第三皇女の大きな一歩

 忙しく、そして賑やかな日々は瞬く間に過ぎていった。


 特に我が家はフォリナーの領主として、今までに経験したことがないほど忙殺され、寝る時間も普段と比べて半分近い日々もあった。



 だが、それがようやく落ち着きを見せてきた。



 ――――シエスタ魔法学園の学園祭としての側面がある、銀月大祭。



 中でもその学園に加え、商人たちとの折衝が遂に終わりを迎えた。

 まだ届く荷物は多くあるし、銀月大祭当日には貴族たちとの折衝や、領主としての仕事が詰まっている父上だったが、これまでの仕事に比べれば些細なもの……であってほしい、とか。



 というわけで俺は、久しぶりの休日を迎えていた。

 しかしそれを持て余している。



(どうしたもんか)



 庭園の一角で久々に長々と鍛錬に身を投じているも、先が見えてこない。

 ハミルトンでは異名の元となった逆立ち腕立てをしていたけど、途中から数えることを止め、ただ時間が過ぎていくばかりである。



 もう、これで何度目になるだろう?



 ふと片手になり腕時計を見れば、朝の八時を回ったところだ。

 六時頃には逆立ちになっていた気がするから、もう中々の時間である。

 だが頭に血が上り過ぎてクラクラしてくることもなく、やはり身体強化こそ最良の魔法であったと実感せざるを得ないところだ。



 幼い頃に比べ、ここまで成長できたことは自画自賛したい。

 きっとクリストフとの鍛錬もあって、魔力の扱いに長けていたのだろう。



(で、)



 どのタイミングで終わるかが重要なところだ。

 ハッキリ言って、そのタイミングを逃してしまっている。

 ――――と思ったけど、不意に腹が情けない音をあげた。



「よし」



 終わるか。

 なんだかんだと充実した時間だった気がする。



 気が付けば朝食にちょうどいい時間だし、さっさとシャワーを浴びて優雅に朝食としゃれこもう。

 と、俺が逆立ちを止めて芝生に座る。

 勢いは弱くとも、時間によって降り積もった雪をささっと身体から払いのける。

 ふぅ、軽い息を吐いて立ち上がりかけったところへと……。



「……グレン?」



 屋敷に来たミスティが、どこか驚いた様子で俺の傍に近づいて来る。

 今日は学園があるはずだけど、彼女は私服に白いコート姿で、裾から覗かせた細い足は薄っすら黒いタイツで覆っていた。

 ついでに片方の手に小さなバスケットを持っている。



「もしかして、訓練をしていたの?」



 芝生に座った俺の前でしゃがんだミスティが、これまで使っていた傘を俺にも寄せてくれる。

 すると彼女はおもむろにコートのポケットに手を入れて、微かに花の香りがただようハンカチを取り出す。

 何をするのかと思っていたら、俺の頬を伝う汗をそれで拭った。



「汚れるよ」


「別にいいわよ。グレンの汗じゃない。――――それで、いつから?」



 何気に大胆なことを言われた気がするけど、ミスティが普段どおりからそれには触れずに言う。



「訓練がってこと?」


「ええ。せっかくの休日だって聞いたのに、まさかって思っちゃった」


「……いやぁ、他にやることとかないし」



 ちなみにアリスは昨晩から帝都に帰っている。

 ローゼンタール家の仕事があり、あちらの屋敷にいるというだけだ。

 そのため、学園を休むと聞いてある。



「暇、なの?」



 きょとんとした顔で尋ねられた俺は、堂々と言う。



「それはもう。暇を持て余し過ぎたせいで、日が昇る前からずっと一人で鍛えてた」



 多くの汗と雪がそれを物語る。

 よくよく見れば、俺が居る周りだけ雪が積もっていないのだ。

 汗臭くないだろうかと思い、つい身体の臭いをかいでしまう。

 意図を諭されてしまったらしく、ミスティがくすっと笑っていた。



「ふふっ、私は別に気にならないわよ」


「ならよかった。――――さて、と」



 俺はここでようやく立ち上がった。

 同じように立ち上がったミスティをやや下に見下ろして、屋敷へ行くよう促した。



「実はちょうど空腹になった感じだったんだよね。だからシャワーでも浴びて、朝ご飯を食べようって思ってたところ」


「……あ、朝食そっちの方もまだだったのね」


「そ。ミスティは?」


「私もまだよ。それで……実はあの……」



 ミスティが何かを言いかけたところで、俺たちはちょうど屋敷の中へ入った。

 すると、彼女が口を開くより先に婆やが現れる。



「これはミスティ様。いらっしゃいませ」


「ええ、おはよう」


「ミスティ様もご朝食はいかがですか? もしよければ、坊ちゃんの朝食と一緒にご用意を――――」



 しかし、婆やはそこで口を噤む。



「……ふむ」


「な、なによ! どうしてそんな訳知り顔になるの!?」


「そちらのバスケットを拝見しましたので。むしろわからない方が愚かかと」


「ッ~~もう!」


「ご安心を。私は暖かいお飲み物だけご用意させていただきますから、他のことはお気になさらず」



 何やら楽しそうに去っていく婆や。

 一方、頬を赤らめたミスティ。

 良くわからないが、気になったことがあるので俺は尋ねることにした。



「ってか、学園は?」


「……私とアリスの組は自由登校よ。銀月大祭の支度が終わったから、特にすることがないの」


「ああ、道理で」



 しかし朝食はいいのだろうか? 気になったけど、何か婆やとの間で話をしていたし、俺が口を出すべきではないのかもしれない。

 そう思い、俺は途中でミスティと別れる。



「私、客間で待っていてもいい?」


「いいよ。むしろちょっと待たせて申し訳ないくらい」


「う、ううん……急に来たのは私だから気にしないで」



 とりあえず、いつもより早くシャワーを終えないと。

 そのため今日は自室に向かわず、一階にある大浴場へと足を進めた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 湯を浴びてから客間に行くと、ミスティが話し辛そうにしていた。

 良くわからないが、俺の部屋で話すかと聞けば、その方がありがたいと安堵した顔を浮かべる。

 だから、すぐに場所を俺の部屋に移したのだが、



「何かありましたらお呼びください」



 間を図ったかのように婆やが来て、その婆やがすぐに茶を用意して立ち去った。

 残った俺は疑問符を浮かべ、ミスティはまた頬を僅かに赤らめている。



(すごい、婆やがいつにも増して隠密っぽい)



