至れり尽くせり。
俺たちを乗せた馬車は宿泊予定の宿に到着した。
聞くところによれば、この中立都市リベリナにおける一番の宿だという。
宿のエントランス部分は広く、多くの客で賑わっていた。
シエスタの一行はシエスタが大国ということに加えて、皇族や大貴族が同行しているということもあり、宿の受付や他の客に注目されていた。
「グレン。我々の部屋はあちらから行くようだ」
父上が示した方角はエントランスの奥だ。大理石調の石畳を進んだ先には、左右に分かれた天井の高い回廊が広がっていた。
道が分かれている理由は、この宿が二つの高層建築で構成されているからだろう。
ここに来る途中、ラドラムと同乗した馬車の中から様子を見ていたから分かる。
「……帰りたいなー」
俺の傍を歩くラドラムが言った。
後ろからは、アリスとミスティが楽しそうに話をしている声が届く。久しぶりの遠出ということで楽しんでいるようだ。
「早すぎるだろう」
父上が呆れ半分に言うと。
「僕、思うんですよねー。わざわざ顔を合わせて話す必要ってあります? このご時世、お金を積めば飛竜便とかで手紙を届けられるわけですし。アルバート殿も、わざわざ七つの国の代表が集まる意義がない気がしません?」
ラドラムがまくしたてるように言った。
すると父上は「確かに」と前置きして頷き返す。
「うむ。私もそう思う」
(父上がこの人に同意した……)
「此度の会談も、どうせこれまでと変わらん。互いの国に探りを入れ、牽制を入れるだけの場になろうさ」
「そうなんですよ! 面倒なことこの上ないですよね――――って、アルバート殿の態度に驚いてるグレン君もそう思わないかい?」
完全に看破されてたことに悔しさがないわけではなかったけど、俺もあまり隠す気が無かったから、あまり気にはならない。
「顔を合わせてないと話せないこともあるんじゃないですか? 後ろめたいこととか」
「おや、グレン君も分かって来たね」
「やめてくれ。これ以上我が子に変な知識を植え付けるんじゃない」
「いやだなぁ……。僕が何か教えたことはないですって。そうだよね、グレン君?」
「ですね。近くで影響を受けた気はしますが、それぐらいじゃないかと」
「グレン君は感受性が豊かだからね。素晴らしい長所だよ」
受け流すように、涼し気な声と態度のラドラムに俺と父上の毒気が抜かれる。
軽い足取りで歩くラドラムは相も変わらず舞台役者のように仰々しいが、それがよく似合う。
そんなラドラムは回廊の突き当りで足を止めた。
俺たちの目の前には、華美な彫刻が施された石造りの扉が立っている。
「爺や! 僕たちの部屋は何階だったっけ!」
アリスたちのさらに後ろを歩いていた爺やさんが近づいてくる。
「四十階でございます。上にはレストランやサロンが敷設された階しかない、と覚えてくださいませ」
「そりゃいいね! 眺めが良さそうだ!」
すると、爺やさんが石造りの扉に手を当てる。
扉は青白い光を放ちながら点滅し、十数秒も待ったところで開かれた。その先に広がっているのは、縦横5メイルほどの空間だった。
(もしかして、エレベーターなのか?)
驚かされた俺は父上たちにつづいて中に入った。そうすると、扉の裏側に付けられたいくつものスイッチに気が付いた。
爺やさんはそのスイッチの中でも四十と書かれたスイッチを押した。
足元に届いた僅かな感触から、上に向かいだしたことが分かる。
「気になるのかい?」
スイッチを見ていたら、ラドラムに顔を覗かれた。
「これも魔道具なんですか?」
「さすが、理解が早いね」
ラドラム曰く、この巨大な魔道具で上の階に移動するそうだ。勿論、階段もあるらしい。けれど、四十階まで歩いて上るのは疲れてしまう。
アンガルダにあった大時計台を必死になって上った記憶が脳裏を掠めた。
「グレン様は魔道具にご興味がおありですか?」
「ええ。ある方だと思います」
「では僭越ながら、この爺やからご説明を。――――ご存じかと思いますが、魔道具は魔力を燃料に動く道具のことでございます。動作に必要となる魔力は。人の手を介して充填されます」
「人の手って、たとえば俺でも大丈夫なんですか?」
「勿論です。魔道具には必ず核となる部品がありまして、それに触れることで魔力を流すことが可能となります。身に着ける魔道具であれば、装備しているだけで問題ないほどですよ」
たとえばアリスが使っていた魔道具とかだろうか? 魔道具は俺が考えていたより取り回しが簡単なようだ。
「しかしながら、これほど大きな魔道具はあまり多くありません。ただでさえ魔道具職人は少ないですし、この大きさでは管理するのも一苦労ですからね」
「質問つづきで申し訳ないのですが、どうして魔道具職人は少ないんでしょう?」
「特別な資質が必要なのです。魔法に適性があるように、魔道具を作るにも特別な才能が必要なのですよ」
「なるほど……道理で……」
俺は不意に気になって、壁際でアリスと並び合って立っていたミスティを見た。
「城にはこういう魔道具ってないの?」
「一応あるけど、私は歩くほうが多いかしら。お城ではお父様が使うことが多いから、ちょっと遠慮しているの」
あんな馬鹿みたいにでかい城を歩くほうが多いとは。恐れ入った。
俺はラドラムの手前いつもの調子で放さないアリスと目を合わせた。アリスは軽く首を横に振り、唇の動きで。
『私はたまに借りてますけどね!』
こう俺に返事をした。
……それにしてもあるのか。エレベーター。
今まで知らなかったが、今度城に行った際には、是非とも使わせてもらいたいものである。
◇ ◇ ◇ ◇
部屋に着いてから考えた。というか、ここに来るまでにも何度か考えていた事なのだが、中立都市は金を持ちすぎではなかろうか。
「婆や」
俺は部屋の中央に置かれた巨大なソファの横に荷物を置き、腰を下ろしてから婆やに尋ねた。
「はいはい。なんですか坊ちゃん」
「この宿って中立都市が経営してるんだっけ」
「そうですよ。ひいては中立国家リバーヴェルの経営とも言えますね」
それを聞いた俺は部屋の中を見渡した。
最上階にある部屋は当然ながら、一番高価な部屋であるそうだ。つまり、何から何まで高級品ばかり。
ソファなんか包み込まれそうな感触で気持ち良いし、分厚い絨毯は歩き心地が大変よろしかった。
天井だって、十メイルぐらいありそう。
しかし、ここはあくまでも一室の中にあるリビングスペースで、他にも寝室や浴室だってある。
……今日から少しの間、俺は一人でこの部屋を使えるわけだ。
「無駄遣いだ……」
「坊ちゃん。そうはいっても、国の代表として来ていますからね」
「俺は付き添いだけどね」
「だとしても、です。シエスタは大国ですから、見栄を張ることも大事ということでご理解くださいな」
分かってはいたがストレートに言い過ぎではなかろうか。
まぁ、聞いてるのが俺だけだし、恐らく父上も似たようなことを言うだろう。
「そういや、父上たちの部屋はどこだっけ」
「旦那様のお部屋はすぐお隣です。ミスティ様とアリス様のお部屋はその反対側の隣です」
つまり、俺の部屋は父上の部屋と、あの二人の部屋に挟まれている。
「二人は同じ部屋なんだ」
「そう聞いておりますよ。それと、ローゼンタール公爵は旦那様のさらに奥のお部屋でして、我々給仕や騎士の部屋も近くにございます」
この階層なんて金がある者しか止まらないだろうし、近くに使用人たちを控えさせておくためにそうした部屋も設けられているのだろう。
「――――といったところですので、坊ちゃんは夜までこちらのお部屋でお待ちくださいませ」
「ん、どういうこと?」
「……皆様、この後すぐ、会談が開かれる施設に皆様が向かわれるそうなのです。旦那様はハミルトン家の当主として、ローゼンタール公爵と共に足を運ばれます。またその際、シエスタの代表としてミスティ様も行かれるのですが、アリス様は傍付として参ると聞いております」
「つまり、それって」
留守番だ! しかも俺一人で!
「これについては、旦那様が坊ちゃんに伝え忘れていたのですが……坊ちゃん? どうして微笑んでいらっしゃるのですか?」
「久しぶりに静かな時間を過ごせるからね」
「そればかりは婆やも同情致します。坊ちゃんがのけ者にされたと悲しまれないか心配だったのですが、安心致しました」
「別にいいって。むしろ喜ばしく感じてるぐらいだし」
「そう言って頂けて助かります。旦那様は私が折檻しておきますので、ご容赦くださいね」
折檻もしなくていいんだけど、父上は偶に強く言わないと忘れる癖があるから、偶には良い薬になるか。
俺のことはいいとしても、他の貴族が関わるときに物忘れはしてほしくない。
――――とか考えていたら、腹が鳴った。
「上にレストランがあるんだっけ」
「ございます。こちらの建物と反対側の建物の最上階に敷設されておりますので、お好みにあうお料理を選べますよ」
「移動だけがめんどそうだね」
「ご安心を。外からも見えたと思いますが、最上階には連絡通路が設けられておりますから、労することはございません。――――確か連絡通路は、夜になると夜景が美しいとのことですし、お二人と一緒に行ってきてはどうですか?」
二人と言うと、アリスとミスティか。
他に居ないから間違いなさそう。
「後で話してみるよ」
迷う理由もないし、すぐに応じてみた。
すると婆やは少し面食らっていたように見えたが、すぐにいつもの冷静な表情に戻り、ソファにくつろぐ俺の前で腰を折り頭を下げる。
「私はそろそろ旦那様の元に参ります」
「ん、りょーかい。一応確認だけど、レストランには一人で行ってもいいんだよね?」
「勿論です。こちらの宿には各国の重鎮が多く滞在されてますから、万が一もないと思います」
「むしろあったらヤバいやつか」
「ええ。なにせ世界中の国の人たちが揃っておりますから、一つ事件が起きれば一大事になりますからね」
だったら大丈夫そうだ。少なくとも、フォリナーの町を一人で歩くよりは何倍も安全そう。
「あら?」
俺がソファから立ち上がると、婆やがきょとんとした顔で言った。
「ついでに婆やと一緒に出るよ。俺はそのまま上に言って、レストランを物色してくる」
「畏まりました。最上階へは階段を通りますから、婆やがご案内致します」
食事をした後の支払いも気にしないでいいらしい。
支払いはすべてシエスタ帝国付きになるそうで、食べたらそのまま部屋に帰っていいと婆やが言った。
(至れり尽くせりだ)
若干気が引けたが、たまにはいいか。
もう一度なった腹を窘めるように撫でながら、俺は婆やに案内されるまま、最上階へつづく階段へ足を進めた。
◇ ◇ ◇ ◇
数話前にあったいくつかの「メートル」表記を「メイル」表記に修正しております。一章付近から「メイル」表記をしていたので、こちらに直した形です。
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