ウザいけど意外と可愛いかもしれない。

「ふぎゅうっ!?」



 アリスは情けない声を上げ、俺の身体の上に倒れこんでくる。爺やに見つかる前に離れようとしているみたいだが、体勢のせいか身体に力が入らないらしい。

 ソファが柔らかすぎるのも考え物だ。



「む、むむむっ……身体が言うことを……!」



 身体を起こそうと動くたびに、ぴったりとくっついた俺の身体へとアリスの体温と柔らかさが伝わってくる。だが俺はあくまでも冷静に構えていた。



「あのーグレン君? 私の感触を楽しみたいのも分かりますけど、今は色々とまずいんですよ?」


「全くの濡れ衣ですが、色々とまずいのは同意します」



 今もなお、アリスの太ももや胸元は俺に押し付けられたままだ。

 ゼロ距離で香る甘さがダイレクトに俺の脳を揺らしてくるし、もう顔だって数十センチぐらいの距離しかない。ウザいくせに容姿が抜群すぎることに何となくイラっときた。



「ですよねですよね!? だったらほら! そんなに落ち着いてないで、私にそっと手を貸してくれていいんですよ? 後でいい子いい子してあげますからぁ!」


「手を貸すのはやぶさかじゃないですけど、後半部分は結構です」


「もーどうしてほしいんですかぁ! 感触は存分に楽しみましたよね!?」



 だから手は貸すって言っただろうに。

 ため息をついてから、アリスの両脇に手を差し込んで彼女を持ち上げた。



「あ、力持ちなんだ……」


「立てたなら、服と髪は自分で整えてくださいね」



 するとアリスは返事もせずに手櫛で髪を梳かす。

 ブラウスの乱れを整えて、数秒で元の涼しい顔を浮かべていた。



「こほん――どうぞ」



 何もなかったかのように扉に答える様子は、もはやつまらないギャグにしか見えない。



「失礼いたします。――おや? お嬢様、何かございましたか?」


「い、いえ。何もありませんでしたよ」


「……左様でございますか。お飲み物とお菓子をご用意いたしましたので、手前を失礼いたします」



 爺やさんは慣れた手つきで茶を淹れてしまう。

 あっという間に用意を終えて「では」と口にしてこの部屋を後にする。

 ところで、俺は少し楽しみだった。

 アリスが何て口にするか予想もつかない。先程の振る舞いを忘れろとでも言ってくるか、何か取引でも持ち掛けてくるか。はたまた、開き直って俺に不満でも言ってくるだろうか?



 だが結果はそのどれでもなく――。



「さぁ、グレン様。そろそろお仕事の話をはじめましょうか」



 すべてを無かったことにするとは恐れ入った。



「それは無理があると思うんだ」


「う、うぐぅっ……」


「俺がつっついたのが悪いのは謝りますけど……今更忘れるのもそれはそれで難しいですし」


「じゃあせめて最後のやつ! 私が倒れてうごうごしてたのは忘れてくださいよっ! 生まれたての赤ん坊みたいであんなの――あれ? 赤ん坊ってことは意外と可愛かったんですか?」



