう見方もあるのか、と。


「……それでは、貴方は“黒狼”の件については、どこまでご存知なのでしょう?」

「私が何を知っているかはどうでもよいさ」

 シュア氏は横に首を振った。「老婆心ながら、私は君に少し助言をしたいと思っている。ラフテルも関わっているようだから、尚のこと。今日ここで会ったのも縁だろう。よろしいか?」

 シュア氏は優しい眼と口ぶりで僕に言った。

 僕は「いいえ結構です」とも言えるわけがなく、黙って頷いた。何だか蛇に睨まれたかのような気分だった。



「スァラが――と言うより、スァラの属していた研究チームが何を研究していたかを詳しく聞いたことはあるか?」

「ええと、スァラさんたちは穢鳶えようのことを調査していたと聞いていますが」

「具体的には?」

「何だったかな……」

 思い出すために頭を抱えてみたが、さっぱり覚えていなかった。

 本人から説明を受けた記憶自体はある。だが恥ずかしい話、当時の僕の意識はスァラが話す内容ではなくて、スァラと話していることそのものに向いていたのだろう。

「――では、私から伝えておこう。彼女らのチームが調べていたのは穢鳶えようの生態研究。征察事業は、単に無謀な開拓事業でしかなかったと巷では言われるが、文明崩壊後に初めて大々的な穢鳶えようの実態調査が叶ったことは隠れた功績と言っていい」

「生態研究ですか。しかし、穢鳶えようと言うのは気ままに、特段の規則性もなく浮遊しているように見えますが」

 昔、どこかでゼリーフィッシュという生物の映像を見たことがあったけれど、何を考えているやらわからずフヨフヨと漂う様が穢鳶えように似ていると感じた。あんなものではないのだろうか。

「君たち運び屋は日常的に穢鳶えようを見ているから、そう感じるのかもな。――しかし、“そうではない”というのが、スァラたち研究チームの達していた結論だ」

「“そうではない”……、」

 まさかという思いで、僕は自分の記憶の中の穢鳶えようを改めて思い返した。「では、穢鳶えようの行動には一定の規則性が存在するのだ、と?」

穢鳶えよう一般に見られる性質ではないが、スァラたちのチームは、穢鳶えようの中に行動特性が異なる個体が観察されることを突き止めていた。大多数の穢鳶えようは無目的に徘徊しているように見える。ただ、稀に戦術的な狩猟行動を見せるがいるのだと。それは数次の征察事業を通じて複数回観測されていた事象だった」

「戦術的な狩猟行動……」

「例えば、待ち伏せしたり、獲物が眼前にいてもすぐには襲わず、敢えてこちらを泳がせるような真似をしたり。――どうだ、君の現場でそういう節を感じたことは?」

「どうでしょうね。僕らは穢鳶えようを見かければ速やかに逃げ隠れするもので、実はあまり観察したことはないですが。……いや、待てよ」


 穢鳶えよう狩りを楽しむアウトローな運び屋連中がそんな話をしていたことがあった。

 穢鳶えようは大体が阿呆だが、時々妙に小賢しい奴がいるのだ、と。狩る時はそいつ以外を狙うんだ、と。

 例えば、スァラ・スピアードと僕を襲ったあの時の穢鳶えようも。すぐにこちらを襲えばよいものを、焔脈の前でじっと待ち伏せたりと奇妙な行動をしていた。というのが、ああいった行動を示すのだとしたら――。


「……私にも思い当たるケースがあるかも知れません。ただ、その個体にしても外見上変わったところはありませんでした。その研究の中身を知らないのですが、単にそういう性格の個体もいる、で済んでしまう話なのでは?」

「それがな、彼女らが観測していた事実がもうひとつある。そういった特殊個体が出現した時、周辺KD値の著しい低下が観測された、と。その特殊な穢鳶えよう個体が出現した時、周囲には他の穢鳶えようが寄りつかなくなっていた」


 シュア氏の語ること、スァラたちがかつて追いかけていたこと、僕の中の記憶。その3つが有機的にリンクするのを僕は感じた。

 5年前のあの時も、確かにそうだった。

 僕らはたった1体の穢鳶えように壊滅させられた。

 たった1体の――。


「……ということは、つまりその特殊個体は穢鳶えようの群体の中にあって、恐らく周辺の他の個体行動にも影響を及ぼす、何らかの特別性を有している。――そういう仮説でしょうか?」

「そういうことだ」

 シュア氏は深く頷いた。「君はなかなか利発だ、運び屋よりも惣会に勤めた方が向いているかも知れない」

「さぁ、それはどうでしょう」


「……ただし、征察事業を通じて確認されたサンプル数はほんの数例に過ぎない。それが考慮に値しない特異事例なのか、それとも一般化が可能なのかについては充分な検証が得られていないのだ。運悪くスァラもろとも調査チームも全滅し、征察事業も打ち切られ、その後の追加調査は今日までお蔵入りとなっていると聞いている」

 シュア氏は眼を閉じ、嘆息した。「だから君もラフテルも、そういう奇妙な個体がいることには留意して、充分用心してほしい」

「貴重なお話をありがとうございます」

 僕はまずはお礼を述べたが、一方で疑問も感じていた。「……しかし、そうしたお話を僕に伝えるのはどういう理由でしょう?」

「理由? 君とラフテルの身を案じているから、では不足かね?」

「不足というわけでは……ただ、『気をつけろ』という以上の意図があるような気がしたものですから」

 シュア氏は僕の顔をじっと見つめた。見かけ上微笑んではいるが、単純に親心からの笑みだろうか。

「――君に問い掛けておきたいことがある」

 シュア氏は僕の質問には答えず、眼を細めながら言った。「穢鳶えようたちは、果たして本当に我々ヒトを食べているのだろうか、ということだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます