五章―七国会談―

とある盛夏の日。

 七国会談に参加する国々の近隣には、いくつかの小国が存在する。

 しかし、それらの小国よりもさらに多く点在するのが中立都市である。その中立都市をまとめている国のことを、中立国家リバーヴェルと言った。



 彼らは大国小国に関わらずどの国とも一貫した友好関係にあり、これは古き時代、大陸全土を巻き込む戦争があった時代から変わらない。あくまでも、表向きは。



 通常、警戒されたり侵略されてもおかしくないだろう。

 けれどリバーヴェルが不羈独立の立場を保てていたのは、過去の大戦争に加え、それを上回るガルディア戦争においても、終戦の宣言を出した唯一の存在だったからだ。



 今となっては中立都市、並びに中立国家に手を出すことは禁忌とされており、手を出すことは即ち、世界中を敵に回すと同義である、とされている。



 ――――さて。

 中立国家リバーヴェルが首都。象牙色のレンガが目立つ古き良き貴族街の一角に、一際目立つ巨大な屋敷が鎮座している。

 その門前へ、一台の馬車が停まった。



「お帰りなさいませ。お嬢様」


「お荷物はこちらに」



 多くの見張りや給仕に迎えられ、その馬車から姿を見せたのは一人の令嬢。

 彼女は磨き上げられた純銀のような髪を嫋やかに靡かせており、上質な白磁に似た肌に紫水晶色の瞳が良く映えていた。顔立ちは神殿に飾られた彫像よりも整っており、見ているだけで心が奪われてしまいそうな、傾国の少女。



 優雅な足取りで屋敷へつづく石畳を進む様子は、麗姿の一言に尽きる。それは庭園を彩る花々よりも更に麗らかで、凛然とした姿には濃艶さも孕んでいた。



 こうしてみれば、どんな異性であろうと虜に出来そうなものである。

 だが、実のところ少し違う。

 彼女を見る目は大概、どうにかして彼女を自分のものにしたいという欲にまみれたものであるが、時折、蔑むような瞳を向ける異性だって居た。



 ――――その理由というのは、彼女の髪を見ればわかる。

 シルクのような銀髪に刻み込まれた、漆黒のメッシュがその理由だった。



 彼女は自室に戻るや否や、使用人からも密かにその目を向けられていたことにいら立った溜息を漏らし、自慢の美貌に若干消沈した表情を浮かべる。



 やがて、彼女は立ちあがって窓際へ。



 日中は青々とした木々の緑に癒される景色が、今は黒塗りの鉄でつくられた街灯に照らされて橙色に染まっており、これはこれで情緒がある。

 窓を開け、夏の風を見に美ていると、不意に――――。



「お久しぶりでス。オヴェリア様」



 窓の上、僅かに設けられた石レンガの縁に、一人の男が立っていた。



 彼は黒いローブに身を包んでいて、目元を布で覆っているせいで顔立ちはあまり窺えない。だがよく見れば真っすぐと伸びた鼻梁と、きゅっと引き締まった口元からは、彼の顔立ちが整っているであろうことは想像できた。



