第1章 岩場にて

1章ー1

 僕の仕事は、この世界の歪みを見つけることから始まる。

 僕がここで言う“歪み”を見つけるには、少しばかりコツがいる。そのコツを使って見つけた歪みに、僕らは飛び込んで移動したり、そこを介して「誰か」や「何か」をどこかへ連れていったりする。


 言ってしまえば、僕の仕事は運び屋だ。運び屋と言えば、文明崩壊前の旧社会においては街から街へ、港から港へ、建物から建物へ飛び交う渡り鳥のようなイメージがついているようだけど、その時代に見られた「交通」「人流」「物流」の概念がすっかり消滅している今日では、せいぜい「お城」から飛び出して、また「お城」に帰ってくるまでガイドやエスコートを引き受ける、という程度が運び屋の内情だ。


 その「お城」というのは、今この眼前に広がる荒んだ砂漠の地平を超えた先にあって、今や約1万人にやや満たない程度になった僕ら人類は、皆例外なくその中で暮らしている。それは鋼鉄でできた4つ足の巨大な陸亀のような建造物で、元々は旧社会の有力勢力の軍部が建造した、歩行する巨大軍事要塞だったという話だ。かつての暴力装置がその威信を賭けた抑止力のシンボルが、今や我々に残された最後の箱舟というのだから、何とも皮肉なものだと思う。

 そのお城の外には四方八方砂漠が広がっていて、危険・汚い・空虚の3K。そこら中に穢鳶えようがうようよいて、見つかればたちどころに襲ってくる。そういう無味乾燥なフィールドに敢えて飛び出し、運び屋の仕事を繰り返すのが僕の日常。誰にでもできるような――と言うより、誰もがやりたがることではないから、これが職業として成立している。



 今、その“歪み”――僕らの界隈では“澪”と呼んでいる――が、僕のいる砂漠の岩山にある横穴から30歩先のところに見えている。僕はそのまま居眠りしない程度の必要最低限の集中力を保ちながら、その“澪”を眺めていた。それはガスの火のようにほんのりと薄く青みを帯びて、蜃気楼を切り取って目線の高さぐらいの虚空にピン留めしたみたいにふらふらとくゆっている。

 こうやって、今そこにある「“澪”がきちんと探知できる」というのも含めて、僕ら運び屋は「焔術」と呼ばれる技芸を使う。あの“澪”が青白い火のように見えるのは焔素という独特の粒子のせい。その焔素という粒子を知覚したり、身体や物体に装着させる術が「焔術」で、これがなければ城外に飛び出すのは自殺行為に等しい。


 焔素とは何なのか。それは僕も感覚的にしかわかっていない。本来、僕らのいる次元とは異なる場所に存在している粒子で、あたかも海や河川のようにある程度の塊や筋となって絶えず流動している。

 この焔素の海や河川が、総じて“焔脈”と呼ばれるものだ。そして、こちらの次元にたまたま顕在化した焔脈との結節点のことを“澪”と呼んでいる。だから、冒頭に僕が「世界の歪み」と言ったのはまさしくその通りの意味だ。

 まとめると、僕ら運び屋は、“澪”を出入口にしながら、“焔脈”の中を高速で移動する“焔術”を使うということ。その焔脈の出現は、あの穢鳶えようなる化物の出現とほとんど軌を一にしていることがわかっている。それはともかく、焔脈の中に潜ってしまえば、穢鳶えように気づかれることもなく、安心安全に野外を移動できるというわけだ。ある意味、かつての船乗りや飛行機の操縦士と、職業的な位置づけや役割としては近いと言えるかもしれない。



 さて、この退屈な景色をこんなにも律儀に眺めているのは、同僚との待ち合わせがあるからだ。あそこの“澪”から物資と共に同僚が現れる手はずになっていたのだけれど、その彼はなぜか20分ほど遅刻している。

 さすがに焦れてきた頃合いになった時、ふとゆらゆらしていた“澪”がキラリと青みを増したかと思うと、瞬く間に巨大なバッグを背負った若くてがたいのいい男がそこから飛び出した。

 着地と同時に砂がぱっと舞ってその衝撃を吸収する。巨大なバッグのせいで尻もちをついたものの、再び立ち上がった男は顔――といっても、その頭部から額は麻の布をぐるぐるに巻き、顔の上半分はゴーグルに、下半分は装甲のようなごつい防塵マスクに覆われている――をこちらに向けて、カンカンの日照りの中を約30歩歩いて僕と同じ横穴に入ってきた。

 

