11章12節

 華やかな夜会が、舞踏会が、戦勝報告が、そして戴冠式が行われてきたアルバ王国の表舞台に、血が散っていた。

 『紫玉の間』で繰り広げられていたエスターとブレイリーの戦いは、互角のまま終局を迎えようとしていた。

 お互いの腕や足から、血が伝い、落ちる。かすめた刃はお互いの肉を裂いたが、それはどれもが致命傷にはならない。

 剣を握る革手袋に、血がしみこむ。

「うおぉぉぉっ!」

 エスターの長剣が、ブレイリーの喧嘩剣に振り下ろされる。手に痺れさえ走りそうな一撃を、ブレイリーは歯を食いしばって受け止めた。両手の有らん限りの力で押し返し、なぎ払うと、すんででエスターは飛びのいて避ける。

 二人の荒い呼吸は、高い天井に吸い込まれていく。汗と血が、肌を伝い、服ににじむ。

「渡さない……玉座は渡さない!」

 エスターは睨み合い中で、そう吠えた。ブレイリーと、自分を追いつめたその親友である人物に対して。

「何が英雄王だ。どこの馬の骨とも判らぬ男に……簒奪者に、玉座は渡さない!」

 それはエスターの最後の矜持。己の正しさを信じ、己の理想を信じ、それ故敗北を認められぬフィリス以上の理想家の、それは最後の叫び。

 だがそれは、ブレイリーの激昂を誘った。

 それは彼には、決して言ってはならない言葉だった。

「言うな……それだけは言うな、貴様!」

 ブレイリーの体から怒気がふき上がるのを見た、とエスターは思った。そう錯覚させるほどの、あまりに激しい怒りをみなぎらせ、ブレイリーは叫ぶ。

「お前たち貴族がもう少ししっかりしていれば、カティスはこんなところに来なくてすんだ。カティスもカイルも、あんな風に苦しまなくてすんだんだ! 何も知らないくせに……何も知らないくせに、知ったふうな口をきくなっ!」

 緊張に張りつめた空気が、びりびりに裂けて震えた。

「うぁぁぁぁぁぁっ!」

 叫びを上げて、己の身を省みずに突進してきたブレイリーを、エスターは受け止める。

 ほんの少しだけ身を翻してかわし、そして。

「もらった!」

 鮮血が、迸った。

 エスターの剣が、ブレイリーの右肩をえぐり、腕を突き通した。からり、と音をたてて床に転がった喧嘩剣。

 だがその時エスターは、眼前の敵の顔が、不敵に笑うのを見た。まるで勝利を確信したかのように。

 背筋が凍る。

 肩に埋まった剣。懐に飛び込んだ、それだけの至近距離。ブレイリーの空いた左手は、剣帯から短剣を抜き放ち――。

 渾身の力で、エスターのむき出しの喉に打ち込んだ――。

「がぁっ……!」

 エスターの声にならない叫びは広間の高い天井に吸い込まれて消える。

 二人の体はもつれるように床に崩れ落ち、毛足の長い最高級の絨毯が、二人の血を思うままに吸い込んでいった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る