 オヴェリア、そう呼ばれた令嬢の返事を聞かずに、彼は彼女の部屋へ足を踏み入れた。



「お久しぶりですわ。急にどうしましたの?」


「スみません。実は特に用事はなく、オヴェリア様のご様子を見に来ただけでス」


「そうでしたのね。見ての通り、私は今までと変わりませんわ」


「おや、それは何よりでス」



 オヴェリアとこの男は旧知の仲だったが、今日の彼は特に機嫌がいいように見える。

 何となく、これまで見たことのない喜色を漂わせていた。



「何かありましたの?」



 すると、待ってましたと言わんばかりに。



「オヴェリア様とお会いしなかったうちに、ようやく見つけたのでスよ」


「――――見つけた、ですって?」


「はい。長きにわたり探していた彼女の子、、、、を、ようやく見つけることが出来たのでス」


「私、ゲオルグ、、、、が誰かを探しているのは知っていました。ですけど、それが誰なのかは聞いたことがありませんわ」



 ゲオルグと呼ばれた男は笑うばかりで、オヴェリアの疑問に答えようとはしなかった。

 代わりに彼は、ローブの内側から大きな水晶玉を取り出して、それを撫でた。手つきはまるで、愛おしい我が子をあやすような、慈愛に満ちたそれだった。



 そこへ、コンコンと。

 部屋の扉がノックされ男の声が届いた。



「お兄様がいらしたみたい。もう帰りなさい」


「また、様子を見に参りまス」


「…………いいえ、もうおやめになって」


「幼き日より見守ってきた私に酷なことを申されまスね。私はオヴェリア様がお一人で大丈夫と分かるまで、今は亡きお母君に代わって見守らせていただきまス」


「くだらないことを言わないで。あんな穢れの代わりなんて必要ありませんわ」



 唾棄した言葉を聞き、ゲオルグは悲しそうに口の端を下げた。

 去り際には「また、参りまス」と口にして、突然現れた時と同じように、まるで霧のようにその姿を消してしまう。



「オヴェリア」


「お、お兄様――――ッ」


「どうして返事を…………ああ、窓の傍にいて聞こえなかったのか」



 入れ替わりに姿を見せたオヴェリアの兄は、オヴェリアに劣らぬ美丈夫である。彼女と違うのは、銀髪に黒のメッシュが入っていないこと。

 その理由は単純で、二人は母親が違うからだ。



 これまで部屋を開けていたせいで大きな羽虫が一匹、部屋の中を飛び回る。



「どうかなさいまして?」


「七国会談の件だ。急な話だが、我々、ロータス家も参席する運びとなった。オヴェリアにも同席してもらうつもりだから、そのつもりでいろ」


「かしこまりました。お供いたします」


「話は終わりだ。後で詳しい話をまとめて渡す」



 ぶっきらぼうにそう言うと、彼女の兄はそのまま扉へ振り向いた。

 しかし去り際に口を開く。



「くれぐれも、ロータス家の顔に泥を塗るような真似はするなよ。私と父上がお前の母のせいで、どれほど苦労したかよく考えておけ」


「――――存じ上げておりますわ」


「それならいい。これまで同様、そのことを肝に銘じるんだな」



 だがまぁ、と。

 彼は扉を開けて去り際に。

 僅かに同情した声色で。



「娶った父も父だが生まれたお前も哀れだ。それを言うと、娶った後でガルディア戦争が勃発したのは、父も被害者なのだが」


「…………」


「どれも仕方あるまい。何せ、お前の母の祖国があの、、、、、、、、、、ガルディアなのだから、、、、、、、、、、


「ッ――――どうか誤解のなきよう! 私だって、ガルディアは滅んで当然の穢れだと思っております!」


「それは何より。ではこれからも、その僅かな黒髪を見て母の祖国の罪を思い出すんだな。っとと、新しいリストも用意しておく。我らリバーヴェルが中立を保つため、オヴェリアに処理してもらう予定の者たちだ」


「…………承知いたし、ました」



 そして、物悲しく扉が閉じられ、立ちすくんでいたオヴェリアは俯いた。

 片方の腕をもう一方の腕で抱いて、幼き日にこの世を去った母のことを思い返えしながら、唇をぎゅっと噤み、心の中に黒い感情を滾らせる。



「穢れた血が流れる私を哀れに思うのでしたら」



 母譲りの黒いメッシュの髪を撫でて、心に浮かんだ声を。



「私を一人のリバーヴェル人として受け入れてくださいませんこと……?」



 悲痛な声に悪感情を入り混じらせ、謳うように呟いた。

 つい先ほどゲオルグに告げた声色よりも更に。殺意と言っても過言ではない、強い感情を孕ませて。



 来訪者が来る前のように窓の外を見るが、さっきと同じくは楽しめない。

 オヴェリアは遂にベッドに向かって、その身体を乱暴に倒した。



 せめて。

 そう、母がガルディア人だったとしても、せめて普通のガルディア人だったらよかったのだ。

 たとえば、平民であれば問題はなかったはず。



 ――――すべては高貴過ぎたから。

 彼女の母が、、、、、暴君と謳わ、、、、、れるガルディア王の妹、、、、、、、、、だったことが原因なの、、、、、、、、、、だろう、、、



「滅んで当然でしたのよ……あんな国」



 吐き捨てた彼女はおもむろに懐へ手を差し入れて、取り出した一本のナイフをそのままの体勢で壁に投擲する。

 壁に突き刺さったその先では、磔にされた羽虫が体液を滴らせていた。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 数日過ぎて、場所は変わりシエスタ帝国。

 その帝城における、一握りの者しか足を踏み入れることを許されていない、特別な庭園の一角にて。





「――――グレン少年は良く分かりませんね」



 俺の背後で腕を組み、神妙な面持ちで見下ろすクリストフが言った。

 見下ろされた俺はと言えば、たった今作り出した、雷で形どった短剣が消えてしまわないよう、呼吸が荒れる中でも必死に心を落ち着かせる。



 でも、クリストフが言った言葉も気になってしまう。



「良く分からないって、何がですッ!?」


「魔法を教えはじめてから半年はおろか、数か月も経っておりません。なのに属性魔法による具現化を成功させたことがです。どうしてその才能を埋もれさせていたのか気になって仕方ありません」