 俺はミスティのコートを預かり、それを掛けてから彼女の傍に戻る。

 いつも座る大きなソファへ対面になって座れば、ミスティが「ありがとう」と言った。



 コートの下に来ていた白いタートルネックのセーターが、礼を言いながら微笑んだ彼女に良く似合っている。

 やや普段の服装以上に身体の凹凸がわかってしまい、何処か煽情的に見える。だが隠しきれていない高貴さが浄く、清楚にも見せてくる。



「ねぇ、グレン」


「ん?」


「暇だったって、ほんと?」


「本当だよ。だから何時間も逆立ちになって腕立てしてて、止め時を失ってたわけだよ」


「そ、そう……すごい訓練をしていたのね……」



 苦笑いの奥に複雑な感情は覗えない。

 なにか、密かに安どしているように見えた。



「ってかいいの? 婆やがミスティの分もご飯を用意してくれるって言ってたのに」



 ん? よく考えれば俺の分も用意されていない。

 いつもなら、茶と一緒に用意してくれてるはずなのだが……。



「……いいの。今日は私が作ってきたから」


「作ってきたって、朝ご飯を?」



 コクリ、とミスティが頷く。

 そのまま俯いたまま顔を上げようとせず、俺には彼女の首筋が少しずつ上気していくのが見えた。

 それを隠すかのように手を伸ばすと、持ってきていたバスケットを開けて、中にあったものを一つずつテーブルの上に広げていく。



 小分けにされた料理がいくつか。

 蓋を開ければ蒸気が舞い、入れ物が魔道具であることが伺えた。



「お、美味しくなかったら食べなくていいからねっ!」



 急なことで驚いてしまったが、ここで手を付けなければミスティを不安にさせることは必定。

 差し出された料理とフォークに手を伸ばした俺は、



「ありがと。いただくよ」



 間髪おかずに口元へ運んだ。

 朝に食べやすい料理ばかりで、口に運べばすぐに喉が鳴る。

 次々に喉を通る美食の数々が、俺の気分まで変えていく。



 ……つまり、美味しかったということだ。

 一流の料理人が作るそれとは違うが、心が温まる好きな味だ。



「ど、どう……かしら……」


「うん、こっちも……」



 次々と咀嚼していくと、不意にミスティが「ねぇ!」と言った。



「たくさん食べてくれてるけど、無理してない?」


「美味しいよ。何だったら、帝城でいただく料理よりこっちの方が好きかな」



 城でとる食事もまた格別なのは間違いない。

 クリストフと訓練をするために、あそこでも何度か食事をしたことはあるが、俺の口に合うのはミスティの料理の方だった。



「……よかった」



 気が付けば、ミスティはソファに置いてあったクッションを抱いていた。

 顔を半分だけ覗かせて、目を細めて喜んでいる。それは日頃の凛然としたではなく、可憐に、年相応の少女のような仕草だった。



「ミスティは食べないの?」


「ええ。私はもう食べてきたから」



 まだ食べてないと言っていた気がするが、いいのだろうか。

 首を傾げかけた俺に対し、ミスティは気にすることなく次の料理を渡してきた。

 俺は遠慮することなく舌鼓を打っていたけど、本当に食べてないのか気になる。



 すると、不意に。

 ミスティの腹部から、くぅ~……という小さな音が聞こえてきた。



(やっぱり、食べてないじゃん)



 それならそうと言ってほしかった。

 しかし彼女は、そしらぬ様子で涼しげな顔を浮かべる。

 ソファに座ったまま勝気に足を組むと、艶やかな髪を手櫛さっとかき分ける。

 ふぅ、と上品に息を漏らし、楽しそうにしていた。



 しかし――――。



「っ……」



 また、くぅ~……という音が聞こえてきた。

 次は触れないわけにもいかない。

 俺はそっと料理の入った容器を手で押しながら、食べなよ、この意図を彼女に伝える。

 しかし、



「いいの。グレンに食べてほしくて作ったんだから」



 苦笑いを浮かべた彼女が、一瞬で俺を見惚れさせる可憐な笑みで言った。

 そう言ってもらえるとさすがに照れてくるが、同時に俺は、ミスティの空腹は無視できないと思い別の案を考える。

 無論、婆やを呼ぶことが正解な気がしていたのだけど、



「先生――――婆やのことは呼ばないでね」



 さきほどの二人のやり取りは、この料理にかかわることだったのだろう。

 諸々の事情を察した俺に対して、ミスティは気にしないでとか頑なに言った。



(そういえば、)



 つい昨日、学園に行った際に買ってきたものがある。

 あれならきっと、ミスティも応じてくれるはずだ。そう思っておもむろに立ち上がった俺は、机の傍に置いていた紙袋を手にしてソファに戻る。



「せめてこれだけでも食べてよ」



 一瞬、何かと思い迷っていたミスティ

 だが袋を開けると、ぱぁっ、と明るい笑みを浮かべた。



「いいの?」


「いいよ。仕事の合間に糖分を取ろうと思って買ったんだけど、やっぱり甘すぎるなーって思ってたし」



 それはミスティが好んで買う、例の甘すぎるパンだ。

 買ってきたのは昨日だが、このパンは時間が経っても美味しくいただける一級品。

 そう、ただ甘すぎるだけなのだ。

 ようやく食べはじめてくれたミスティが「面倒なことを言ってごめんなさい」と謝罪したが、俺は彼女に倣い気にするなと言って茶を濁す。



 やがて、ミスティが先に食事を終えて、俺が数分後に終えた。

 すると彼女はテーブルの上を片付けはじめ、俺が手伝うことを許さない。

 終えてから、今度は大きく息を吸ったと思いきや、



「今日、暇だったっていうのは本当なのよね?」



 さっきも確認したことを、もう一度確認してきた。



「うん。終日暇人になる予定」


「……それなら、グレンさえよければ……」



 徐々に声の音量が下がっていく。

 ついでに俯いてしまい、両膝をもじもじと擦らせる。

 でも、顔を上げたときには真っ赤な顔で、瞳だって僅かに濡らしながら、俺に詰め寄りそうな勢いで急な言葉を口にするのだ。



「嫌じゃ無ければその――――私と、デートしてほしい……の……っ!」




 ◇ ◇ ◇ ◇




 驚いたのは当然だ。

 だが、断る理由はない。相手が他でもないミスティなのだから快諾し、逆に彼女の立場を鑑みて「大丈夫か?」と不安になったほど。



 しかし、大丈夫とのこと。

 かと言って、目立つのは好ましくない。

 というわけで可愛らしいベレー帽と眼鏡で変装をしたミスティの隣を、俺もまた軽めの変装をして共に街に繰り出していた。



(まるでお忍びみたいだ)



 実際はまるでどころか、言葉通りお忍びだ。



 町の中は銀月大祭前と会って人でごった返していて、気を抜くとすぐにはぐれてしまいそう。

 その影響もあって、ミスティは遠慮がちに俺のコートの袖を摘まんでいたのだが、



「……ダメ?」



 すぐにそれでは足りないと感じ、彼女は俺と腕を組みだした。

 その顔は、今日一番の上気っぷり。彼女の精緻に整った顔が恥ずかしさに覆われる。そのまま見上げられるのは攻撃力があり過ぎた。



 何となく照れ臭くなった俺がぶっきらぼうに頷くと、俺の視界の端でミスティが上機嫌に腕を動かす。

 遠慮がちだった腕にもう少し力を入れて、コート越しに胸の感触が届くまで距離を詰めてきた。



(……何があったんだ)



 唐突な距離の近づき具合に、ミスティに何の変化が訪れたのか気になって止まない。

 が、尋ねようにも内容が内容なためにそれは難しい。

 男らしい言い方をすることもできず、俺は考えることを止めた。代わりに、ミスティの胸元から届く胸の鼓動が、聞かないでくれと言っているようにも思えてきた。



「行きたい場所とかあるの?」


「ええ。ここがいいかしら、って思った場所がいくつかあるけど、グレンはどう?」



 あるといえばある。

 ないといえばない。

 そんなもんで、積極的に行きたい場所は特にない。



 どうやらこの考えが顔に出ていたらしい。

 ミスティは俺の顔を見て、悪戯っこのように振舞う。



「もしもここで、私がエスコートしてって言ったら、グレンはどんな風に困っちゃう?」



 それは決して俺を困らせようとしている風ではなかった。

 ただ単に、俺がどんな反応をするのか見たがっているだけ。

 その証拠に、無邪気な笑みが俺を見上げている。



「そうなったらそうなったで、頑張ってエスコートさせてもらうつもり」


「……そうなの?」


「うん。皇女様に満足いただけるか分からないけどね」



 すると、ミスティが少し考えて口を開く。



「じゃ、じゃあ……少しだけお願いしてもいい?」


「ん。りょーかい」



 幸いなのは、この町に俺が大分慣れてきたということ。

 仕事で町中を巡り巡って、どのような店が何処にあるのかよく知っている。

 問題は、どこの店も俺の顔をよく知っていることだ。

 変装していてもバレそうなものだが、どうせどこにいっても同じだろう。また、この雑多っぷりでバレないことを祈る他なかった。



「このままちょっと進んだ先に、外国の小物を扱ってる店があるんだけど、どう?」



 尋ねると、ミスティは満面の笑みを浮かべて頷いた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 昼を過ぎるころには、どうにか港近くの喫茶店に座ることができた。

