序ー2

 対処フローを考える。

 まずはこの戦場からの退避ポイント、“焔脈”を探知する――つまり“装知”を行う。それから、その探知した焔脈のポイントを通じての退避――つまり“装行”を行う。その間、決して穢鳶えように追いつかれてはならない。抵抗するという選択肢を選ぶにせよ、まずは焔脈の傍に駆けつけることが先だ。焔脈から離隔した状態で「焔術」を使うことはできない。


“装知”も“装行”も、もはや身体が方法を熟知している。僕はそうした「焔術」の技能を有するからこそ、焔術使いの一員としてこの戦場に駆り出されている。

 既に思考の出る幕はない。

 目を開いて、ただ世界の歪みを探知しさえすればよい。


 ほどなくして、焔脈はこの近辺に2つあると知覚された。

 うち1つはあの穢鳶えようのすぐ背後にある。一般的に奴らは焔脈を忌避するはずだが、あの穢鳶えようはどういうわけか立ち塞がるようにその周辺に留まっていた。ともあれ、数十もの遺体がその周辺に集中しているのは、あのポイントこそが本来僕らの確保すべき地点であり、脱出口だったからだ。けれど、今やそちらは選択肢としては有り得ない。


 もう1つの焔脈は、穢鳶えようを背にして逃げる僕らのちょうど前方約100歩の場所に見えた。煉獄の中で光が差すような想いさえする好位置だ。

「焔脈……焔脈を発見した」

 喉奥で淡か、血がへばりついていて、蚊の鳴くような声しか出ない。僕の肩を抱いて引っ張る彼女の耳にほとんど唇をつけるようにして必死で囁いた。「前方、約100歩先の距離、このまま、直進……」

「ああ、わかった!」

 彼女は希望を取り戻したかのように叫んで、僕の肩を改めて強引なぐらい引っ張った。「しっかり足に力入れて! 捨てていくぞ!」

 年齢相応の高い声で叱咤を受け、僕もさらに足を踏ん張らせるが、まるで悪夢の中で逃げ惑っているように足は動いてくれない。

「だ、だめだ、走れない、追いつかれる」

 僕は必死で叫んだ。僕に構えば君もろとも共倒れになる、そんな迷惑はかけられないと思ったから。しかし、彼女は僕の肩をますます強く引き寄せながら、怒鳴り返した。

「しゃきっとして! 私だってこんなところで死ねない」

「じゃあ、僕を置いて……」

 刹那、彼女が上手投げのように僕を目いっぱい地面に投げ捨てた。咄嗟のことに全く反応できず僕の身体はきれいに前転し、視界が回るのが止まったと思ったら尻餅をついて彼女を見上げていた。彼女は両肩で息をつきながら、それ以上に震える声で僕目掛けて叫んだ。

「生きたくないなら置いていく。どうしたい、3秒で答えて!」

 身体の芯に叩き込まれるような“喝”だった。

 僕は1、2秒ほど考えて、口で答える代わりに立ち上がり、再び走ることを決意した。それでも足がよろめくのを、彼女が後ろから支えるように肩を抱いてくれて、再び二人三脚が組み上がる。


 なんで僕にそこまで――と思ったが、ともかく彼女には僕を見捨てる腹積もりはないようだった。なるほど、彼女の立場にしてみれば、腹を括って助けようとした相手に「僕を置いて……」などとウジウジされるのが癪に障ったのだろう。


 それに、僕が彼女を運ばなければ、誰が彼女を運べるというのだ。恥ずかしながら、それを失念していた。

 僕も踏ん切りがついた。職務放棄は、情けないよりも我慢がならない。



 しかし、僕らに残された猶予はほんの20秒、いや10秒あるかというところ。一歩、また一歩と歩数を稼ぐ。ひきずる痛みも、関節の悲鳴も、全てを後ろへ切り離すように。


 そして、ここに来てずっと背後で滞空していた穢鳶えようも、僕らの狙いに気づいたらしい。一度振り返ると、こちらに向かって滑空を開始する様子が見えた。ヒトの全速力よりもよほど速い。負傷を押して必死に稼いだ距離が、無情なほどに急速に詰められていく。

 背後から迫りくる気配に気圧されながら、退避ポイント・焔脈も眼前に迫っていた。穢鳶えようが先に僕らに追いつくか、僕らが先に焔脈に飛び込むかは、ほとんど五分五分。


「焔中渡航の用意を!」


 僕は叫んで、彼女はそれを思い出したようだ。

 外套のフードを目深に被り、分厚いマスクとゴーグルで口元を覆い、さらに両腕の露出を隠すように袖口を伸ばす。焔脈の中へ飛び込む際には、防焔処理の施された装具により肌の露出を防ぐ必要がある。僕も足の回転を落とさずに手早く用意を行ったが、右袖が破れていてどうしても肘から先が剥き出しにならざるを得ない。僕は“焔焼け”を覚悟した。恐らく激痛に苛まれるだろうが、四の五の言ってはいられない。

 身支度の完了とほぼ同時に、僕たちは頭から飛び込むように、渾身の力で荒野を蹴って、宙に身を投げ出した。


       *


 それが、今から5年前。彼女との最後の記憶。

 最後まで妹の身を案じて、全身全霊をかけて生還しようとしていた彼女。

 それなのに、僕のことを救おうとしてくれた彼女。

 あの時、同時に焔脈に飛び込んだはずの僕らだけど、気づいた時には彼女は消えていた。


 この作戦での大失敗をもって、「お城」は外征事業そのものを見直し始める。

 打って出ることを許されなくなった人類は、展望なき持久路線を選択。

 誰もが人類の緩やかな壊死を意識しながらも、口には出せない時間が続く。


 いつか彼女の骸だけでも取り戻したい。

 僕はその一心でお城を飛び出す仕事を続けて、5年が経った。


 彼女の行方は、今もなお、わかっていない。


        *

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます