不気味なほどに静かな中で。

 ――――それで、助け出した後はどうする。

 ローゼンタール公爵邸を飛び出した俺は貴族街の裏手を駆け巡りながら、後先のことを考えていなかったことに苦笑する。



 それに、我ながら即決だったことが面白かった。

 捕まってしまえば処刑は免れない、ラドラムは強く明言したというのに……。

 俺はどうして即決即断をして、屋敷を飛び出したんだろう。

 ミスティアの危機に違いはないとしても、命の危機ではないのに。



 …………情でも抱いたのだろうか。

 短い間ではあるが、アリスも居たことでミスティアの多くの一面を垣間見たとあって、見過ごせない気持ちになっていたのは間違いなかった。

 俺は命懸けで行うべきか否かを考えないことにする。

 どうせ常に命懸けだった。

 前世は毎日がそうだったと考えれば、大したことではない……と。



(それにしても)



 帝城は巨大で、周囲を見張る騎士の数が多すぎる。

 今の俺が近づきでもすれば警戒されて、あっという間に騎士を呼ばれることは間違いない。



(ローゼンタール公爵邸とは違う。どこから入ればいい)



 俺は手ごろな屋敷の屋根の上に潜み、城の様子を伺った。



 水道橋を伝っていけるかどうかの話ではない。

 だったらどうすればいい……。

 城内から流れ出る水の出入り口に目を向けてみるも、不可能だ。周囲には騎士が巡回していて隙が見当たらない。

 それに、各所の物陰から不穏な気配がする。

 言うなれば、前世の俺の同族が漂わせる気配であった。



 では、残された手段は半ば力業。

 外壁をよじ登っていくしかないのだが。



(できたところで、ミスティアの部屋が何処かって話になる)



 今回は割れながら感情的に物事を判断しすぎたと反省して、情けなくも一度帰るべきかと考えてしまった。

 どうせラドラムは知っているだろうし、俺の正体を知らない――――という体で進められた茶番に対して無粋ではあるが、頭を下げて聞くべきと思ったのだが。

 ――――ふと。



(あれは…………)



 城の最上層付近、とある一室。

 窓を覆っていたカーテンからかすかに顔覗かせた、傾城の皇女。

 その彼女と、目が合ったのだった。



『ッ――――』



 前世からつづいて視力が良かったのが助かった。

 ミスティアは俺を見て驚き、カーテンを強く握りしめた……ように見える。

 結局は、鮮明に見えていないのだ。

 変装している俺のことは恐らく、昨年現れた暗殺者とでも思っているはずだ。



「…………」


『…………』



 俺たちは少しの間、互いのことを見つめていた。

 あちらは俺を見て捕縛命令を出す様子もなく、俺は俺で、じっと見上げているばかり。

 視線が外れたのは間もなく、ミスティアが俯いてカーテンを閉めたところでだった。



「よし」



 幸いにも部屋は分かった。外からでも場所が分かれば何とかなる。

 後は見張りの数が少しでも減ってくれればいいだけと思っていたところで。



「…………ん?」



 俺が見ていた城の方で、想定外の動きが生じたのである。



 分からない。何があったのだろう。

 騎士たちが少しずつ数を減らし、城の警備が薄くなったのだ。



(それに――――)



 陰に潜んでいた気配もまた、消えていた。

 それらが俺に気が付いている様子はなかったが、所々で感じていた不穏な気配も同時に消えて、あっという間に俺が望んでいた状況になったのだ。



 ……あり得ない。

 これが城に近づきつつある俺の考えだった。

 夜だとしても――――いや、夜だからこそすべき警備があるはずだ。

 けど、先ほどの動きからというもの、城の警備は明らかに薄い。

 俺も警戒しながら近づいていたが、不気味なほど静かだった。



 拍子抜けするほどで、俺が外壁に手を掛けられたのも間もなくのことである。



 何が起こってるんだ?

 俺は外壁をよじ登りながら城の中の様子も伺うが、静かなものである。

 内部で何か騒ぎでもあったのかと思ったが、その気配は少しもない。

 警備の交代にしてもお粗末すぎる。



 俺は潜み、時に上る箇所を変えながら警戒をつづけた。

 上を見上げると、確かに近づくミスティアの部屋の窓。

 何か魔法を用いた警備用の何かに探知されることも見つかることもなく、随分と順調に近づきつつあった。



(命がいくつあっても足りないって話だったのにな)



 アリスの言葉を思い返し、やはり合点がいかなかった。

 もしかしたら、何かの間違いがあってこの状況なのかもしれない。

 答えは見つからないが、俺はこのまま進むしかないのだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 ――――やがて。



