#63 彼女がネカマのギルドマスターに寝取られていた
「……浅田あさだ健三けんぞうが答えか、意外と単純な漢字だったな」
フィロソフィ逮捕のニュースが流れたのはその翌日のことだった。売春といった性関係の事件は割と流されがちなのだが、VRゲームを使った事件は初という事もあってか大々的に取り上げられている。こんなアホな事件なのに、アナウンサーの女性が大袈裟なくらい真剣な口調で文章を読み上げてくれるのだから片腹痛くてたまらなかった。
テレビ画面には俺がラブホ前で撮ったのと同一人物の汚らわしい中年の男が映っている。そんなフィロソフィ、改め、健三を見ながら食べるご飯は最高に美味しかった。いつもはおかわりなんかしないっていうのに、3杯は余裕で平らげてしまっている。これが俗に言う飯ウマってやつなのか。
俺が昨日話していた人物が逮捕されてこうして全国ネットで流れているというのはなかなか感慨深い。俺が行動を起こさなければ健三は逮捕されることもなく、あのまま平穏に暮らしていけたのだろうか。そう考えると俺の行動が浅田一家の人生を大きく左右させてしまったとも言えるだろう。
あの後、健三はどのような体験をしたのだろう……きっと俺には予想もつかない修羅場があったに違いない。その時の健三は何を考え、何を想っていたのか。俺には知る由もなかった。
≪帝都アルケディア≫
食事を終えた俺はそのままDOMにログインする。昨日あれだけ賑わっていた広場も今では閑散としている。まさに祭りの後って感じだ。
俺たちがもたらした勝利はDOM界隈を一層盛り上げた。匿名掲示板から始まりSNSまで、動画投稿サイトでもフィロソフィ関連の動画が羅列している。何と言ってもDOM内でも知名度の高いプレイヤーが犯罪者にまで成り下がったのだ。退屈しているプレイヤー達にとってこれほど面白い出来事は無いだろう。DOMの運営からすれば、VRMMOの印象を悪くされたのだから腹を立てていてもおかしくはない。
「うお、なんじゃこれは」
俺もちょっとした有名人になってしまっていて、ログインした時点でフレンド申請が100件以上届いている。話題の人とフレンドになることで優越感を得たいのかね。そこらへんの気持ちがイマイチよく分からない俺は返事をするのも面倒なのでそのまま放置しておく。
ちょうどフレンドリストが目に入ったので覗いてみると、4人しか居ないフレンドの中でユリアだけがログインしていた。
『こんにちは、シエルさん。昨日はよく眠れましたか?』
『それはもうぐっすりと眠れたよ。こんなにも素晴らしい夜は初めてだったね』
なんて言ったけど、そんなの嘘っぱちである。昨夜は輾転反側し、全く寝付けなかった。今も頭がグラグラとするし、あくびが止まらない。
俺にはまだするべきことが残っている。昨日はギルド戦の後ということもあって機会を逃してしまったが、今日こそはちゃんと説明しなければならない。これが俺に残された最後の義務なのだから。
『今大丈夫か? ちょっと話したいことがあるんだ』
本当ならもちこ、モフモフの3人が揃ってから話せば1回で済むのだけど、今はそんな効率を求めるような場面ではない。それにユリアとは付き合いも長いしなんだかんだ言って、いつも俺の側に居てくれて力になろうとしてくれた。だから最初に話すのは当然のことだよね。
『大丈夫ですよ。私も話したいことがあったので』
≪シエルの家≫
そんなわけでユリアには俺の家に来てもらうことにした。思えばこうして2人きりになるっていうのも久しぶりな気がする。うわ、なんだか緊張するなあ。
義務、なんてカッコいい言葉を使ってみたけど、実際のところ俺は怖かった。真実を話せば今まで通りの生活が送れなくなるかもしれない、3人が離れていってしまうかもしれない。そんな不安が亡霊のようにつきまとい、眠たい俺の頭を悩ませている。
俺は復讐という目的の為に今まで突っ走ってきた。それこそ馬の鼻先に人参をぶら下げて闇雲に動き回ってきた感じだ。その人参を食べきってしまった今、気が付けばとても遠い場所まで来ていたんだ。これから何を目指していけばいいのか分からない。ここが何処なのか分からない。ここで一人になるのが怖いんだ。
それでも俺は話すよ。俺を信じてついて来てくれたユリアの為に。巻き込んでしまった俺の責任でもあるし、ユリアも嫌な思いをしただろう。俺が全てを話して嫌われたとしても、それは仕方のないことなんだ。例えそれがパンドラの箱でも開けなければならない、それで俺が不幸になろうとも文句を言う権利なんてないんだ。これは俺の贖罪なんだ。
そんなことを考えている俺の目の前にはユリアが居る。緊張で胸がバクバクいっているけど、ここまで来たら言うしかない。
「話っていうのは、ユリアが前に聞きたがっていた俺の過去のこと、そして、フィロソフィと敵対した理由についての話なんだ。長くなると思うけど聞いてほしい」
そう前置きしてから俺は話し始める。心穏やかではなかったけど、思いのほかいつも通りの自分を演じられていると思う。そのいつも通りの俺で話していく。
最初は1年前のこと、中学3年の時にDOMを購入してスカイというアカウントで始めたこと。どんな気持ちでDOMを始めたのか、サービス開始当初はどんな様子だったのか。
シエルのアカウントが2アカ目ということを話したらユリアは驚いた様子だったけど、軽蔑することもなく、熱心に俺の話を聞いてくれた。
アリサというプレイヤーに出会い、恋人関係になったこと。俺が楽しかった思い出を話せば、楽しそうに笑ってくれるし、悲しかった思い出を話せば自分のことのように悲しい表情をしてくれる。
「そのボスを倒せたときは本当に嬉しかったんですね」
「ギルドメンバーの方とすぐに仲良くなれたのはシエルさんの人柄のお陰だと思いますよ」
「大好きだった人に裏切られたときは辛かったですよね……」
俺が体験したエピソードを話せば、ユリアがそれを彩ってくれるように感想を返してくれる。彼女はどんなに醜い思い出でもそれが俺を構成している大切な物の一つなんだと教えてくれるんだ。
話している内に俺は不思議な感覚に陥っていた。まるで自分の胸を縦に切り裂き、あばら骨を手で外側に開いて文字通り胸の内をユリアに見せているような、そんな感覚だった。グロテスクな俺の内臓を見てもユリアは気持ち悪がることも無く肯定してくれる。予想外の出来事に俺は逆に感動させられてしまっていた。
俺にはこんなにも素晴らしい仲間が居たのか。
全てを話し終えた頃にはとても満ち足りた気持ちになっていた。こんな気持ちになれたのは初めてかもしれない。同時に今まで騙していて申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。
「聞けて良かったです。シエルさんのこと、たくさん知ることが出来ました」
責められてもおかしくない内容だっていうのに、ユリアは優しく微笑みかけてくれる。ああ、どうして君はそんなにも俺に優しくしてくれるんだ。これじゃあ贖罪にならないじゃないか。
「でも、もっと早くに話してくれてもよかったのに」
少しだけ寂しそうな顔をして言うユリア。俺はつい目線を下に落としてしまう。
「……俺はなんとしても復讐を成し遂げたかった。一度BANされたアカウントと同一人物だっていうことが見つかればシエルのアカウントも凍結されてしまうかもしれない。だから復讐を終わらせるまで話すことが出来なかったんだ」
「アカウント凍結……!? だ、大丈夫なんですか?」
「分からない。けど、そうなっても仕方のないことだなって思っているんだ。俺だって復讐のためにそれなりに手を汚してきたわけだしね。もしBANされても罰だと思って受け入れるよ」
「……そんな、これからようやくシエルさんと純粋に冒険を楽しめると思っていたのに……」
「ごめんよ。でもちょっとだけ予想外だったな。このことを話したら絶対ユリアに嫌われると思っていたんだ」
「そんな、嫌うことなんて絶対にないですよ! だって私……シエルさんのことが好きなんですから!」
「え?」
突然の告白に思考回路が吹き飛んでしまう。ユリアも言ってしまったという感じで口を押さえながら恥ずかしそうにモジモジしている。
――今、好きって言ったのか? もしかして、ユリアの話っていうのはこのことだったのか? いや、しかし、聞き間違いだったら自惚れているただの痛いやつだぞ。ここは慎重に……。
「す、スキと言えば、ドストエフスキーの罪と罰。あれは名作だったね。まさに今の俺にピッタリな題名だ!」
俺ってば混乱のあまり意味不明なことを口走ってしまっている。いくら鈍感でもそれはないでしょう。まったく恥ずかしいこと極まりない。
「もう、ラブの方ですよー!」
ユリアも吹っ切れたように顔を真っ赤にしながらそう叫ぶ。俺もなんだか顔が熱くなってしまった。そして沈黙。
ふと、俺が以前にプレゼントした雪の髪飾りが目に入った。ユリアはいつもそれを着けていてくれていたんだ。
頭のリブートが完了したところで再び考えてみる。いや、考えなくても分かるだろう。阿呆なのか俺は。これは告白ですよ。ユリアが俺に告白をした。だとしたら俺のする返事はなんだ? そんなの決まっている、俺を支えてくれたユリアのことが嫌いなわけがないじゃないか。むしろ好き、大好きですよ、俺のことを受け入れてくれた彼女が大好きだ! だから俺は当然こう答える。おふざけは無しで、彼女の目を見つめながら、今度こそは真剣に。
「俺もユリアのことが好きだ。もちろんラブの方でね。……それで、良かったら俺の恋人になってくれないかな?」
「本当に……?」
俺が頷くと、しばらくの沈黙で不安な表情をしていたユリアの顔がパァっと明るくなる。
「シエルさん、嬉しい……!」
そう言って涙目で抱きついてくるユリア。俺の胸の中に温かいものが込み上げてくる。そうか、これが幸せというやつなんだ。
◇
「でも、せっかくシエルさんと恋人になれたのに、アカウントが凍結されちゃったらどうしよう……」
ソファの上で俺の腕にしがみつきながらユリアが心配そうな顔で俺に訊いてくる。
「じゃあ、リアルで連絡先を交換しよう。これならシエルでログイン出来なくても繋がっていられる」
「あっいいですね! さっきはシエルさんのことお話してもらったので、今度は私のことをお話ししますね」
ってことで話を聞くと、ユリアは俺よりも1つ年上の高校2年生らしい。しっかり者という印象があったから年上なのは予想していたけど、こんなにも歳が近いとは思わなかった。愛に年齢は関係ないって言うけど歳が近いに越したことは無い。……年上の彼女、いい響きじゃないか。
それにしてもユリアの方が年上なのにどうして敬語なんだろう。ついでにそのことを聞いてみると、癖っていうことらしい。敬語も悪くないけど、敬語じゃないユリアも見てみたいなーってお願いしたら。
「し、シエル君……こんな感じ……?」
なんて顔を紅潮させながら言ってくるので痺れてしまった。その後すぐに敬語に戻ってしまったけれど、まあ少しずつ慣らしていけばいいよね。
「あ、もちこさんとモフモフさんがログインしたみたいです」
「じゃあ2人にも話しておかないとな」
後からログインしたもちことモフモフを俺の家に招き、ユリアに話したように俺の過去、そしてフィロソフィと敵対した理由を説明していく。
ユリアは「2人に嫌われても私が居ます!」と勇気付けてくれたけど、それも杞憂に終わり、2人とも俺のことを受け入れてくれた。感謝の言葉を伝え、ついでに俺とユリアが恋人になったことも話すと、もちこは一瞬だけ顔を曇らせたがすぐに祝福してくれた。
「これからも頼むよ、マスター」
「ユリアちゃんを泣かせるなよ~!」
もちことモフモフがそう言って俺の背中をパシリと叩く。頑張れ、ということらしい。
正直VRMMOで彼女を作るなんてことはもう二度としないと思っていた。なんたってあんな目に遭ったんだ。過去に学ぶって言葉もあるけど、全てのプレイヤーがアリサやフィロソフィのような人だなんて思わないさ。この3人みたいに良い人だっている。3人は俺にそう気付かせてくれたんだ。
この先どうなるかなんて分からない。でも、ユリアが俺のことを信じてついてきてくれたように、俺もユリアのことを信じていこうと思う。
――ピロリロリン♪
聞きなれないアラームが鳴る。いや、一度だけ聞いたことがあるアラーム音だ。これは……そう、俺がアカウント凍結されるときのGMゲームマスターからの呼び出し音だ!
