聖女《ニセモノ》がいなくなった王宮で
「ヒマリさまの体調はいかがでございましょう」
「ダメだ、まだ神殿に戻すわけにはいかん」
──人間界。
オラシオン国、王宮のある一角。
王太子であるエルダーは、苛立ったように、白い神官服を纏った男と対峙していた。
ソファに腰をかけるエルダーは、尊大な態度で神官を見下ろしている。
神官は困ったように眉を下げていた。
「しかし殿下、聖女さまが祈りを捧げられなくなってから、もうひと月が経ちます……」
「ふんっ、ヒマリの場合は一度の祈りで十分な効果が発揮できるからな。あの偽物よりも、まだ民草の役には経つだろうよ」
プレセアの処刑から、ひと月が経っていた。
あれ以来、
けれどエルダーは、それもおかしくないことだろうと思う。
ヒマリは家族も、友人も、何もかもを置いて、この世界にやってきてくれたのだ。そして慣れない『祈り』という行為のせいで、体調を著しく壊してしまったのだろう。
だからエルダーは、そんな聖女を、気遣わずにはいられなかった。
いくらこの国に『聖女の祈り』が必要だったとしても、まだ十五歳の、事情を何も知らない少女に祈りを課すほど鬼畜ではないと思っている。
「ヒマリのような事例など、今までになかった。ヒマリは大切に大切に扱うべきだろうと判断されている」
異世界からの聖女など、伝説上の人物だ。
異世界人を妻にした王などは、歴史上見たことがない。
だからエルダーは、誇らしくて仕方がなかったのだ。
けれど王宮側がそれで満足していても、神殿側は随分と不満を持っているようだった。
それはそうだろう。
異世界からの聖女召喚に成功したのはよかったものの、もうひと月も、聖女は祈りを捧げていないのだから。
そしてそれを、王太子は容認している。
ヒマリ・ハルシマはいわば、すべての存在を超越した、神のような存在だった。
聖力は非常に強く、その祈りで多くの人々を救った。
それは多くの人々の信仰を集めるのに十分な出来事だった。
彼女は文句のつけようがない聖女だ。
けれど最近は祈りも捧げず、部屋で臥せったり、城下町へ降りたりと、だんだんその素行に疑問が保たれるようになってきた。
「ヒマリには休息が必要だ」
エルダーは強く思う。
プレセアとは、違うのだ、と。
あの女は、聖女であることを笠に着て、辛いだのしんどいだのと宣い、聖女の役割をろくにこなさなかった。
「しかし、そろそろ祈りを捧げなければ……」
それでもなお言い募る神官に、エルダーは苛立ったように言った。
「聞いていなかったのか? 結界を張ることは、とても疲れることなのだ」
「……」
「特に慣れていないヒマリにとっては、負担になっている」
部屋に沈黙が降りる。
ぽつりと、神官が言った。
「それはプレセアさまにも言えるのでは……?」
エルダーはその続きを聞かなかった。
「その話はやめろ! 貴様はヒマリを侮辱する気か!」
なぜ、今頃になってプレセアの話をするのだ。
まるでプレセアが必要だった。
処刑したことが間違いだったとでもいうように。
エルダーの心は、怒りでいっぱいになっていた。
◆
エルダーとプレセアが初めて実際に顔を合わせたのは、エルダーの母親であったエレナ妃が亡くなってすぐのことだった。
大神殿にお告げがおり、わずか五歳の少女が選ばれてから、すでに二年の月日が経過していた。
聖女というものは、結婚するまでは大神殿で暮らさなければいけない決まりがある。そこで聖女のことや王宮でのしきたりを学び、時が来たら晴れて国王陛下の妻となり、国母となるのだ。
そのとき、母が亡くなったばかりで、エルダーの心は沈みきっていた。
それでも聖女としての役割を受け継いだプレセアに会いにいき、これから二人で国を支えていくのだと、ある意味戦友のように、盟約をかわさなければいけなかったのだ。
エルダーは気が進まなかった。
歴代の聖女は、だいたいは貴族の娘の中から選ばれていた。
母もそうで、建国当初から続く、立派な大貴族の娘でもあった。
庶民の娘が聖女として選ばれたこともあったが、それもたった一度だけだ。
このように、後ろ盾も何もない娘が選ばれることなど、なかった。
庶民の娘などが、本当に、聖女とななるのか。
母上のように、偉大な聖女になれるというのか。
最初から、疑っていたのだ。
身分もない娘に、そんな大役が務まるのかと。
「初めまして、エルダー第一王太子殿下」
そして初めてプレセアとであったとき、エルダーは確信した。
この娘は聖女ではない、と。
なぜならプレセアは、人間離れした容姿をしていたからだ。
細やかな光を纏う金色の髪。宝石を散らしたように輝くその髪は、明らかに普通の人間が持って生まれるような髪色ではない。
けれどもっと変わっていたのは、その濃いピンク色の瞳だろう。
血を薄めたような、禍々しい色。
髪を「宝石を散らしたよう」と例えるのなら、瞳は「本物の宝石」だった。
キラキラとまばゆい光を放つその瞳は、けれども不気味なほどに、なんの感情も映してはいなかった。本当の石のように、冷たかった。いわば、人形のようだったのだ。
──プレセアは、どこからどう見ても、この国で汚れた存在とされる「魔力持ち」だった。
それでも王太子として、決して聖女ではないなどとは、口には出さなかった。
五歳からの二年間、神殿で修行したという彼女のためにも。
けれど会話をしていくうちに、やはりエルダーは、プレセアとは気が合わないと思った。
「何か、辛いことがあるのかい」
あまりに無表情で、不機嫌そうにも見えるプレセアに、エルダーは穏やかに聞いた。
するとプレセアは、わずかに動揺を見せた。言うか、言わないか、迷っているようだった。
「……サークレットが痛い、の」
ようやく口を開いた少女は、エルダーにそう言った。
「どうして? どうしてこんなものを、つけなくちゃいけないのですか?」
こんなもの。
聖女として活躍した母の形見であるサークレットを。
この少女はこんなもの、と呼んだ。
国の宝であるサークレットを。
だから気づかなかったのだ。
プレセアの瞳に、涙がにじんでいたことに。
「ッその言いようはなんだ!」
気づいたら、エルダーは叫んでいた。
「母上の形見なのだぞ!」
七歳の少女はびく、と肩を震わせ、目をまん丸にした。
「ご、ごめんなさい……」
聖女の任がどれほど大切なものなのか、この少女はちっともわかっていないのだと、エルダーは感じた。
これをきっかけに、エルダーはプレセアのことを嫌うようになっていったのだった。
それでも、聖女と王の結婚は、絶対だ。
だからそれからも、仕方なしにプレセアに関わるしかなかった。
エルダーは賢王と言われる国王のもとで、様々なことを学んだ。
歴史、地理、地文、博物、美術史、国文学、数学、理科学、法制経済、軍事講話。
人との付き合い方や、王としてのあり方。
王として国に立つために多くのことを学んでいたというのに、その間にプレセアは、何一つとして学んでいなかった。
政治の話はいい。
何か芸術について話せれば、と思ったが、それさえも話せない。
いつまでたっても、マナーですら分かっていないようだったのだ。
いつも体が痛い、だるいなどと甘えたことを言っていた。
そしてサークレットを外してくれ、と。
そのせいか知れないが、彼女は年齢や教育に見合った知能が足らないように思えた。一応、一通り学問やマナーは教えてはいるらしいが、ちっとも覚えないという。
そしてそれだけでなく、聖力も足らなかったのだ。
結界を張っても、母の時とは違い、魔物が湧き続ける。
特にスタンピードと言われる一定の時期に沸き起こる魔物の氾濫期には、歴代最悪と言われるほどの被害が出た。
その分、プレセアが神殿を出て、地方に浄化の旅をしなければいけなかったのは、当然の結果とも言えた。
それなのに帰って来たら、ぐったりとして、疲れたなどとのたまうのだ。
自業自得ではないか。
国民に申し訳ないと思わないのか。
「殿下」
冷たい声だった。
目に光はなく、少女特有の活発さもない。
いつしか本物の人形のようになってしまったプレセアは、掠れた声でエルダーに言う。
「たすけて」
プレセアはやせ細っていた。
きっと、好き嫌いでもしているのだろう。
王宮の料理は、栄養も満点で、十分な量があるはずなのに。
食べ物を残すことは失礼だとは思わないのか。
一方で、そんなプレセアの姿を、美しく幻想的だという輩もいた。
大神殿で祈る姿が、どれほど美しいか、と。
それは、大神官だった。
彼がプレセアのことを気に入っていたから、どんなに批判があっても、プレセアは聖女であり続けることができたのだ。
気にくわない。
大神官も、プレセアも。
なぜこのような女が聖女なのだ。
なぜこのような身分の低い女が、自分の妻なのだ。
エルダーは不満を募らせ続けた。
◆
「なぜプレセアを処刑したのだ」
刻戻しの刑が執行された後。
エルダーは父王のもとへと呼ばれた。
元国王陛下は、病に伏しており、もうこの先長くはないだろうと言われている。
ベッドから起き上がることもできず、政務はほとんどエルダーが行っている状態だった。
「……プレセアはヒマリに害をなそうとしました」
王は、静かに息子を問いただした。
「その
「……」
「聖女がもとの世界へ帰らない保証も、他の者に害されて死なない保証もどこにもないであろう」
だったら、と静かな声で王は紡ぐ。
「なぜ
エルダーだって、考えなかったわけじゃない。
迷いもしたのだ。
ヒマリになにかあったときようの、代理品にしようと。
ヒマリを正妃に据え、プレセアは側妃として娶るつもりだった。
けれど、プレセアは魔力持ちだった。
「あの女は、何をしでかすか分かりません、陛下」
実際にヒマリに害をなした。
ほんのわずかでも、ヒマリを失う可能性は潰したい。
魔法で何をするかわからない。
呪い殺してしまうかもしれないのだから。
「私は何を言われようと自分の判断を信じます」
エルダーはそう言い切った。
王は、何も言わなかった。
◆
なんで今頃になって、あの女のことを思い出すのだろう。
神官と向かい合いながら、エルダーはため息を吐いた。
そこへ、ノック音が響く。
「殿下……」
「ヒマリ!」
ふらふらと部屋に入ってきたのは、愛らしい少女だった。
ツヤツヤとした黒髪に、まん丸な茶色っぽい瞳。
加護よくをそそるその愛らしい顔立ちは、見る者を一瞬で虜にしてしまう。
「ごめんなさい、少し体調が悪くて……」
もともとほっそりとはしていたが、さらにやせ細ってしまったようだった。
「いいんだ、そんなことは」
エルダーはヒマリを抱いた。
異世界から来た少女。
庶民でも貴族でもない。
神に近しい、存在。
自分はそんな少女を、妻にするのだ。
自分のものに、するのだ。
歴代のどんな王だって、できなかったこと。
「日本に残してきたみんなのことを考えたら、寂しくなちゃって……」
ホームシックにもなるだろう。
それでもヒマリは、聖女になることを選んでくれた。
だから、大切にしなくてはいけない。
「ヒマリはただ、幸せでいてくれたら、いいんだよ」
何かを得るためには、何かを切り捨てる覚悟が必要だ。
ヒマリの安全か。
代替品の確保か。
そのどちらも手に入れられたのなら、良かったのに。
ヒマリを抱きながら、エルダーはわずかな後悔を感じていた。
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