「こ、これまでは身体強化を――――ッ」


「アルバート殿からも聞いています。十分な練度だとか」



 話に気を取られ過ぎたせいか、手元に具現化されていた短剣が消え去った。

 すると、身体にどっと押し寄せる強烈な倦怠感に、身体が勝手に倒れ込んでしまう。



「集中力が足りていません」



 …………おいおい、待ってくれよ雷帝さん。

 話しかけて来たのはそっちじゃないか。



「不満そうな顔をしていますね。差し詰め、私から会話をはじめたんじゃないか、と言いたそうです」


「さすが、クリストフ様です」



 生意気にも言い返したら、彼の豪奢な杖が俺の額を小突く。



「私は話しながらでもエルメルを使えます」


「ぐぅっ…………! いいですよ、いずれ俺も片手間に出来るようになって見せますから」


「ええ、楽しみにしておきましょう」


「ってわけで、もう一度最初からやってみますから」


「いいえ、今日はこのぐらいにしておきましょう。私はこの後、多くの貴族が立ち寄る席に参らねばなりません」


「あれ、何かあったんですか?」


「大したことではありません。七国会談に参加する貴族が足りておらず、その選定に手間取っているだけですからね」



 七国会談と言えば、アリスが言っていたことだ。

 ついでに、その後でミスティにも聞かされた例の件である。



「現状、多くのことを鑑みた結果、多くの貴族が法務大臣殿を推薦しているのですが」


「ラドラム様でしたら、面倒だから嫌って言ってましたよ」


「でしょうね。我々の前ではつらつらと理由を述べられていますが、どうせ方便だと皆分かっています」



 だが、誰も反論できない。

 仮に反論したところで逆に面倒なことになりそうだし、ラドラムを知る貴族であれば、彼がよほど無茶なことを言わない限りは口を噤むしかないのだろう。



「グレン少年からも頼んでくれると助かります」



 嫌です。それはもう心の底から。

 あのとこのことだし、俺が頼んだら「いいよ!」と言ってくれそうなもんだが、その後で何を要求されるのか分かったもんじゃない。



「私はそろそろ。グレン少年はもう少し休憩してから帰りなさい」


「りょーかいです」



 俺は去り行くクリストフの姿が見えなくなってから、周囲に誰も居ないことを確認して大の字に身体を広げた。

 あの男、常にクールで優雅なくせに、魔法の訓練は馬鹿みたいに厳しい。

 おかげで多くを学べている実感はあるが、いかんせん、疲れは仕方のないことである。



「あー……しんど」



 父上曰く、身体強化による体力の増強とは別問題らしい。

 魔力を使い過ぎたことによる気だるさにもだいぶ慣れてきたが、これはこれで、筋肉の疲労とはまた違う、不思議な魅力だるさに満ち満ちていた。



 身体が楽になって来たのは、寝ころんでから十数分後のこと。

 そろそろ起きようと思ったところへ、頬にヒヤッと冷たい感触が奔った。



「グーレン君っ! お疲れさまでした!」


「大丈夫? 無理しないでもう少し寝ていた方がいいわよ」



 贅沢にも二人が一つずつ冷たいおしぼりを頬に当てていたのだ。

 俺は遠慮なく受け取って、二つのおしぼりで首筋を冷やしたり額を冷やす。

 うん、また楽になってきた気がする。



「いつか雷帝に『もう訓練は勘弁してくれ』って言わせる予定なんだけど、二人はどのぐらい時間がかかると思う?」


「…………お熱でもあるんです?」


「やっぱり、城の医者に診てもらった方がいいのかしら」


「うーん、本気で言ってるんだけどね」



 非現実的と思われてもおかしくない。むしろ思うことが普通だ。

 それぐらい、クリストフという男は人外である。



「ミスティミスティ。魔法師団長様って、魔法師団の精鋭も泣きが入る訓練をするって聞いたんですが」


「そうね。過去の自分を基準に訓練をするらしいわ」


「うっわぁー……エリートでも諦めるってのは本当だったんですねー……」



 何と言われようと決めてるんだ。

 このまま訓練の度に限界が近くなるのも情けない。無論、身体強化に限れば話は別だろうけど、これはそう言う問題じゃないんだ。

 相手は雷帝、大国シエスタでも最上位層の実力者だとしても、俺の意地が許さない。



「てか、アリスはどうして城に?」


「よくぞ聞いてくださいました! 実はこのアリスちゃん! グレン君が帝都に向かってからすぐに、後を追って実家に帰っていたのです!」


「なんで普通のことを仰々しく言うのさ」


「ふぇ? そのほうが面白いからに決まってるじゃないですか」


「…………なるほど」


「といっても、急ぎの用事があったわけじゃないんです。今日は学園が休みですし、こっちのお屋敷においてた夏服を取りに来たって感じです」



 話は分かったが、それはアリスが帝都に居る理由だ。

 城に居る理由にはならない。

 その疑問を瞳に乗せ、ミスティに目配せをした。



「それと、私と一緒に買い物に行きたいんですって」


「正確にはグレン君も一緒にですよ! 三人で夏服を買いに行きませんか?」


「二人とも立場が立場なんだから、そう簡単に外へは――――いや、考えてみたら些細な問題なのか」



 方やお忍びで城下町に繰り出していたお転婆令嬢で、方や護衛もなしに馬車に乗り、離れた港町フォリナーまで来る皇女様だ。

 今更、ちょっと服を身に行くぐらいで咎める者は居ないのだろう。

 仮にいたとしても、二人は止まらないだろうし。



「グ、グレンに用事があったら大丈夫なのっ! 本当に暇だったらでいいからっ!」


「むぅ! ほとんどグレン君の前で着るんですから、グレン君の意見を聞けないと意味ないじゃありませんかっ! といっても、用事があったら、残念ですがアリスちゃんも今日は諦めます……たははっ」



 悪い気はしなかった。

 二人が俺の意見を参考にしてくれるというのは、少し気恥ずかしいが妙に嬉しかった。



「是非ご一緒させてもらうよ。――――あ、そういえば七国会談の件で色々面倒なことになってるらしいけどさ」



 クリストフが去り際に言い残したことを思い出したように言うと、二人は顔を合わせて苦笑した。

 なるほど、どうやら何かあったらしい。




 ――――――――



 今日から新章の更新をして参ります。

 また定期的に投稿していきますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします!

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