 テラス席だけど、近くに魔道具があって寒くない。

 コートを脱いで荷物を置く籠に入れ、俺は対面に座ったミスティを見る。

 うむ。微妙に不満そうな顔だ。



「つまらなかった?」



 だが違うらしい。

 ミスティは首を横に振った。



「すごく楽しかったわ。楽しすぎて、帰りたくなくなったくらい」


「じゃあ、その不満そうな顔は?」


「……グレン、すっごく慣れてたわ」


「エスコートがってこと?」



 ミスティが今度は首を縦に振る。



「もしかして、ああいう経験ってよくあるの?」


「皆無に等しいと思うよ。あっても何度かアリスと町に出たくらいだし、残念なことに、二人以外の女性だけと町を歩いた経験は思いつかない」



 いや、よく考えれば婆やとはあった。

 でも対象外だろう。色々な意味で。



「曲がりなりにも領主の一人息子だし、フォリナーに限ってなら頑張れるってことだと思う。実際、帝都でエスコートしてって言われたら難しいよ。数日は勉強させてくれないと」



 返事を聞いて、ミスティは安堵した息を漏らしながら申し訳なさそうに。



「ごめんなさい。私、面倒な女になっちゃってた」


「大丈夫。そういうとこも込みでミスティらしいって思うし」


「……私らしいってなによ、もう」



 むすっとしているけど、意外とそれだけではないように見える。

 口角は僅かに緩み、声だってそう不満そうじゃない。

 むしろどこか嬉しそうだから、俺たちも仲良くなったもんだと実感させられた。



「――――うん?」



 ミスティがこの辺りの通りを歩いていた一団の姿を見て、不思議そうに俺の顔を見る。



「グレスデンの人たちが居たけど、どうして?」


「ああ、実はちょっとした取引があって」


「取引って……もう必要なものはなかったんじゃないかしら」


「実は別の話で取引が必要になったってところ」



 それはグレスデン人の一行で、ミスティはフォリナーの事情を知っているからこそ不思議に思ったようだ。

 というのは、リムエル・フェッセンが関わる話だ。

 彼は祖国のために自分にも一枚噛ませてくれ、と兼ねてより銀月大祭への大々的な参加を求めていた。しかし、フォリナーとしては必要な商会や貴族との折衝は済んでおり、求められたときにはもうその枠が無かったのだ。



 しかし、状況は少しだけ変わっている。



「資料を見てたとき、都合よく、、、、新しい情報が見つかったんだ。――――ミスティはあまり聞きたくないかもしれないけど、エルタリア島は覚えてる?」


「……ええ。ちょっとだけ苦い思い出だけど」



 何故かと言うと、第五皇子がミスティを嵌めた際に関わっているから。

 シエスタ魔法学園の制服に使われる布の他、宝飾品の製造で有名なエルタリア島が、グレスデンとの新たな取引に大きく関係している。



「あの島から届く荷物を運ぶ船を、海の魔物から守らないといけない。その護衛が足りなかったから、グレスデン側からエルタリア島に合流してもらって、そのまま護衛をしてもらってる」



 ……でも実際は、不足しているわけではない。

 普段より手薄ではあるが、わざわざ補充するまでもないくらいだ。

 だからこの件については、あくまでもついでの側面がある。



「ふふっ、本当にそれだけ?」


「ついでにあの海域に巣食う魔物の討伐とか……ああ、他にも帰りにうちに寄って、何故か市場で高騰してた穀物なんかを、少し抑え目の価格で買ってもらってる。うちの国は余ってたしね。ケイオスとかではどうかわからないけど」



 ここまで言えばミスティも完全に理解したらしい。

 仕方なそうに、でも優しい顔で笑っていた。



「それなりにお金が動く話ね。法務大臣殿はなんて?」


「この状況なら、恩を売るのも悪くないってさ。俺が都合のいい情報を見つけたときに、それを報告したら黒い笑い方をしてたよ」


「あの人らしいわ。けど、その都合のいい情報はどのくらい探してたの?」


「……さぁ。あんまり覚えてないや」


「ならもう聞かないでおく。これ以上は無粋になりそうだものね」



 我ながら甘いかと思ったが、金回りはぬかりない。

 しっかりと、シエスタが損をしないような内容になっている。



 もっとも、リムエルからの礼はない。

 別に気にしていないし、彼らが困った理由の一端にシエスタも関わっているのなら、短い礼も言いたくはないだろう。

 とか考えたけど、実際は別の理由がある。



(手紙が来てたんだよな)



 リムエルから、ちゃんとした場を設けて礼をすると手紙が届いている。

 なんでもあの男の父がシエスタに来るらしい。謝罪のためだけではなく、銀月大祭がはじまった際には、最初から足を運ぶつもりだったとのこと。

 が、俺としては別に必要ないし、父上も「……おう」と居心地が悪そうに頷いていた。



 ……それにしても、ラドラムはよくわからん。



 法務大臣という肩書の癖にあの男、随分と多方面に口を出し過ぎではなかろうか。

 頼ってる俺が思うのもなんだが、相変わらずなんでもできる男である。それに、権力の強さもどうかしている。全部今更だけど。



「そろそろいこっか」


「ええ」



 お代は最初に払ってあるから、後は席を立って店を離れるだけ。

 店を少し離れたところで、ミスティは最初と違い自然な動きで俺に腕を絡ませてようとしてきた――――が、俺たちの腕が絡まる寸前で、



「おっと、悪い」



 ミスティが人混みに押され、俺と距離が離れかけた。



「グレン!」


「大丈夫」



 手を伸ばしてどうにか止められたけど、俺も俺で背中を押されてしまう。代わりに、俺たちは近くの店の外壁に身体を預け、行き交う人々に更に押された。

 だから俺は少し強引にミスティの手を引いて、傍にあった隙間に身体を刷り込ませた。



「平気?」


「う、うん……平気だけど……これ……」



 その隙間は、立ち並ぶ店と店の間にあった僅かな場所だ。店同時の裏口があるわけでもない、一人歩くのも苦労するほどの狭さ。

 俺たちの顔は自然と近づき、互いの吐息が感じられるほどの距離にあった。



 俺の胸板に押し付けられた柔らかさから、早鐘を打つ音が伝わってくる。

 また、熱を持った双眸が俺をじっと見つめていた。



「――――あうぅ」



 すると、その熱を持った双眸が唐突にとじてしまう。

 ミスティは真っ赤になり、彼女の身体からは力が抜けていったのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇

 



 夜、ミスティアは目を覚ましてすぐに状況を察した。

 辺りを見渡して、ここがハミルトン家の屋敷にある客間であることも察した。

 その部屋のベッドの上で彼女は、昼下がりの失態を思い返す。



「……最悪」



 もう、涙が出てきてしまいそうなだった。

 せっかく勇気を出したのに、緊張で意識を失うなんて以ての外。この様子だと、気を失ってからはグレンの手により、この屋敷まで運ばれてきたに違いない。

 デートに誘った相手に介抱までさせるとは、もう言葉が出てこない。



 間もなく、涙が瞳に浮かびだした。

 だが、その瞬間だった。



「あ、起きた?」



 グレンがその客間を訪ね、ミスティが横になっていたベッドに近づいた。



「ごめん。まだ寝てると思って勝手に入っちゃった」


「う、ううん……私こそ……無様な醜態をさらしちゃって……」



 すると、グレンが笑う。



「無様って。別に俺は気にしてないし、ミスティが元気になったならそれでいいよ。――――ほら、まずは水でも飲んで」



 グレンはベッド横に置いていた水差しを取り、グラスに水を注いでミスティに渡した。

 ミスティはそれを数秒で飲み干す。

 喉が潤い、脳がより活性化した。



 その傍でグレンはベッド横にあった椅子に腰を下ろす。

 もう一度謝罪をしようと思ったミスティに対して、逆に口を開くことで口を閉じさせた。



「そうだ。プレゼントがあるんだった」



 そう言ったグレンは懐を漁り、小さな紙袋をミスティに手渡す。

 これを、私に? ミスティはまだ涙が残った瞳を、紙袋とグレンの間で往復させた。

 やがて開けてみてと言われ、彼女はそっと封を開けていく。



 中に入っていたのは、小さな花のペンダントがあしらわれたネックレスだ。

 取り出したミスティがそれを目の前に広げ、呟くように、



「これ……私があのお店で見てたもの……?」



 それは、流れからグレンがエスコートをすることになり、その最初に足を運んだ小物が並ぶ店でのことだ。

 グレンはミスティが手に取って、気にった様子だった商品がある事に気が付いた。彼はそれを、彼女が別の商品に気を取られてるうちに別行動をして、密かに購入しておいたという話である。



「つけてみる?」


「う、うん」



 まだ驚いていたミスティが素直に返事をする。

 だが、どうしたものだろう。

 彼女は肯定してみせたものの、どのようにしてネックレスを付けてもらうか迷っていた。

 しかし、ネックレスを付けてもらう方法はあまり多くない。

 今回グレンは、その中でも対面しての方法を選んだ。



「ちょっと待ってて」



 グレンはミスティが寝ていたベッドにやや身体を乗り出した。

 昼間ほどではないが、それでも近い。

 彼の両腕が自分の顔の横を通り過ぎていく様を、ミスティはじっと眺めていた。ネックレスを付けてもらうまでの時間が、長いようで短い、不思議な時間に感じてしまう。



「髪、避けた方がいい?」


「ごめん。ちょっと避けてくれると助かる」


「うん。これでいい……かしら」



 ミスティはその声に従ってうなじに手を伸ばした。

 絹糸を思わせる髪をそっと持ち上げその隙間へグレンの両手が入ってくる。

 微かに触れた彼の手がこそばゆい。

 けど、もっと触れてほしいと思わせる体温に身がよじれる。



 ネックレスを付け終えるまでの時間は、短いようで長い不思議な時間だった。



「ありがと」



 もういいよ、そう言われて髪から手を離す。

 ふわっと降りた髪の内側で、グレンがつけて間もないネックレスが光っていた。

 ミスティが横を向いた先にあった窓ガラスに、それが反射して見えた。



「……でも私、グレンに何も用意できてない」


「別にいいって」


「よくないわ! 私だけこんな……素敵なプレゼントに驚かされて……っ! 勝手に気を失っちゃったのに、これじゃ……っ!」


「じゃあ、また今度で」



 泣きだしかけたその寸前、グレンの声でミスティは枯れに振り向いた。



「また一緒にどこかへ行けばいいよ。そのときまで、楽しみに待ってるからさ」



 もう、どうすればいいかわからなかった。

 だから、気が付くとまだ近かったグレンに抱き着いてしまう。

 ……勢いよく、無意識に。

 そして、彼の背に回した腕に力を込めたのだ。





 ――――好き、です。





 声に出す勇気はまだ持てなくて、唇の動きだけでそれを伝える。

 が、顔は彼の胸板に埋めたままだ。

 伝わらなくて当然。勇気を持てない自分が悪いと知りながらだったけど、今度はその情けなさに涙が出そうになる。



 やはり、自分は面倒な女なのかもしれない。



 ……肩が震えそうになるも、不意に後頭部に熱を感じた。

 その熱は穏やかに、そして優しくミスティの髪を撫でていく。



「少し、落ち着いた?」



 数十秒ほど過ぎたところで、グレンの優しい声が耳に届く。

 ミスティはそれを受けて気が付いた。

 いつの間にか、さっきまでの負の感情が一切残っていなかったのだ。



「――――もう、ちょっとだけ」


「ん? なに?」


「……もうちょっとだけ撫でてくれたら、もっと元気になれると思う」


「なるほど、そういうことか」



 すると、止まりかけていたグレンの手がまた動きはじめた。

 髪をそっと撫でられるたびに、筆舌に尽くしがたい幸福感が身体に満ちていく。



 このまま口づけでもされてしまえば、どこまでも堕ちていけそうだ。

 それこそ、なすがまま。

 目の前の想い人のことしか考えられないくらいに。



「ミスティって、意外と甘えん坊だよね」



 茶化すような言葉は、ミスティの自責の念を解くためのものだ。

 当然、そう言われたミスティも冗談だって分かっている。

 だけど彼女は、「ええ」と頷いた。

 この日はきっと、そうとしか出来ない日だった。



「……けど、グレンの前だけだもん」



 それは喉を震わせない、吐息のような声だ。

 グレンに聞こえたらいいなと思いつつ、でも聞こえないでくれという面倒な感情に苛まれたがゆえの、表現できない女心による声だった。



 結果、その言葉はグレンの耳に届かなかった。



 だけどもうそれはいい。

 彼に撫でつづけられている間は、他のことを気にしている場合じゃない。

 髪の毛一本一本まで神経があるのかと錯覚する高揚感の中、経験したことのない甘美な時間に抗うことはできなかった。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 また幾日かの日々が過ぎ、フォリナーの宿がほぼ満室になった頃。

 ある朝に、火薬で鳴らされた大きな音が町中に響き渡った。



 ようやく――――いや、遂に。

 遂に開催に至った、銀月大祭初日の朝だ。



(すっご)



 今日より数日間に渡ってつづくこの祭りは、初日の朝からとんでもない賑わいだ。

 日が昇る前から仕事に励んでいた俺は、それを強く実感している。



 まず、来客の人数がとんでもない。

 基本的に領主は決められた予定に沿って移動するのだが、数十秒単位で予定が決まっていると言っても過言ではないのかもしれない。

 それくらい、国内外問わず来客が多く、成すべき仕事も多かった。



 シエスタ魔法学園内も忙しいと聞いているが、きっと今日はこちらの方が忙しい。

 と、俺は近くで目を回しそうになってる父上を見て思った。



「うむ。頑張っているようだな」



 港の一角に居た俺たちの下へ、唐突にミハエラがやって来た。

 うむ、じゃない。

 今日はあまり相手をしている余裕がないのだが……。



「そんな顔をするんじゃない。用事だ、用事」


「……用事ですか?」


「そうとも。君のところの婆やを通じて、アルバートの予定にちゃーんと組み込んでもらってある」


「分かりました。それなら大丈夫です」



 相手が相手だけど、今日は俺も強気にいきたい。

 そうでなくては余裕がないからだ。



「ちなみに、どのようなご用事なのですか?」


「とても重要な用事だ。ほら、前にリムエル・フェッセンを折檻してもらうべく、グレスデン本国から誰がしか呼ぶと言っていただろ? その相手が先ほど到着したのだ」



 それならそうと先に言ってくれ。

 遠慮なく嫌そうな顔をしちゃったじゃないか。

 俺はふてぶてしくも笑い、歩き出す。



(けど、もうリムエルの件は済んでるんだよな)



 しかし落ち着く前に呼んでいたから難しくもあろう。



「なんだろうな。我への対応が少しずつおざなりになってないか?」


「気のせいかと思います。元・皇女のミハエラ様に対し、無礼な対応をするはずがないじゃないですか」



 俺がそう言うと、ミハエラは「……では、気のせいだったのかもしれんな」と口にした。




◇ ◇ ◇ ◇



週一更新のわりに、最近の進行がのんびりですみません……。

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