【ゲームマスターからの呼び出しです。5分以内に応答してください】
ちくしょう、まさかこのタイミングでGMに呼び出しされるとは。ユリアたちも俺の顔を見て嫌なものを感じ取ったのか不安の表情を見せている。俺は笑って「何ともないよ」って伝えてみるけど、3人の表情は変わらなかった。
『……はい、シエルですけど』
今回は無駄な足掻きもせず、すぐにGMの呼び出しに応じる。
『こんにちはゲームマスターです』
『どうも、一体なんで呼び出されたんですかね?』
『シエルさん、あなたの行動に規約違反は確認されました』
ああ、やっぱりそう来るのね。でも仕方ない。ユリアには悪いけど罰を受けなければいけないんだ。
『……ちなみに、その規約違反というのは?』
『ゲーム内における現実世界の情報を聞き出す行為です。この迷惑行為により7日間のアカウント停止とさせていただきます』
ん? 現実世界の情報を聞き出す行為? これはたいきに聞いた時の話だろうか。あの時誰かに話を聞かれていたのだろうか……。まあ、でも、スカイの転生アカウントだから罰せられるわけではないらしい。
『本日より7日間、Disappearance of Memoryの世界を冒険することは出来ません。では』
そうして目の前は闇に包まれる。GMは7日間のアカウント停止って言っていたよな。ってことはスカイのアカウントみたいに永久停止ではない! 不幸中の幸いってところだな。良かった……。
そうしてしばらくベッドの上でゴロゴロしていたのだけど、頭に浮かぶのはユリアのこと。罪として受け入れるつもりがユリアに会いたいという気持ちでいっぱいになっていった。愛は罪よりも深く、そんな漫画もあったね。
連絡先を交換しているとはいえ、恋人になったばかりのユリアを一週間も一人にするのは可哀想だ。なんとかならないものかと辺りを見回すとアリサのVRヘッドギアが目に入った。
俺はすかさずアリサのヘッドギアを身に着け、アリサのアカウントでログインする。ログイン出来るか不安だったけど、幸いにもアリサのアカウントはBANされずに済んだようだ。このしぶとい奴め。
≪アリサの家≫
目が覚めたところはアリサの家。既に辺りは暗くなっており、住宅街の窓から漏れる暖かな光が平和な日常を物語っていた。
セレスティアスのギルド欄を確認してみると、ギルドランクはSまで下がり、メンバーはアリサ1人だけ。こんな犯罪者ギルドに居るのが嫌なのかメンバーは全員抜けてしまったようだ。フィロソフィのアカウントも永久停止されたからなのか、跡形もなく消えてしまっている。かつて栄えていたギルドもこの有様。盛者必衰の理とはいったものだ。
メンバーはアリサだけ、つまり残されたアリサが必然的にセレスティアスのギルドマスターになっていたのだ。
アリサとユリアがフレンドだったことを思い出した俺はチャットでユリアに話しかけてみる。今度はアリサを演じることなくシエルのままで。
『ユリア、オレオレ、俺だよ。セレスティアスのギルドマスターであるアリサ様だ!』
なんて冗談を言いながら話しかける。アリサのアカウントを手にしていることは先ほどに話しておいたのでユリアも俺だと分かってくれるはずだ。
『もしかしてシエルさん!?』
『正解。さっきシエルのアカウントが凍結されてしまってね、一週間ログイン不可。それで仕方なくこっちのアカウントでログインしているんだ。リアルで連絡先を交換していてもこっちの世界で会えないのは寂しいだろう? まあ俺が寂しかったから来たんだけど』
『私もシエルさんに会えなくて寂しかったです。でもよかった、永久停止では無かったんですね』
【“ユリア”からパーティに誘われました】
安堵の声を聞くとともに、ユリアからパーティに誘われる。ユリアってこんなにも積極的だったっけ。パーティに加わるなり、ユリアはアリサの家まで飛んでくる。そして俺の体に抱きついてきた。
「……もう、何処にもいかないでください……」
「当たり前だ。俺はユリアの側にいるよ」
抱きついたままユリアの銀色を髪を優しく撫でてやる。ゲームの中だっていうのに彼女体の柔らかさと体温が伝わってくる。しばらくそうした後は2人並んで芝生に腰かけることにした。
「シエルさん、知っていますか? 大型アップデートが来週配信されるみたいです。新たなマップにストーリー、スキルも新しいのが出るみたいですよ!」
「お、それは楽しみだな。シエルのアカウント停止も解除されるしアプデの時のメンテナンスが終わったらすぐに乗り込もうぜ!」
「はい!」
ふと夜空を見上げると、遠くから花火が上がっているのが見えた。そういえば今日は夏祭りのイベントの日だった。今から会場に向かったのでは間に合わないので、レンガ造りのアリサの家の屋根の上に登って、2人でその花火を眺めることにした。夜の空に咲く花は一瞬で消えてしまうけど、またすぐに新たな花火が昇っていく。
「ふふっ……でも不思議ですよね。シエルさんじゃないのに、ここに居るのはシエルさんだなんて」
「ああ。本当のシエルがこの光景を見たら、まるで自分の彼女がネカマのギルドマスターに寝取られたって思うかもな」
「もう、シエルさんったら」
なんて言って2人で笑う。
春の来ない冬は無い。そんな言葉がふと頭に浮かんだ。そんなことわざのように、これからは楽しいことがいっぱい待っているんだ。
今度はこの世界を一緒に歩いて行こう。ユリアと、そして仲間達と。
もう一人じゃない。
VRMMOで知り合った彼女がネカマのギルドマスターに寝取られていた はな @aynsley
★で称える
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