白獅子との戦い【後】

 白獅子は四つの目を同時に細めた。

 グルルッ……と獰猛な吐息を口の端から漏らしている。



「雷帝ニ教エを乞ッタヨウダナ」



 俺は何一つ答えない。

 それを知った白獅子は大地を揺らす一歩を踏み出し、俺とリリィとの距離を僅かに詰めた。俺たちはそれに対応して一歩下がり、一定の距離を保ちつづける。



(さすがに馬鹿じゃないか)



 俺たちが向かっていたのは父上たちがいる、湖畔のレストランがある方角だった。しかし先ほどの攻防で立ち位置が大きく変わったせいで、背にしているのは明後日の方角だ。

 当然、方角を調整することを試みてみるものの、そうすれば白獅子が僅かに身体を斜め前に進めて阻止してくる。



「教えろよ」



 唐突に不遜な言葉を投げかけると、白獅子の眉が静かに吊り上がる。



「予定が変わったってなんのことだ。どうして俺たちを殺そうしてるんだよ」


「――――決マッテイル。アノ死ニゾコナイ、、、、、、、、ト協力関係ニアルカラダ」


「えっと……?」


「惚ケルカ。穢レニ良ク似合ウ態度デアルナァ……ッ!」



 そんなこと言われてもさっぱりだ。まずだれだよその死にぞこないって。それと、協力関係にあるってのもよく分からない。

 隣を見ても、リリィだって同じ反応をしている。



(何を勘違いしてるんだよ、あのライオン野郎)



 尋ねたところでどうせ惚けるなと言われるのが落ちだろう。そもそも、勘違いの元を機に駆けている余裕は俺たちにない。

 今さっきの攻防を思い返すに、立ち回りを間違えたら俺たちは一瞬でひき肉だ。



「ま、まぁいいけど……」



 咳払いを交え、肩をすくめながら。



「ついでに教えろよ。お前さ、なんで自分の部下を殴ったんだ」


「…………」


「あいつもそれなりに偏見持ちだったけどさ、それでも仲間想いの獣人だったと思う。それもあって分からない。あの場所でお前がイグを殺そうとする意味はあったのか?」


「――――アル」



 言い切った白獅子が六本の腕を翼のように広げながら言った。



「全テハ異人ノ未来ノタメ……ッ!」



 その言葉を聞き俺は悟った。

 俺たちに襲い掛かったこのライオン野郎は英雄と呼ばれているが、その中身は最低の屑で、犠牲も厭わぬクソ虫だってことを。



「ソシテ……偉大ナル預言者様ノタメナノダァアアッ!」



 奴の腕がすべて同時に大地を突く。

 剛腕から繰り広げられた拳は地響きを奏で、空を揺らす衝撃を放つ。



「オオオオオオオオオオォォォォッ!」



 耳が痛くなるほどの砲声が耳を刺した。

 俺は無意識のうちにリリィを片腕で抱き寄せ、ドラゴンスケイルで二人の身体を覆う。

 鱗越しに見えた白獅子の足元で、六つの拳に突かれた大地から眩い光芒が漏れ出す。目を反らすことなく警戒していると――――。



「グレン様ッ!」



 不意に、俺たちの足元が湧きたつように隆起をはじめ、大きな揺れを催す。

 リリィの必死の声を聞いた俺が彼女を片腕で抱き寄せたまま背後に飛び跳ねると、今まで立っていた大地を貫く鋭利な岩石を見た。



 まるで石の剣だった。



 地中から現れた鋭利な岩石が天を穿たんと空に伸びていく。

 それは俺たちが飛び跳ねた先の大地から、更に避けた大地からも。



(見る限り地属性の単属性使いシングルか)



 だが、シングルと侮ることはない。

 俺はよく知っている。あのクリストフという化け物に教えを乞っている俺は、一つの属性を極めた者がどれほど脅威になるかよくわかっている。

 いくら一般的な強さの指標が多くの属性を使えた方が高かろうとも、この事実は変わらない。



 ――――それにしても。



「英雄ってのは誰もかれも派手な魔法を使うのかよ……ッ!」



 幾度となく大地から天を穿つ岩石の上を必死に駆ける。

 飛び跳ね、躱し、剣を突き立て登っていく。

 途中で「守られるだけの女ではございません」とリリィが口にして、彼女も俺と同じように隣を進み、白獅子の攻撃に耐えていた。



「余裕は!?」


「ありますけど……何を……ッ!?」


「やられるだけなのは性に合わない! いい加減あのくそ野郎もこっちに来そうだから、俺からも動きたいッ!」



 俺は剣と岩石の間で視線を交錯させ、リリィに意図を伝える。

 こうしている間にも岩石が伸びて襲い掛かって来ていた。



「これほどの岩石ですわよ……ッ!?」



 僅かに平坦な箇所で足を止めたところでリリィが言う。俺も彼女に倣って足を止めたが、こちらはすぐに前に進み、岩肌から下を見下ろした。



「大丈夫。これなら斬れる」



 だから気合で持ちこたえるように。彼女の身のこなしなら余裕だろうけど、何も言わずにするのもどうかと思って告げたのだ。



 俺は剣を構えると、すぅ――――っと深く呼吸する。




(不思議だな)



 命を懸けてまでする必要はない。今までのように躱しながら攻撃の隙を探ればよかったのに、俺はどうしてこんな危険な真似をしているんだ。

 自問していると、頬が自然と緩みだす。

 俺はきっと、絶対に大丈夫だと分かっていたのだ。

 この手にした剣があれば、たかが大岩を断てないわけがないと確信していた。



「預言者様ァアアッ! 今スグニ御身ノ願イヲォォオオオオオッ!」



 剣を振り上げると同時に白獅子が飛びあがる。

 辺りに生えた岩石を足場にして、あっという間の俺を目指して足を進めた。



 俺はと言えば――――。



「色々な戦いをしてきた。でもな――――ッ!」



 哀れみと嘲笑を込めたような瞳を白獅子に向け、膂力を込めた両腕には憤怒も交えて振り下ろす。



「お前ほどの小物ははじめてだよ……白獅子ッ!」



 足元の岩石が一閃、何の抵抗もなく断ち切られていく。

 背後ではリリィが近くの岩石に乗り移るため飛び跳ねた。



「ヌゥ……貴様……ッ!」



 一閃が奔った箇所の上を強く蹴る。両断された岩石が近づく白獅子に向かっていく。

 奴は躱すことはせず、六本の剛腕を振り上げた。

 逆に俺はまだ落ち切っていない岩石を今一度足蹴にすると、迫り来る白獅子に向けて岩石を加速させる。



 しかし白獅子は振り上げたままの剛腕で受け止め、軽々と砕く。

 俺に飛んでくる石礫が銃弾のようだった。

 こちらも躱し、剣で断つことで防ぎながら、戦いやすくなるよう態勢を整える。



「ッ……!?」



 乗り移った岩石からリリィの驚く顔が視界の端に見えた。



「こいつは俺がどうにかする! リリィなら俺が何をしてほしいのかわかるはずだッ!」


「私に……? ッ――――え、ええっ! わかりましたわッ!」



 言葉を交わし終えるや否や、崩れ落ちた大岩を抜けた白獅子が俺の面前で。



「余ヲ小物トハ、大キク出タモノヨォッ!」



 俺は息をのむほど疾く届く剛腕へ向けて剣を振る。

 互いの剣と拳がぶつかり合うことで、強烈な閃光と風圧が辺りに波及していく。



「小物以外の何物でないだろッ!」


「クダランナァッ! 命ヲ狙ワレタカラト情ケナイッ!」


「勘違いするな! 俺がお前を小物って言ったのは、お前自身の振る舞いに対してだッ!」


「ナニヲ――――ッ!」



 一度喰らえばひとたまりもない剛腕を躱し、何度も剣を振って攻撃を仕掛ける。しかし奴も奴で拳で防ぎ、切っ先が肉を断つまでたどり着けない。



「お前どうせ、俺たちを殺した罪をすべてイグに擦り付けるつもりだったんだろッ!? それから俺たちのことも殺しても、自分はイグを断罪しただけの目撃者として謝罪すればいいだけだからなッ! イグのガルディア人差別はきっと有名だろうから、その暴走とでもいうつもりだったんだろッ!」


「デアレバ何ダト言ウノダァッ!」


「何も知らない元帥を捨て駒にするのが異人のためなんて、矛盾してると思わないのかよッ!」


「スベテハ預言者様ノッ! 我ラ異人ノ大願ヲ果タスタメデアルッ! 犠牲ニ成ロウト、イグハ本望デアロウッ!」


「もういいッ! お前はやっぱり小物だ! 異人のためとか言っておきながら、預言者っていう奴の願いのために動いてる獣人の裏切り者だッ!」


「コノ――――穢レガァァアアッッ!」



 白獅子の剛腕が眩く光った。

 俺へ振り下ろされる疾さが段違いに高まった。躱すだけでその勢いが空を駆け巡り、周囲の岩石にヒビを入れる。

 地響きの音が天高く響き渡っていく。



「ソノ口デェッ! 預言者様ヲ語ルコトハ余ガ許サンゾォッ!」



 憤怒に駆られた拳が俺の横っ腹を掠めた。



(なんて膂力なんだよ……ッ)



 本当に髪の毛一本ほど掠めただけだったのだが、全身を駆け巡った強烈な痛みに頬が歪む。恐らくこの白獅子という男、俺が今までであった中で最も膂力に富んでいるのだ。



(けど、丁度いい)



 安い挑発はあまり趣味ではないし、英雄と謳われるならあまり効きそうにないものである。しかし白獅子に対しては利くようだ。それが預言者とやらのことになれば、信奉する神を侮辱されたが如く怒り狂う。



(預言者って、聖地で一番偉いんだっけか)



 誰だったかあまり覚えていないが、確かラドラムから教えてもらったはず。

 では、この安い挑発をもう少しだけつづけよう。



(……その方が勝ちやすい)



 挑発するごとに高まる白獅子の力と疾さを前に、どれだけ耐えきれるか定かじゃない。掠っただけで相当なダメージを負わせられる拳を前に覚悟をするのは、若干の気合を要した。



「父上の領地の近くにハクロウを放ったのも、その預言者ってやつの願いなのか」


「貴様ァ……言ウニ事ヲ欠イテ……ッ! ヌゥォオオオオオッ!」


「くっ……疾……ッ!」


「貴様モ! 貴様ガ協力ヲ得タアノ男ニモ神罰ヲ代行スルッ! 最期ニ誰ノ指金カ答エヨッ!」


「だからお前……ッ! 知らないんだよッ! 俺はッ!」


「マダ惚ケルカァアアッ! 愚カナ! 分カラナイト思ウタカッ! 氷姫ガ貴様ヲ傍ニ置クノガ証明二他ナランゾォッ!」



 背中に冷たい汗が伝う攻防の最中、俺はふっと気が抜けた。

 ここでどうしてミスティが出てくる?

 すぐに全身に力が宿り、白獅子がミスティにまで手を出さんとしていると思って咆哮する。



「言ってみろッ! ミスティに何をするつもりなんだァッ!」


「神罰ヲッ! スベテ分カッテイルッ! カノ皇女ハ許婚ノ代ワリニ貴様ヲ傍ニオイタコトモッ! アノ男ヲ仲間ニ引キ入レ、聖地ニ仇為サントシテイルコトモッ!」


「……許婚の代わり、だって?」



 きょとんとした声を漏らした俺を見て白獅子が高笑いを交えて言う。



「クハハハハハッ! 聞イテオラヌノカッ! カノ皇女ハ、ガルディアニ嫁グコトニナッテイタッ! 生マレテイナカッタ、ガルディア国王ノ嫡男ニ嫁グコトニナッテイタノダゾッ!」