「遅れたな、イェルバ。悪い」と彼は岩陰に入るなり防塵マスクを外し、さして悪びれもせずに言った。

「全く、こっちは23分の残業だ。干上がるかと思ったぜ」

 僕が軽口を叩くと、彼もやはり笑いながら目を丸めて言った。

「この野郎、俺の心配をしろよ」

「うるせえ、死ね」

 もちろん冗談だ、死なれると困る。彼に肩をどつかれながらも、僕は水筒を差し出した。彼は有り難そうに受け取ると、喉を鳴らしながら水分を補給。

 それから彼は適当なスペースにバッグを下ろし、汗を散らしながら幾重にもまとった衣服を次々と脱いでいった。酷暑の砂漠の中でやせ我慢のような厚着だが、これぐらい着込まなければ焔脈の中を移動する際に“焔焼け”と呼ばれる炎症反応で痛い目を見ることになる。それに、砂漠というのは夜になれば暴力的に冷える場所でもある。

 この浅黒い肌の大男の名はサリングと言う。同業者であると共に、なおかつ僕のことを〈シンカー〉などと言う仕事名ではなく、「イェルバ」と名前で呼ぶ。つまり僕にとって同業かつ友人という2つを満たすとても希少な人間だ。年も同じ23歳、ただし湿っぽさのないさっぱりとした性格は僕とは対照的。

 彼は礼とともに軽くなった水筒をこちらに返すと、最後に頭にぐるぐる巻いていた布をはぎ取った。すっきりきれいなスキンヘッドが現れた。


 最終的に彼はたっぷり土埃の染みたタンクトップとカーゴパンツだけの砂漠らしい軽装になって、僕の向かいにある腰掛けにおあつらえ向きの岩に腰を下ろし、一息ついた。

「何か、もたつくようなことでもあったのか?」

 僕は23分の遅刻の訳を尋ねた。責めているわけではなく、何かあったのか純粋に気になったので世話話のトーンで話を振った。

「露メシの調達が、ちょっとな。今朝ファクトリーの緊急停止があったんだ」と彼は応じた。

 露天糧食――俗称「露メシ」は、城外探索者に対して城外活動の予定日数に応じて出発時に支給される。中身はカロリーバーであったり乾パンであったり。親切な社会サービスだと思われる向きもあるかもしれないが、危険地帯に出ていく者に数日分のメシだけ渡して「後はご自由に」ということでもあり、手切れ金ならぬ手切れメシだというのが僕らの感想だ。今や公共は都度手切れ金を捻出するほど財布が大きくないし、僕らも死んだら紙屑の紙幣よりも腹を満たすものをもらえる方がありがたい。とは言え、多くの運び屋にとって人生最後の食事がこの露メシになるのだとすれば、残念ながら愚痴のひとつも言いたくなるような味ではあった。


 それはともかくサリングの話をまとめると、昨日発生した砂嵐のせいでお城の一部機能が不具合を起こし、その露天糧食も含めて製造・保管している食料ファクトリーの復旧にも時間がかかり、配給待ちをしていたせいで遅刻した、という経緯のようだ。


「お城も相当ガタが来ているようだな」

 サリングは不満げに口を尖らせた。「まぁ、建造してまもなく200歳だったか、よく保ってる方なのかもしらんが」

 それは僕も同感だった。

「砂嵐なんて日常茶飯事だろうに、都度そんな不具合が起こるようじゃな」

 砂嵐の度に技術者たちが血眼で対応していることは承知している。しかし、一時的とは言え城内の胃袋を支える食料ファクトリーの停止は一大事だ。頑張っているんだから、で看過できる次元の問題ではない。


「……にしても、露天糧食が足りなくなるなんてな。備蓄だってあるだろう?」

「これが惣会案件ならさっさと備蓄分を充ててもらえたさ」

 当然だろう、と言わんばかりにサリングは鼻を鳴らした。「だが、今回俺たちは惣会を介さずに直請けでやっている。惣会案件よりも利率はいい分、こういうケースでは保障が利かずに後回しにされるらしい」

 今のお城にも統治機構があって、それが“惣会そうかい”と呼ばれる機関。正々堂々と城外活動を行うなら、その惣会から案件の委託を受けて行うことになる。でも、必ずそうしなければお城を出してもらえないというわけでもなく、依頼主と直接契約を結んで城外活動を行うことも一応認められている。今回の僕らの案件は後者に該当していた。

「惣会に奉献しなければ、そんな緊急時でも後回し、か」

 僕は皮肉のつもりで呟いた。確かに惣会の言い分も理解はできるけれど、いやらしいことをするもんだと思う。

「それに、ファクトリーの臨時停止と聞いて自分らの露メシを先取りしに来た連中も多かったからな」

 サリングも口元をややしかめた。「だけど、俺たちも大人2人が2泊するんだ、手ぶらでお城を出てくるわけにもいかねぇだろ。その辺の調整に時間がかかったってことだ。ま、遅れてすまないが当初の所定分はしっかりもらってきたから、そこは安心してくれ」

「へぇ、勉強になるよ」

 僕個人に関しては、普段はほとんど惣会案件だけを遂行する。サリングがされた対応は当然初めて知るものなので、頭の片隅に留めておこうと思った。

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