 地上からはるかに遠い彼女の部屋で。

 窓に手を掛け、軽く押した。



(……開いてる)



 窓に鍵が掛かっていない。

 窓枠を見ると鍵は付いているし、意図的に開けられていたことが分かる。

 俺はミスティアがわざを開けていたことを理解したところで、遠慮なく部屋の中に足を踏み入れたのだ。



「いらっしゃい、暗殺者さん」



 豪奢な部屋の中央に置かれた丸テーブルと、一対の椅子。

 そこに座っていた彼女は俺に目もくれず、入り込んだ夜風に髪を揺らしながらそう言った。



「どうして俺を暗殺者だと?」


「目があった時、そうじゃないかなって思っただけよ。そして、私の部屋まで来ることができたのなら確定だわ」


「……なるほど」



 変装に併せて声色を変えていることもあり、ミスティアは俺が俺であると気が付いている様子はなかった。



「お茶でもいかがかしら」



 思わず呆気に取られてしまった。

 彼女は俺を暗殺者と知って、それでもなお受け入れるつもりなのだ。



「俺に殺されるとは思わないのか?」


「馬鹿ね。それを尋ねる人は相手を殺そうとは思ってないのよ」


「だとしても、警戒しないとは驚いたな」


「そう? でもいいじゃない。私は貴方に聞いてみたいことがあったんだから」


「残念だが、その余裕はない」



 俺はそう言うと、座ったままのミスティアに近づいた。

 紅茶が入ったカップを手にした彼女に手を差し伸べ、身を隠したローブとフードを整えて言う。



「キミを助けに来た」



 と。

 それを聞いたミスティアはまばたきを繰り返し、雅やかに口元に手を当て微笑んだ。



「変な人。私を助けに来たことも、私を助けようとしてることの意味も分からないわ」


「キミの友人に頼まれたからだ」


「……アリスに?」


「残念だが、依頼人の名は明かせない」



 アリスと明言しなければ、万が一の事態でもアリスは危害を被らないはず。

 茶を濁されたミスティアは怪訝な瞳を浮かべるが、後に息を吐く。

 そして、諦めの言葉を口にするのだ。



「どうやってこの部屋まで来れたのかは知らないわ。でも、無理よ。来たときは運よくどうにかなったのかもしれないけど、私を連れてどうやって逃げるというの?」



 俺は窓の外を指さした。



「…………馬鹿なのかしら?」



 直接的な言葉に俺は思わず「ぐっ」と唸ってしまう。

 だが。



『第三皇女殿下、謁見の間へ。陛下がお待ちのようです』



 部屋の扉がノックされ、騎士らしき男の声がした。



「少し待って。お化粧もしてないの」


『いいえ、陛下は今すぐにと仰せですので、どうかご容赦を』


「……ちょっとだけだから、待ちなさい」


『どうかご容赦を。陛下がお待ちですのですぐに』



 時間を稼ごうとしてくれたようだが、何やら火急の用らしい。

 ノックはつづき、止まらない。



『――――第三皇女殿下、失礼致します』



 怪訝に思ったのだろう。騎士が扉をこじ開けに掛かった。

 駄目だ。もう本当に時間がない。

 迷っている暇も、決心するための時間もない。



「ッ……もう! 乱暴なんだから!」


「乱暴かどうかはおいておこう。それで、どうするんだ」


「……ごめんなさい、私のことは気にしないで」



 ミスティアはそう言って俺の身体を窓の方へ押した。



「私が逃げたら他の人たちにも迷惑が掛かるの。アリスにだって、最近手伝ってくれていた彼にも容疑が掛けられるかもしれないわ」


「そんなはずが……ッ!」


「ない、とは言い切れないでしょ。私の末路を見れば分かるはずよ。貴方の考えは聞いてみたかったから残念だけど、また機会があったら教えてちょうだい」



 可能性としてはあり得なくないが、しかしここに来て諦めなければいけないのか……?

 俺の背を押すミスティアの顔を見てみると、美玉に湛えた切なさに胸が痛んだ。

 だが不意に、彼女の手が止まったのだ。



「この香り……貴方、もしかして――――」



 しかし、つづきを口にするより先に騎士がなだれ込んだのだ。

 そして俺を見つけてしまい、剣を抜いた。

 そりゃそうだ。一目見て俺を賊だと思って当然だ。



「ちょ、ちょっと!?」


「もう遅い」


「遅いって……待って! まさか本当にっ!?」



 ……自分でも不思議だった。

 騎士が近づくとともに、俺は無意識のうちにミスティアを片腕に抱きしめていたのだ。

 そして。



「行くぞ」



 俺は華奢な身体を片腕に抱いたままに、開け放たれた窓の外に飛び出した。





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