第23話 出て行くべきなんだろうな……

 夕飯が済んだ後、会長の部屋をノックする。


「どうぞー」


 中から会長の声がしたので、部屋に入った。

 会長は小脇に六法全書を置き、今は赤本に目を通している。帝都大の過去問だ。オレには縁遠い本だな。


「どうした、青い顔して? まさか、風邪でも引いたのか? 待ってろよ、風邪薬貰ってきてやるからな」


 会長が席を立ち、足早に脇を通り過ぎようとする。オレはその腕を掴んだ。


「ん、どうした?」


 会長の理知的で澄んだ瞳がパチクリと動く。


「ちょっと困ったことがあって……」


 項垂れながら、力なく口を動かす。


「話してみなよ」


 会長に促され、タクとの一件を相談した。彼女は神妙な顔をして、オレの話を聞いた。


「フム、あたしがこの家から出て行くのを見られていたのか。ウーン、そうなってしまったか。懸念はしていたのだがな……」

「どうする? 会長?」

「あたしは甘えすぎたのかもしれないな。この家庭に。居心地が良くて、つい、な」


 会長は口の端を上げた。なんだか、自虐的な笑みに見えてしまう。


「会長?」


 オレは不審気な目をして、会長の顔を見る。


「あたしの家はあんまり良くないんだよ。その……家庭環境が。仕事をバリバリする父さんは尊敬できるけど、残業続きで家に帰ってくるのが遅いんだ。家庭より仕事優先なんだよ。母さんは、なんというか……どうも若い男がいるらしい。そりゃ、父さんは仕事人間で、あんまり家庭にかまけていない。だからといって……」


 オレは黙って会長の話に耳を傾けた。


「はっきり言って、母さんのことは……大嫌いだ」


 会長は吐き捨てる様に言った。やや間があってから、咳払いし、会長は話を続ける。


「で、まぁ、そんな家庭でも、週に2回は家族揃って夕飯を食べるわけ。一家団欒なんだけど、かえって空気が悪いってか……白々しくて、重苦しいんだよ。ちょっと苦痛なわけ」


 会長はナハハと照れ笑いを浮かべ、鼻の頭をかく。


「けど、杉内家はなんだか暖かいじゃないか。いつの間にかこの家に寄りかかって、甘えてしまっていたのかもな……そんな家庭に迷惑はかけられないよ。もう潮時かもな……」


 会長はそこまで話し、ふと寂しげな顔を見せた。


「よせよ、会長」


 言いながら、オレの心臓が早く脈を打つ。嫌なカンジだ。なんとも嫌な予感がする。


「出て行くべきなんだろうな……」


 会長はポツリと囁く。

 会長がこの家から居なくなる? なら、オレはお茶くみも、肩揉みもしなくてよくなる。万々歳じゃないか。けど……

 ぎりっと拳を握り込み、口を開いた。


「ちょっとヤバイからって、逃げ出すのかよ?」


 挑発的な口調。オレの言葉に、会長の眼光が鋭く光る。


「何? 逃げ出すってどういう意味だよ? 杉内家の事を考えて、身を引こうって言っているんじゃないか!」

「こんなのちょっとしたトラブルだ! 大したことじゃない。大体、トラブルに立ち向かわずして、なにが生徒会長だよ!」

「でも、一つ屋根の下で暮らしているなんて、学校側に知れてみろ。退学になるかもしれないんだぞ?」

「違う! タクはそんなに口が軽く――いや、軽いけど、友達を見捨てるような奴じゃない! 説得するから。大丈夫だから。だから、会長。ちょっとだけ待ってくれないか?」


 会長は無言になる。顎の下に手を置き、熟考を始めた。少し時間を置いてから、彼女は唇を動かす。


「分かったよ。もうちょっとだけ、ここにご厄介になる。ただし、望月君及び、その彼女を説得出来れば、だ」

「分かった。今、携帯でタクに連絡を取るから」


 そう言って、オレは廊下に出て、スマホをポケットから取り出した。

 タクが電話に出てから、オレは会長との経緯を全て彼に喋った。


「そんな訳なんだ、タク。頼むから見逃してくれ」


 オレはこの場にはいないタクに向かって、頭を下げる。


「そんなに畏まることないっしょ。薫ちゃんにはよく言って聞かせるから、安心しなよ、涼平ちゃん」


 受話器越しに、タクの涼し気な声が聞こえてくる。オレは何回かタクに礼を言い、通話を切った。

 そうか。アイツは本当の事を話してもらいたかっただけだったんだな、友達として。

 今更ながら、そう気付いた。


 タクからの回答が出て、喜び勇んで会長に結果報告に行く。彼女は真剣な顔をして、オレの話を聞いた。


「……そうか、分かった。けど、少しでも噂が広まる気配を感じたら、あたしは出て行くから。そこんところは安心しなよ」


 会長はポンとオレの肩を叩いた。

「安心しなよ」との言葉とは裏腹に、オレの胸の中で、例えようもない不安が広がっていく。朝方に見た黒い雨雲と同様に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます