第3章 “黒狼”

3章-1

 彼女との真面目な打ち合わせは、決まって5階の端っこの酒場という不真面目な場所で行われる。

「信じられんことに、『お前の代わりならいくらでもいる』などと言って若者の尻を叩いていた時代があったんだよ。割と最近までな」

 場末の酒場の末席でふんぞり返り、鼻奥を刺すような高度数の蒸留酒を食らいながら、ハルドウォール征察官は僕に水を向けた。背中のチャックを開けば毛むくじゃらの中年男性が入っているに違いない、と思えるほどの豪放さ。「笑っちまうね。曽祖父母が子供の時分にはしめて80億人はいたものが、みるみる減ってあと1万人そこらになったという時代なのにさ」

「まぁでも、80億人も生きていた時代の言葉なんだとしたら理解はできますよ。言われていい気分になることではないでしょうが」

 あいにく僕は彼女の言うような言葉をあまり耳にした記憶はなかったので、何とも反応に困る話だと思いながら聞いていた。お堅い官僚組織に属する彼女にとっては、こうして下層の端っこの人目につかない場所でアルコール飲料をインプットし、不平不満を吐き出すポーズも必要なのだろう――と、もし隣の彼女に思考が盗聴されていたらゲンコツが飛んで来そうなことをぷかぷか考える。

 とは言え、80億というのは確かに凄まじい数ではある。今のお城の中のゴキブリやネズミをもれなく数えたってそれほどの数はいないのではないだろうか。

「……ええと、それはつまり、あれですか。託導士ナビゲイターの人手が足りない、という話ですか?」

「ああ、そうだ」

 この人は何が言いたいのだろうか、と考えた末の一言が無事的中したので、僕はほっとした。

「ま、もうお前とは何度も話している通り、最後は惣会征察局われわれが悪いというオチにしかならんが」と彼女は頷く。

 同業なら誰でも知っている一般論を、ハルドウォール征察官がわざわざ切り出した意味を考えながら、僕は彼女を始めとするこれまでの上司や先輩からうんざりするほど聞かされた僕らの歴史を思い返した。



 僕らの「運び屋」という自称を、惣会の言葉で翻訳すると『託導士ナビゲイター』と言う。嚮導を託される――ずいぶんおおげさな名称だと、現場の運び屋連中は誰もが毛嫌いしている呼び名だ。

 惣会はプロパガンダとしてこう喧伝する――託導士ナビゲイターは焔術という技芸を駆使し、危険を顧みず城外に飛び出して仕事をこなす。物資を運び、兵士を運び、必要とあらば自ら即応戦力として現場に急行する。かつて陸海空のあらゆる軍隊がなす術なく敗れ去った穢鳶えように、その身ひとつで立ち向かう。彼らこそ起死回生の騎士である、と。

――かくして、その実態を僕は知っている。城内の人たちに比べて、僕らの平均寿命はおよそ3分の2程度。どんどん数も減り、生き残りはもう200人もいるかどうか。

 それでも君たちは焔術を使って穢鳶えようをぶち殺せるのだろう? と期待を抱かれる方には大変申し訳ないが、正直言って僕らがぶち殺されることの方がずっと多い。何なら「蟷螂の斧」と言ってもいいし「鎧袖一触」と言ってもいいが、ぶち殺せると思ったらぶち殺される、そんな絵面を現に僕は何度も見てきている。


 元々、焔術を使っての城外探索は、ごく一部の下層民に細々と伝播していた営みに過ぎない。それらの人々は危険を承知でお城の外に飛び出し、旧文明の物品を持ち帰っては日銭に変えていた。つまり焔術の発祥は、学術的追求の賜物や惣会主導の極秘プロジェクトの産物といったかっこいい由来ではなく、下層民が日々の糧を得るためのスリリングなルーチンワークの中で編み出された技芸なのだ。

