現将軍の振る舞い。

 夕方に差し掛かったころ、俺はアリスの執務室を出ようとしていた。



「アリス?」


「すー……すー……」


「駄目だ。起きそうにない」



 あらかた資料は読み終えたけど、アリスは疲れ切ってしまっている。

 昨夜の騒動のあと、多くの連絡が彼女の下に届いてしまったわけだし、その情報を資料にまとめる作業を遅くまでしていたわけだ。疲れていて当然のはず。

 だから今日は、起こさないで寝かせておいてあげたい。



 俺は白紙の紙に書置きを残す。

 書いたのは「今日は帰る。爺やさんたちに、アリスはもう休むらしいって伝えておいた」とだけ。



「んぅ……」



 寝てる姿は妖精や天使を思わせると言うのに、どうして起きてるときはあんなにウザいんだ。

 俺はアリスの身体にひざ掛けをかけ、寝顔を一瞥してから口にする。 



「それじゃ、また明日」



 外套を手に取ってソファを立ち、執務室の扉を開けて廊下に出る。

 少し歩いていると、爺やさんが俺の前にやってきた。



「おや、今日はもうお帰りでしたか」


「少し早いんですが、アリス様は疲れたので休まれるとのことです。起きて来るまで声を掛けないでくれと」


「それはそれは……お嬢様に気を遣っていただいたのですね。申し訳ありません。それでは早速、馬車の用意を致しますので」


「あーえっと、今日は大丈夫です」



 爺やさんはキョトンとした様子で子首を傾げる。



「怪盗の件もありますし、大通りを歩いて帰ろうかと。俺は皇都の地理をよく知らないですから」



 だから歩いて周囲を見て回りたかった。

 もしも昨夜のようなことになれば、俺が逃げる経路を用意しておく必要もある。

 まわりまわって自分の為でもあるわけで。



「父上には俺が無理を言って一人で帰ってきた、と伝えますから」


「……ご希望に添えず申し訳ないのですが、グレン様はハミルトン子爵家のご子息です。怪盗の件以外、皇都はそう治安が悪い場所ではありませんが、それでも承諾することは出来ません」



 だろうな、分かり切っていた返事だ。

 これ以上強く言っても、職務に忠実な爺やさんのことだ。折れてはくれないだろう。



「別にいいんじゃないかな、爺や」


「だ、旦那様!?」


「でも一人で歩くのは僕も認められないからさ、爺やがグレン君の護衛をしてくればいいんだよ」



 唐突にやってきたラドラムの援護により、爺やさんは「それならば」と折れる。



「妹が我が儘を言ったみたいだし、このぐらいの希望は叶えてあげないとね!」


「すみません、ありがとうございます」


「なに、気にしなくていいんだ! 爺やの護衛があれば安全だよ? なにせ爺やって、若い頃は騎士が何十人掛かっても倒せない実力者だったからね!」


「お恥ずかしながら、若い頃は色々と嗜んでいたものですから」



 爺やさんは好々爺然とした笑みを浮かべてヒゲをさすった。

 言われてみれば、爺やさんは公爵家に仕える人間だ。いわゆる執事バトラーは護衛をする場合もあるし、爺やさんが強かろうと対して違和感はない。



「というわけだから、僕も屋敷の外まで見送るよ」



 俺は彼の申し出に対して、作り笑いを浮かべて感謝した。



「それにしても爺や、アリスが疲れてるって言うのは珍しいね」


「はい。ここしばらく耳にしていなかったかと」


「だよねー……早朝から、、、、怪盗の報告が届いてたし、それに、近頃の婚姻の申し込みで疲れてたのかな」


「婚約と言いますと、手紙のことですか?」


「あれ、グレン君も知ってたんだ。ほら、ローゼンタール家って大きいでしょ? だから家を味方に付ければ貴族社会での立ち位置も変わるってわけ。それにさ、アリスの容姿もあるから一石二鳥ってことだね。綺麗な奥さんと権力の二つが手に入るわけだ」