 こんな状況下で聞きたくはなかった。

 本人がいないところで、彼女に知れずに聞いてしまったことに俺は申し訳なさを募らせた。



(そういうことだったのか)



 ミスティが国内外の貴族から求婚されることが極まれで、正妻として迎えられることに忌避感を抱かれていた理由がそれだったのだ。



 いくらシエスタが聖地の影響が薄いと言え、これでは仕方ないだろう。



 生まれながらにガルディアに嫁ぐことが決まっていた皇女のことを、まるで忌み子のように、腫物を扱うかのようにしてしまう者が生まれるのは誰にも止められなかったのだ。

 他国に関して言えば、聖地の影響力もあり特にそうだろう。



「故ニ余ハ貴様ラニ神罰ヲ下スッ! 預言者様ニ、聖地ニ仇為ス者ハ滅ビネバナランノダァアッ!」



 白獅子の剛腕が同時に六本、すべて俺の身体を狙いすまして襲い掛かる。

 こんなの躱しようがない。

 ただ、躱す気があるかどうかは別問題だ。



「…………お前、やっぱり小物だよ」



 剣を天高く放り投げ、両手を前に押し出し複製する。

 これまでより更に分厚く重ねたドラゴンスケイルを以て、英雄の剛腕を真正面から受け止めた。

 俺の身体はそのまま勢いに押され、近くの岩石を貫通して宙を飛ぶ。

 だが、そこには白獅子がそのままついてきて、猶も俺に向けて拳を振るった。



「預言者様ノタメッ! 預言者様ノタメェエッッ!」



 ドラゴンスケイルは今までの倍以上も複製していたのというのに、崩れ去る速度はその倍以上であった。白獅子の勢いが増しているのがよくわかる。



「コレデ――――」



 最後の一枚が砕け散り、拳が俺の心臓目掛けて突き出される。

 このとき、俺は一際巨大な岩石を背にしていた。



「終ワリダァアアアッ!」



 言葉にしてしまえばシンプルな攻撃でしかない。

 だが、そのシンプルな攻撃を人外の領域で磨き上げ、戦略の一つに出もできそうな力にまで昇華させたのがこの白獅子、英雄と呼ばれる男だ。



 故にこの男の拳は兵器である。

 一振り一振りが、砲弾に勝る凶悪な兵器に違いなかった。



(さすがだよ、リリィ)



 俺はその中でも白獅子の背後を見上げ、ふっと微笑む。

 この瞬間に舞い降りた剣をすぐさま正眼に持ち、猶も白獅子の背後を見た。



 にやりと笑うと同時に、白獅子の拳が俺が構えた剣とぶつかり合った。剣から鈍い軋音が鳴りだした。幸い砕ける様子はないが若干肝を冷やしてしまう。

 奴は依然として俺に前へ前へと力を込める。

 俺に気を取られ過ぎてくれて、本当に本当に助かった。





「白獅子。バルバトスって知ってるか?」





 辺りに舞っていた礫が紅く光りはじめ、そのまま重力に従い落下しだす。

 それらは不意に、夜風にさらわれながら集まりはじめた。

 すると、深紅の光線と化して白獅子の背へと向かっていく。



「グォ……ォ……コレ、ハ……ッ」



 白獅子が俺の傍を慌てて離れ、自信に向かってくる深紅の光線から逃げまどう。毛皮が焼ける香りが漂いはじめ、岩々を駆け巡る様子はダンスを踊っているようだった。



「最後の最後まで分かりませんでしたわよ」


「ごめんって。これを思い付いたのも偶然だったからさ」



 傍の岩肌に降り立ったリリィが月灯りを帯びた可憐な笑みを浮かべて言った。



「リリィの火と風の魔法があれば、あんなこともできるだろうなって思って」


「もう……私が意を汲めなかったらどうしていたんですか?」


「大丈夫大丈夫。――――絶対に大丈夫って信じてたし」



 そう答えると、リリィが俺の額に手を伸ばして汗を拭った。

 気が付かなかったが、かなり汗をかいていた。背中なんて冷たくて気持ち悪いし、さっさとシャワーを浴びてベッドに倒れ込みたいくらいである。



(……この機を逃すわけにはいかない)



 ほんのわずかに休憩に浸ってから、彼女と目配せを交わして足を踏み出す。



「白獅子ィッ!」



 俺の間合いに至ってからはこれまでのお返しのように剣を振った。

 リリィの魔法を受けて躱すことに専念した白獅子へ、容赦なく。



「ヌゥ……ッ!」



 白獅子の拳を断てる気はしなかったけど、こうして力を込めて振り下ろせば、奴の体毛を断つことはできた。その先にある筋肉を覆った皮膚だってそうだった。



(これならいける……英雄を倒せる……ッ!)



 僅かながら希望を見出し、これまで以上に力を込めた。

 剣筋は更に鋭利に、白獅子の反撃を見切る目もより一層鋭くなった。



「ぜぁぁぁぁあああああッ!」



 そして、はじめて完全な隙を見出した。空中で戦う中、崩れ落ちた岩石を足蹴にした俺が奴の背に回り込む。

 大振りの剣が勢いよく振り下ろされ、白獅子の背から現れた二本の腕に食い込んでいく。



「グォオ……コノ、穢レガァァアアアアアアアッ!」



 白獅子が振り向きざまに他の剛腕を振り回す。

 だが、遅かった。

 俺の剣が僅かに早く二本の腕を断ち切って、鮮血をまき散らせながら宙を舞う。



「ッ~~!?」



 白獅子の声にならない叫びが木霊する。

 このままなら、いける。



「これで終わらせるぞ……白獅子ィィイイッ!」



 二本の腕を断たれ痛みに堪え、更に身体のバランスも崩れた白獅子へ決死の覚悟で立ち向かう。

 このまま、更に奴の腕を断ち血を流させれば勝利は目前だ。



 しかし――――。



「貴様デハナカッタ……ッ! コレハ余ノ失態デアルナァアッ!」



 四本の腕を一点に、俺の剣へ向かうように振り回した白獅子。

 それはまるで死に物狂いの攻撃だった。

 同じく宙で戦う俺に向けられた拳は剣で迎え撃つも、基本的な膂力の差で俺の身体が後方へ吹き飛んでいく。



 途中、崩落する瓦礫を足場にして止まったが、白獅子はすでにこちらに背を向けていた。



「貴様ダケナラバ恐レルニ足ランッ!」



 白獅子が向かう先はリリィが立つ、まだ無事な岩石の頂上付近。

 さっきまで俺も居たその場所だ。

 そこを目掛けて走る白獅子の目的は、言わずもがなリリィである。



 戦場であれば相手が女性であろうと関係ない。

 ただでさえ、白獅子は俺たちを二人とも殺すつもりなのだ。どちらを狙うかで小物か否かを論ずるつもりはないし、この状況下であればリリィを狙うのが当然であることはわかる。

 逆に言えばここまで追い込んだ証拠でもあるのだから。



「ッ……お前!」



 俺は崩落する瓦礫を足場に辺りを飛び交い、岩石を駆けあがる白獅子を追った。

 リリィはこれまで集中して魔法を使っていたからか、下がるまでの動作が僅かに遅れている。



 このままでは――――ッ



(絞り出せよ……グレンッ!)



 余力なんて考えるな! 後先を考えている余裕なんてない!

 魔力を練り、身体強化を更に一段階上げなければ間に合わない!



(動け……もっと疾く……ッ!)



 全身が軋みを上げる。

 壊れた歯車が無理やり噛み合うような、おおよそ人体から鳴り響くにはおかしな音を全身で奏でながら、リリィを殺さんとする白獅子を追う。



 近づける。これなら間に合う。



 瞼からは血の涙を流し、全身のいたるところからも。

 そうまでなるほど身体を酷使して、遂に――――。



「リリィッ!」



 白獅子のリリィの合間に身体を滑り込ませた。

 ここに居たリリィからすれば、本当に一瞬のことだっただろう。彼女ほどの手練れが動けず、あっという間に距離を詰められたのだから。

 ここにいる白獅子というのはそれほどの男であり、その男の疾さに追いつけた自分のことを俺は褒めたくなったくらいだ。



「グレン………様……っ?」



 俺はそのままリリィの身体を抱き寄せた。

 ドラゴンスケイルを出す暇は……なくはなかった。だが、十分な数ではない。枚数にして四枚のそれで右腕を覆った俺は、そのまま右腕を盾にして俺たちの身体を隠す。



「驚嘆ニ値スル疾サダガ――――愚カナッ!」



 手負いのはずの白獅子から繰り出された剛腕が俺の右腕に。

 ドラゴンスケイルは瞬く間に崩れていき、俺の腕へ届いてしまった。



「ッ~~ぐ……ぁ……ッ」



 まだ、さっきまで使っていた身体強化が残っていたから助かった。

 残っていなかったら、どうだっただろう。きっと俺の身体は破裂して、肉塊と化していたことは容易に想像できる。



「グレン様ッ! グレン様ァッ!」


「だ、だいじょ……ぶ……だから……っ! リリィ、は……!」


「ええ! 分かっております!」



 俺たちはリベリナを出てきたときと同じように、空中から流星のように大地に近づく。

 リリィにはまだ余裕があった。そのため、衝突した結果で肉塊になると言うのは避けられたが……。



(ッ……ものすごく、ヤバい……ッ)




 片膝立ちになった俺の隣でリリィが寄り添う。彼女は俺が何をヤバいと思ったのか、俺の右腕を見てすぐに気が付いた。

 絶句した彼女が目の当たりにしたのは、骨がぐちゃぐちゃになり、不規則に折れた俺の右腕だ。



「……逃げろ」


「……いま、なんと?」


「逃げろ、って言ったんだ」



 あまり意識が持ちそうにない。

 痛みに加え、魔力と身体の酷使で今にも倒れてしまいそうだ。



「俺がなんとかして少しだけでも時間を稼ぐ」


「――――イヤ」


「きっと父上たちが異変を察知して近づいてくださってるはずだから、運が良ければ生き残れる」


「――――イヤ、です」


「大丈夫。時間稼ぎくらいならもうちょっと踏ん張れるから」



 俺たちの方へ降りてくる白獅子の姿が見える。

 まるでスローモーションだ。本当に本当にゆっくりに見える。



「――――絶対にイヤです! 私と踊ってくださるって約束したではありませんかっ!」



 現実問題、無理であることは彼女も知っているだろう。

 だから大粒の涙を流し、身体を震わせながらも俺に寄り添っているのだ。



(もう、エルメルを複製するだけの余裕もないな)



 そもそもあれはクリストフから貰った魔道具がなくば複製できないほどの魔法だ。満足のいく状態でも出来るかどうか危うい。



「ココマデ余ヲ追イ詰メルトハナ」



 ゆっくりと歩き、こちらに近づいてくる白獅子。

 奴も戦えなくなるまでもう少しなのに。

 腕を二本も経たれたせいで、血を流し過ぎていることはここからでも分かる。……だというのに、勝敗は決したも同然だ。



「サテ」



 その白獅子の足が少し離れたところで止まった。

 それは俺の間合いを一歩外れたところである。



「グレン様のことは私がお守りします」



 リリィは限界まで様子を伺い、無駄な魔力を使わぬようにと白獅子を睨みつけている。



「好キニスルトイイ。余ハコノ場カラ動カヌ」



 そう言うと、白獅子は四本の腕を大きく広げ、光を蓄える。

 アレだ。縦横無尽に岩石を生やす魔法を放とうとしているのだ。



(やめろ……)



 それをされてしまうと、リリィではどうしようもない。

 最初は躱せよう。しかし既に魔力も体力も消耗しているのだから、今までのようには躱せない。しかも俺が動けないのなら、白獅子は悠々とリリィだけを殺しに掛かれるはず。



「…………ふふっ。こうして抱きしめるなら、もっと静かな場所が良かったですわね」



 耳元で、彼女がいつもと違い消沈した声で言った。

 しかし顔を見てみると、僅かに震えながらも健気に微笑み、俺を勇気づけようとしているのが見て取れる。



(なんて――――)