――ここで、“お城の中にいれば安全なものを、敢えてお城の外に出ざるを得なかった”人々とは、どういうものかを想像してみてほしい。運び屋に、気取りたがりの連中があまりいないのは、そういうことだ。惣会がわざわざ託導士ナビゲイターなんて立派な名前をつけたのも、そういうことだ。うちのラフテルのようなご令嬢にいい顔をしない連中がいるのも、そういうことだ。

 そうやって貧困という地盤から草の根のように起こり始めた焔術が、惣会上層部の目に留まったのは比較的最近になってからだった。当初、惣会の連中は「何やら小器用な貧乏人がいるらしい」という程度の認識しか持たなかったという。

 やがて、その「小器用な貧乏人」たちは、穢鳶えように遭遇しても逃げ切れる(いざとなれば抵抗もできる)ほどその技術を確立させていく。そこで、その焔術を売りにして、さらに商売の手を広げようと考えた。お城の中・上階層の人間に対して、城外の宝探しに案内することを提案し始めたのだ。そこまで行けば、「小器用な貧乏人」たちの存在は惣会上層部にも知られるところとなる。

 折しも、お城での自給自足体制には限界が見え始めた頃合いであり、惣会内部では城外に遺棄されたままのインフラやプラントを再確保・再稼働していく戦略方針が真剣に検討されていた。その戦略を実行する上で、最大のハードルとして立ち塞がったのが、城外を跋扈する穢鳶えようへの対策をどうするかという点であった。


 こうして、黎明期の焔術使いと惣会の間で利害がぴたりと一致した。焔術使いは稼ぎを安定させて生活を確立させたかったし、惣会は穢鳶えように対抗する手段として焔術に目をつけた。

 けれど、お互い不幸なボタンの掛け違いが生じたのも、その時点からだと言われている。


 惣会に目をつけられた焔術使いはこう主張した。「焔術は決して穢鳶えようの殺傷を主眼とした戦闘技術ではない。焔術が真に優れているのは、高い隠密性と機動力を持つ高速水平移動能力なのだ」と。しかし、惣会上層部が真に期待したのは「穢鳶えように打撃を与えることもでき得る」という、主にその一点のみだったのだ。

 そうしたボタンの掛け違いは、草の根の「小器用な貧乏人」――もとい焔術使いたちに『託導士ナビゲイター』という新たな名称と社会的認知をもたらすことには奏功した。惣会としては、彼らを救世主のように、公的に祭り上げておく必要があったのだ。

 そこで終われば良かったのだが、続いて惣会は焔術使いたちを本当の救世主のように扱おうとした。具体的には、大々的な城外探索事業が打ち出され、そこに多数の託導士ナビゲイターが動員されたのだ。けれど、彼ら彼女らのほとんどは軍事教練も戦闘技術もまともに叩き込まれたことがなく、兵士としては完全にアマチュア。さらに彼らを率いる指揮官も大概がアマチュア連中だった。そんな滅茶苦茶な事態を招いた元凶は、惣会内部の政治的対立だとされている。全く、救いのない話という他ない。

 そういう有様の部隊に連戦連勝を期待するのはどだい無理な話だ。そうして、数多の焔術使いが命を散らしていった。



――以上が、今日における託導士ナビゲイター不足問題の沿革だ。ただ、この話はあくまで焔術使い側からの見方であって、惣会や第3者の立場から見ればまた異なる物語があるのだろう、という点は付け加えておきたい。

 そして、僕の隣に座るリザ・ハルドウォール女史は、かつて“征察事業”と称して無謀な大規模城外探索・開拓事業を繰り返した悪名名高き当事局――惣会征察局の官僚のひとり。もっとも、ハルドウォール征察官が惣会に転身したのは最後に行われた征察事業の後だったため、過去の無謀な征察事業に対して責任を負っているわけではない。今の立場こそ違えど、彼女はむしろ「惣会征察局 被害者の会」の中核会員でもおかしくない人だ(そんな会が本当にあるなら僕も入りたいぐらいだが)。