 知らん。頼むから自分で整理してくれ。

 俺は呆れ半分に手を振って、爺やさんが淹れてくれた茶を口に含む。美味しい。

 アリスはのんびり構えていた俺を見ると、諦めたように息をつく。



「――アリス」


「はい? 貴女の名前がどうされたんです?」


「もう、アリスでいいです。話し方もさっきみたいに適当でいいですよ……」


「急にどうしたんですか?」


「なんかもう馬鹿みたいじゃないですか。だったら開き直って適当に行きましょう。私も適当に行くんで」



 確かにあれだけの醜態を晒したんだ。

 アリスからしてみれば、もう俺が敬語を使っていようと敬称を付けて呼ぼうと、こそばゆく感じてしまうのだろう。



「うーん」



 俺は少しだけ迷ってしまう。

 ここで馴れ馴れしく話をすることで、万が一、ラドラムたちの前でボロが出ないか心配だ。

 なんて思ったが、彼女が良いって言ってるんだ。俺が気を付ければいいだけのこと。



「分かった。じゃあそうするよ」


「話しが早くて助かりますねー。じゃ、そういうことですので――――よいしょっと」



 俺の対面に戻り、ソファの上で横になる。

 靴を脱ぎ、クッションを抱いてうつ伏せになってしまった。



「何ですかその、珍獣を見るような目は」


「別に。アリスの変わりように驚いてるだけ」


「慣れてくださいね。私、自分の部屋ではいつもこんな感じなんで。起きたりしないで、ずっとこうしてたいぐらいですから」



 俺としても今の方が楽だから、特に気にはならないが。



「別にいいけど、スカートには気を付けてくれると助かる」



 捲れたスカートから白く細い太ももが露になっていた。少しでも下着が見えているわけじゃないけど、出来ればもう少し隠してくれるとありがたい。



「ッ――見せてるわけじゃありませんからね!? 少し油断してただけですから!」


「……はいはい」



 アリスは慌ててスカートを直し、むすっと唇を尖らせて俺を見る。

 それから不満そうに、俺へ数枚の紙の束を手渡してきた。



「はいこれ。例の怪盗騒動の資料です」


「自分で読めって?」


「あ、私の声で読み上げてほしかったりしますか?」


「――ははっ!」


「ちょ……乾いた笑いはやめてくださいよ! ちゃんと読んでくださいね!?」



 俺は不満げなアリスを放置して資料に目を通す。

 いくつかの被害状況やらが時系列に沿って並んでいる。ここ一年の間に発生しはじめたらしく、ここ最近は特に被害件数が多い。



「……グレン君って可愛い顔してるのに、なんて性格してるんですか」



 アリスの呟きに聞こえないふりをして、更に資料を見た。

 怪盗の被害を受けたのはすべてが貴族だ。そして貴族の中でも後ろめたいことがあったり、振る舞いに問題があるような者だけが狙われている。

 盗品は全て貴金属類や宝石に限られ、盗まれた後日、町中に紙幣に換金されてばらまかれていると。

 へぇ、まるで義賊じゃないか。



「グレン君って女の子の服とか似合いそうですよねー。身長は私と同じぐらい……ううん、少し高いかな? 私の服がぴったりだと思いますし、お化粧もしっちゃえばバッチリですよ」



 また怪盗は対象となった貴族の屋敷について、詳細に内部の造りを理解しているらしい。侵入したら他の部屋に目もくれず、真っすぐに金庫などを奪い去っていく。

 俺はこの情報を見て興味が沸いた。

 暗殺のプロだった俺と近い何かを感じてしまうのだ。



「あと、可愛い顔して力持ちでしたよね。アリスお姉さんってば、少しびっくりしちゃいました」



 ラドラムが言っていたことも分かる。

 調査は困難を極めるだろう。この世界には魔法という概念があるものの、地球にあったセキュリティ技術が劣っているとは思えない。

 捕まえるのは、俺であっても至難の業だ。



「私ったら異性とあんな近くなった経験が無いので、ついドキッとしちゃいましたもん。もー、グレン君ってば悪い子なんだぁー!」



 怪盗を捕まえることを目的とするなら、間違いなく夜に張り込むことが必須となる。

 だが俺の目的はアリスの補助で、捕まえることが目的じゃない。

 とは言えラドラムには少しも借りを残したくない。となれば、やはり怪盗を捕まえる――あるいは徹底的に追い込んで決定的な情報を得る必要があるか。



「あっ、このお菓子美味しい。グレン君のも貰っていいですか? え、いい? ありがとうございます!」



 それならやっぱり夜の張り込みだ。

 あと、目の前のうるさい奴を黙らせたい。



「アリス、ちょっと口開けて」


「きゅ、急に呼び捨てなんて照れちゃいますよー……!」



 不満を言いつつアリスが口を開けた。



「……あのさ」



 そして俺は茶菓子を手に取る。

 大きく振りかぶり、彼女の口に勢い良く放り込み――はしない。さすがに可哀そうだから軽く入れて、額に人差し指を突き当てた。



「ち・ゃ・ん・と・読・め、って言ったのは誰だったっけッ!?」


「ふみぃッ――!? ふぁ、ふぁた……私……!」


「だったら俺を見ながら変なこと言ってないで、少しぐらい黙ってて欲しいんだけどッ!」



 アリスは驚ききつつも、少しの間きょとんとしてた。

 でも我に返ったら自然と柔らかな笑みをこぼす。今のやり取りが楽しかったのか、それとも俺が怒った姿が面白かったのか。理由は定かじゃないが、くすくすと上品に笑っていた。



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