魔心屋アイヴィ・ダンテスと失われた娘
石川
第一章 魔心屋と堕天使と、くそ師匠
そいつらとアイヴィお嬢ちゃん
アイヴィ・ダンテスは
「なあ店主、この天秤はおかしいじゃろ。これぽっちの魔草の量で分銅三つと釣り合うわけないじゃろが。あんたの眼は節穴かねえ?」
「へー」
白髪の店主はぼんやりと丸眼鏡を押し上げた。
「へー、じゃないじゃろ。とうとうボケたのかえ。あんたももうそんな齢だったじゃろかのう」
「なんだい、アイヴィお嬢ちゃん。いちゃもんかい」
「いちゃもんだよ。ほれ見てみい天秤の〈そいつら除け〉が剥げ落ちているからこんなことになるんじゃろうが」
樫材の会計台の上で真鍮製の上皿天秤を前後にひっくりかえすと、曲がった腰をさらに折り曲げて店主が「どれどれ」。
秤の台座に半分だけ残った〈そいつら除け〉の匂い札は、老いた店主の黄ばんだ爪先でカリカリとかじられ剥がされた。
「先週遊びにきた孫がいたずらしてったんだろうよ」
「呑気な店主め」
「わしには視えんが、秤の上に奴らがいるのかね」
「わんさかおるさ」
「何とかしてくれないかね、アイヴィお嬢ちゃん」
「店主も変わっておるよな。魔草屋なんてのは、多少は魔心術の心得のある者が営なむもんじゃ」
「変わってるとはいえ、アイヴィお嬢ちゃんほどではないさ」
軽口を叩いている間にアイヴィはその辺に積まれている魔草の束から妥当な〈下げ草〉の一種を掴みとり、自作の〈
〈下げ草〉の効用は、気分の鎮静・催眠・酩酊だ。
ただし人間に効くものではない。
乳白色の煙が漂うと、天秤の上皿に集った〈
〈地下鬼〉は常人の目には視えない。
いわゆる〈
あちらとこちら、二つの世界は不可視の膜を隔てて重なりあっているらしい。そいつらが〈こちらがわ〉に越境してくるのは、そいつらの気分が高揚したときだ。
そいつらにとってこちらの世界は
放っておけばいずれ元どおりになる不可視の膜の破れ目を〈意識語〉で修復し、アイヴィ・ダンテスは空の買い物かごを会計台に突き出した。
「親切の対価はこのカゴいっぱいの〈魔痺タバコ〉で結構じゃ。あとそれから値段分の魔草もおまけしてくれたらうれしいのう」
店主は余計なそいつらの重さがなくなってカタンと跳ね上がった天秤の上皿に、今度こそ値段分の魔草を積んで、何も聞こえなかったように「十ダカト」と言った。
アイヴィ・ダンテスは不愉快そうに鼻を鳴らす。
「ポンコツ店主の噂が立って客が減ったら雇い主にクビにされるぞ。あいつは人情のない捻くれた魔物じゃからな」
「血も涙もない雇い主のシュナウツさんがお決めになった店の方針があってな、おまけはできんよ。〈魔痺タバコ〉なら雨漏りで売り物にならなくなったのが屋根裏に積んであるから、好きなだけ持ってっていいよ」
〈愛煙家〉アイヴィ・ダンテスは、口の端に欠かさず挟んでいる短いタバコから七色の煙を立ちのぼらせながら目を細めた。
背に腹は変えられない。貰えるタバコは貰っておく。
「あとで肉屋のルシオに取りにこさせよう」
十ダカト銀貨を渡して買い物かごを受け取った。
いまどきド田舎の果てでも見かけない古ぼけたボンネットに、灰色とも銀色ともつかないばさばさの髪をむりやり収めた女。
予備知識なく眺めても彼女が変わり者であることは誰もが察するだろう。
老婆好みのゆるゆるの服をまとい、毛玉だらけのまっ黒な肩掛けを巻いて引きずるその身体は、隠そうとしても隠しきれない若さ弾ける十七、八の娘のものであった。
アイヴィ・ダンテスは厭世感の浸み込んだ碧色の瞳を店主に向け、薔薇色の唇に不機嫌な笑みをのせて「じゃあの」と言った。
「はー」
と店主は返した。
外した丸眼鏡を拭き拭き、鈴を鳴らして閉まった扉の向こうに店主は呑気に声をかけた。
「毎度あり。今日も明日も魔心師の心の健やかならんことを」
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