 なんて、綺麗な女の子なんだろう。

 魂に至るすべての要素が、少しも汚れていない無垢な女の子に思えた。



 その女の子を、自分は守り切ることができない。

 この事実を突きつけるように、白獅子が剛腕を地面に向けて振り下ろしはじめる。同時にリリィが俺の身体を更に強く抱き、いつでも動けるように構えた。



(――――諦めるなよ、グレン)



 俺はリリィの腕を払いのけ、痛み、そして悲鳴を上げる全身を酷使して立ち上がる。

 リリィを守るように立ちはだかると、まだ無事な腕に剣を構えてふらっ……ふらっ……と歩みを進めた。



「リリィ、絶対に逃げるんだ」



 彼女はやはりもの言いたげであったものの、俺が先に口を開くことで黙らせる。



「大地ニ沈メ――――穢レ共ヨォオオッ!」



 やってやるんだ。

 さっきだって、土壇場の複製で上手くいっただろ。



「お前こそ――――ッ」



 白獅子の剛腕が大地にたどり着き、拳が大地にめり込む。

 俺は剣を逆手に構え、同じように大地を穿つ。



「くだらない願いと共に――――地獄に落ちろォッ!」



 白獅子の拳と俺の剣がほぼ同時に大地に到達した。

 すると、拳がめり込んだ大地から光が生じるのに倣い、俺が突き立てた剣からも同じように光が生じだす。



 背後でリリィが、目の前では白獅子がその光景に驚いていた。



「逃げろッ! リリィッ!」



 これは俺の複製魔法だ。

 できるかわからない。でも、やらないで終わるなんて嫌だったから、白獅子が使う岩石を生み出す魔法を複製することを試みた。



 そのため、同じような光が大地から生じ――――。



「馬鹿ナ……余ノ力が消エテ……!? マ、マサカコレハ――――ッ!?」



 驚きの声に応じ、俺が放った光と白獅子の光が交じりあう。

 いつしかそれは一際眩い閃光となり、空へ延びて夜の天球を穿った。

 光が収まったとき、俺が見たのは何も起こらなかった大地だ。



(俺の複製はおろか……白獅子の魔法まで……)



 何が起こったのか意味が分からない。

 戸惑う俺の耳へ、背後からリリィの声が届く。





「――――嘘。魔法の『相殺』は夢物語だったはずじゃ……!?」





 つづけて、目の前から白獅子の声が届く。



「アリエヌッ! 全クノ同等! 魔力ノ質モ発動モ! スベテガ同等デ無クバ『相殺』ハ発生シナイッ! ソンナノハ研究者タチの夢物語ダッ!」


「はぁ……はぁ……お前、何言ってるんだよ……?」


「貴様ハ何ヲシタノダッ! 魔法の『相殺』ナンゾ現実ニハアリエヌッ!」


「だからお前、さっきから何を言ってるんだよ」


「同ジ質ノ魔力ナンゾ生ミ出セルハズガナイッ! 同ジ顔ガ存在シナイヨウニ、魔力モマタソウダカラダッ!」



 元より聞き取りにくい声色だったのもあるが、消耗しすぎたせいで白獅子の言葉があまり頭に入ってこない。

 だが、十分だ。

 どうしてか分からないが、白獅子の魔法をかき消せたのならそれでいい。



「つづきをするぞ……白獅子」



 俺は前に足を進めた。酷使して、無理やりに。

 すると、白獅子はなぜか後退する。



「貴様………何ヲ隠シテイルノダッ!」


「何も。しいて言うならこの前、父上が隠してた甘味を内緒で食べたってことくらいだ」


「ッ……止マレッ! 止マラヌカッ!」



 よく分からない。止まれと立てつづけに喚き散らすように言ってるのが、よく分からないが滑稽だった。



「ク――――ッ! 逃ゲテハナラン……ッ! コノ者ハイズレ、預言者様ノ敵トナル……ッ!」


「だからお前、さっきっから何を言ってるんだよ」



 なおも歩みを止めない。

 一歩、そして一歩と歩き、どうしてか狼狽える白獅子に近づく。だがその白獅子も闘気を取り戻したようで、腕を大きく広げ俺に迫りくる。



 幸いにも勢いは先ほどまでより遅い。

 奴もまた消耗しているようだ。



「ヌゥゥオオオオオオ――――ォォオオッ!」



 剛腕が四本も。

 ……ほんっとーに嫌だな。



(ガルディア王国、どれだけ強かったんだよ)



 こんな英雄が何人も必要となり、それでも多大な犠牲を強いられたというたった一つの国。その国と戦い生き残った白獅子という男の凄さもよくわかるが、俺はそれ以上に、その白獅子やそれ以上の戦力が揃わなければならなかったガルディアの凄さを再確認した。



「本当ノ終ワリダ――――ッ!」



 気が付くと、拳が前にあった。

 睫毛一本分の間しかないその先に、奴の拳があったのだ。



(終わりだな)



 俺がそう思い、少しでも時間を作れただろうかと思った――――。

 その、刹那のことだった。



「……え?」



 ふと、世界が灰色に包まれたのだ。

 走馬灯にしてはどこかおかしい。

 それどころか、この空間の雰囲気には覚えがある。



 だけどそんなはずがない。

 あの男は死んだんだ。



 ……だけど、どうだってよかった。

 どれでもいいんだ。

 俺にとっては、ただこの白獅子に一矢報いれるならなんだっていい。



「ァアアアアッ! ――――ア……ぁ……あ……?」



 先ほどまでが夢の世界だと思ったわけではないけど、俺はどこか感覚が鈍いまま剣を振り、白獅子の身体に埋め込まれた聖石を砕いていた。

 そのまま体を反らし、歩き去るようにしてすれ違う。



 すると、白獅子はこちらに振り向いて、何度もまばたきを繰り返す。

 彼は聖石が埋め込まれていた場所を探すようにして手を当てて、それが亡くなっていたことに気が付くと――――。



「これは何故……? よ、預言者様……余は貴方から授かった聖石を――――ッ!?」



 身体が元通りになりはじめる中、彼はどこかへ走り去っていってしまったのだ。



「もう……」



 よくわからん。

 全部が全部よくわからなすぎて、痛みが限界だしで何も考えられない。



 でも、わかったこともある。



 倒れてしまいそうになった俺の傍にリリィが来て、抱き留めてくれたこと。

 それと、重い瞼を閉じてから、ぎゅっと抱きしめられたこと。

 最後に結局よく分からなかったけど、唇に暖かい感触を重ねられたこと。




 この三つを考えながら、俺は意識を手放したのである。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 白獅子は街道を駆け巡り、先日グレンとリリィが向かった森に足を踏み入れた。

 彼はそこで天を仰ぎ見て跪き、幾度となく懺悔の言葉を口にしていた。



「ああ、預言者様。敬虔なる信徒である余に、どうか道をお示しください」



 そうしていたら、声がした。

 背後から相手を馬鹿にする笑い声が届いてきたのだ。



「あァ~ん……? お、さすが猫野郎! まだ生きてんじゃねェか!」


「誰だ貴様――――は……」


「覚えてんだろ。あァほら、欲しいだろうと思って猫じゃらしを持って来てやったぜ。土下座して礼でも言えよ、猫野郎」



 白獅子は飛び跳ねた。

 身体の異変に気が付きながら、彼はまだ変貌が残る身体のまま来訪者に牙を剥く。

 しかし、その牙は届かなかった。



「ニャーニャー喚くなよ。てめェが俺に勝てるわけねェだろ。いいから黙ってろ、そうじゃないと、話を聞く前に殺しちまいそうだ」



 やってきた者はいつの間にか、白獅子の背に立っていた。



「なぜ生きていた――――カールハイツ、、、、、、



 白獅子はそう言うと、じっとカールハイツの様子を伺った。


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