「ま、別に歴史や時事問題はどうでもいい。惣会征察局の立場としては、人手不足と言う時には2つの意味がある」

 ハルドウォール征察官は片手でピースサインを作り、その指を折りながら説明した。「ひとつは、純粋に焔術使いの人口が足りないということ。もうひとつは、我々征察局の案件を堂々と拒否する連中が増えてしまったということ。前者は今に始まったことじゃないが、最近我々として頭を抱えているのは後者で……まぁ、それだって過去の無謀な征察事業で信用を失った、そのツケでしかないのだけど」

「有り体に言って、惣会に協力しようという運び屋はそう多くないですからね」

 僕は率直な意見を口にした。それはハルドウォール征察官と酒盛りをする時の作法みたいなものだった。彼女と話している時、ごにょごにょとハッキリしない態度を見せるのが一番怒られるのだ。「ま、僕の記憶では、ハルドウォール征察官自身もそうだったと思いますが」

 現に、彼女は惣会の悪口を言うためだけに転職したのかと思えてしまうほど鬱屈を溜め込んでいる。

「純粋な好き嫌いだけでそうしていたわけじゃないさ。私が運び屋だった時分はある程度仕事を選ぶ余裕があったからな。今の君はそういう状況ではないかもしれないが」

「どちらかと言うと、逆に惣会と癒着することで他との差別化を図ろうとしています」

「差別化にはなるだろうが、それじゃ儲からんだろ」

「まぁ、僕は逆張りが性に合ってるんです。天邪鬼なのかも」

「そうかい。人生の先輩として忠告しとくが、お前はギャンブルにだけは手を出さない方がいい。絶望的に向いてない」

 ハルドウォール征察官は面白そうに笑った。それは彼女が僕の上司だった頃によく見せていた表情だったな、と思った。

 しかし、彼女の笑みはあまり続かず、はぁと嘆息してから言葉を紡いだ。「とは言え、残念ながら我々の話を聞いてくれる託導士ナビゲイターも限られている。惣会征察局われわれだってアウトソーシングなくしては成立し得ないんだ。だから、君のように協力的で、多少の無理を聞いてくれる存在は、個人的にとてもありがたいよ」

 僕は思わず表情を引き締めた。事前相談の時点で「多少の無理」と言われるなら、相当無理を強いられそうな予感がしたから。

「ま、多少の無理でも仕方ないですね。僕はハルドウォールさんには恩義があるし。どんなお仕事でも楽なんてことはないでしょうから」

「私もあんまり君に甘えるべきでないことは承知しているよ。それは征察局としてもだ」

 ハルドウォール征察官は遠くを見つめながら言った。「結局文明が崩れたって構造は変わらない。ガヴァメントを支えるのは膨大な名もなき代理人エージェントたちだ。かつての私や、今の君のようなね。経理屋のごまかしのように予算と帳簿の目先を変えるため、コストと汚れ仕事を外部に外部にパージし続けるからくり。――私は最近思うんだ、そういう主体性と実感の際限なき転嫁と外注化の果てに、我々惣会は最後に何を感じるようになるんだろうか、とね」

「難しいことを考えるんですね、」

 僕はため息と共に言った。「僕らも、もはや土で育てた生野菜を食べることはありません。確かに昆虫由来の代用バーの味には不満だし、生命を頂く実感にも欠けていて情操教育としてはどうかと思いますが、それでも身体は元気です。それと同じ、合理的な役割分担ということではないですか」

「そう、問題はない、このまま何も起こらない分には。けれど、惣会は現に多数のインフォーマルなサテライト組織や個人にその本質的な機能を依存しつつある。運び屋が減少していることが好例だが、そういうインフォーマルな組織が消滅していく時、惣会になおも残されている機能と知見、そして感覚とは一体何なのか。私が考えるのはそういうことだよ。――ま、私は啓蒙的な何かが言える立場じゃないが」

 ハルドウォール征察官は静かにそう言って、グラスから次の一口を口に運んだ。

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