 確かに公爵家を味方に付ければ大きいだろうな。

 加えて美しい妻が得られるなら最高だ。



「第何皇子派ーとか、皇帝派ーとか……後は将軍派とかもあったね」



 それはよくある権力闘争の、よくある派閥争いの話のようだ。



「なるほど。ちなみに法務大臣派はないんですか?」


「ははっ。父上がご存命だった時ならいざ知らず、僕はそういう面倒なのが嫌いだからね」



 ニヤリと笑って言うラドラムは、どうにも彼らしさに溢れている。



「というわけで、アリスを娶りたい貴族は大勢いるってことだ。皇位継承争いだって、ローゼンタール家が付けば勢力図も大きく変わるだろうから」


「つまりラドラム様は今のところ、誰にも肩入れしていないんですね」


「そうだよ。だいたい現皇帝を含め、その価値がある皇族なんて一人も――――これは失言だね。悪いけどグレン君、今のは」


「俺は何も聞いてませんよ」


「ははっ……やっぱり良いね。グレン君はすごく良い」



 いくらでもおべっかならできるが、一々重いことを言わないで欲しいもんだ。

 こめかみを掻いていると、屋敷の出入り口が近づいてくる。



「旦那様、ここから先は私が」


「もうお別れか。それじゃグレン君、また明日」



 ラドラムは名残惜しそうにしていたが、最後は笑みを浮かべて俺を見送った。

 外に出ると、幸いにも今は雪が少しも降っていない。

 屋敷の外では爺やさんが俺の隣を歩く。俺が辺りを見て回りたいと言ったからか、彼は絶妙な歩行速度で付き従ってくれた。



「今更ながら、爺やさんが居てくれて助かりました。俺が一人で歩いていたら、また騎士に止められていたかもしれませんし」


「ご心配はいりません。すでに旦那様が騎士に伝えておりますから」



 随分と仕事が早いじゃないか。

 もっとも、俺が貴族街を一人で歩くことはなさそうだが。

 こうして話している間にも、見回りの騎士が歩く姿が見えてくる。



「――ん?」



 騎士の顔に覚えがある。

 何処で見たんだろう、疑問に思ってすぐに気が付いた。

 すると騎士も俺に気が付いたようで、ゆったりとした足取りで近寄ってきて。



「失礼」



 と、俺に声をかけてきた。

 しかし爺やさんが俺を守るように前に立つ。



「何か御用ですか?」


「爺やさん、大丈夫です。この方は父上と懇意の騎士のかたですから」


「おお! やはり貴方は将軍の!」



 騎士はニコッと朗らかに笑い、俺の前で膝を折った。



「私は以前、アルバート将軍の下で働いておりました。将軍のご子息とまたお会いできて光栄です」


「こちらこそ。でも駄目ですよ? 父上は将軍ですから」


「……」


「えっと、どうして急に黙ってしまったんです?」


「お願い申し上げます! 何卒! 何卒、アルバート様に皇都へお戻りになるよう……どうかお伝えいただけないでしょうかッ!」



 予想していなかったお願いに対し、俺はつい呆気にとられてしまう。

 俺の隣に控えている爺やさんも同じ状況だ。



騎士われらの不満は溜まる一方ですッ! もう我らは限界なのです……ッ!」


「ま、待ってください! 急にそんなことを……というか、往来でそんなことを言ってたら――」


「グレン様が仰ると通りです。少し落ち着いた方が良いでしょう」



 騎士は唇をきゅっと閉じて立ち上がる。

 力なく垂れた両腕の先、手元だけが爪が食い込む程強く握られていた。

 悲痛な感情に苛まれているのだろう。



「貴族との癒着に騎士の差別、挙句の果てには、気に入らない者は即断罪。誰も我々を救ってはくれないのです。もう、アルバート将軍しか頼れる相手がいないのです」



 聞き逃せない言葉だった。



「失礼ですが、それらを現将軍殿がされてると?」


「ええ……その通りです」


「私はハミルトンの町でそんな話を聞いたことがありません。父上もそうだと思います」


「当然です。幾人かの貴族との癒着もそうですし、今のようなことを流布すれば、次の日には首と身体が離れてしまっているでしょうから」


「なるほど――爺やさん、今の話について何か知っていますか?」


「いくらか存じ上げておりましたが、私に口をだせる問題ではございません」


「じゃあラドラム様はどうでしょう」


「恐らく、旦那様はまだ何もしておりませんね」



 あくまでも俺の予想だが、ラドラムは面倒ごとを避けているだけだ。

 ラドラムは事なかれ主義と言うか、興味のないことに一々口を出す男じゃない。現将軍に対しての不平不満が高まっていようと、まだ口を出す段階にないと考えているのかもしれない。



 しかし騎士が不憫でならない。

 何か手を貸してあげたいぐらいだが、残念なことに俺の手には余る。

 父上に伝えることぐらいなら、約束してもいいだろう。



「俺が何かできるって約束はできません。でも、今の言葉はしっかりと父上に伝えます」


「あ、ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」



 頭を下げる騎士を横目に、俺は周囲に耳を澄ませている人物がいないか目を配る。

 幸いにも、人通りは少ないし他の騎士も居ない。



「次からは言葉に気を付けてください。父上も、自分の部下だった方が断罪されたら悲しみますから」


「お心遣い、感謝致します」


「いえ――それでは、何かあったらまた声をかけてください」



 騎士は俺が見えなくなるまで頭を下げていた。

 別に俺が凄いわけでも、何か世話をしたわけでもないからくすぐったい。

 照れくさそうに頬を掻いていると、爺やさんがほほ笑む。



「お優しいんですね」



 言葉にされると更に照れくさいじゃないか。




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