第26話 副作用。

「サクラさん、聞こえますか。サクラさん」

「里香、貴方里香ね」

「今度会いに行きます」


「いつ来るの」

「明日です」

「そう、ならごちそうを用意して待ってるわ」


 悦子はキッチンへ行くと料理を始めた。包丁を握りしめてフルーツを切る。


「早くそれ冷蔵庫に入れてください」


 すぐさま悦子はフルーツを冷蔵庫に戻す。


「食べましたよ」


 悦子は冷蔵庫を開けて確認した。フルーツは減っていない。


「食べてくれるんでしょ」

「食べました」


 だが、やっぱりフルーツは減っていない。


 この頃里香が頻繁に喋りかけて来るようになった。悦子はその相手を一日中つとめている。


「あ、お迎えですよ」


 里香の声にハッとして玄関を出ると菊川の乗った車が待っていた。運転手の則元が後部座席のドアを開けてにこやかにおはようございますと言う。




「悦子、アレは使っていないだろうね」

「うーん、時々よ時々」

「あまり心配をかけないでおくれ。これでもキミのことが心配で」


「中毒というほど使ってはいないわ」

「そうかい」


 菊川は心配しているのだろうけどそれを押しつけがましく思うことはなかった。いつも優しく愛情を注いでくれている。


 病院に着き、すれ違うスタッフたちと挨拶を交わす。始めは奇異の目で見ていたスタッフたちも随分にこやかに接してくれるようになった。


「悦子、今日はこの本を読んではどうだい」


 院長室に腰を下ろし菊川が差し出したのは『晴れ時々くすり』という漫画だった。漫画を菊川が持っていることは極めて意外だった。


「薬物についてよく書けてるよ」

「あら、4コママンガなのね」


 漫画をぺらぺらと捲り悦子は関心を示した。これならあっという間に読めそうだ。


 早速ソファに身をもたすと読み入った。


 主人公は悩み多き30代のサラリーマンだった。ある日飲み屋の席で薬の売人と知り合う。買ったのは大麻数グラム。それを使用すると会社での悩みがすうっと消えて気分が良くなった。

 それから常用するようになったがある日逮捕される。薬物が切れ次々に現れる幻聴や幻覚。それに翻弄されながらも何とかやり過ごしていく。留置所の生活を笑いを交えて面白おかしく書いていた。


 最後の作品のタイトルは『さよなら薬物』だった。あとがきに作者は元薬物中毒者で学生時代から大麻にはまり込んでいたと書かれていた。作品に込められているのは薬物は絶対ダメだという強いメッセージ。菊川が今の悦子に伝えたかったことだろう。


 本を閉じ悦子は本の背に手を置く。ありがとう菊川さんと心で伝える。顔を上げると偶然にも菊川と目が合った。


「面白かったかい」


 菊川が微笑んでいる。


「ええ、とてもためになったわ」




「止めなくてもいいって言ってましたよ」


 菊川のいなくなった院長室で悦子はずっと里香と話していた。


「菊川さんは止めて欲しいのよ」

「お金がもったいないからじゃないですか」

「あら、そんな小さなことは仰らない方よ」

「薬って高いですからね」


「それより明日こちらに来るって話はどうなったの」

「もう着いてますよ」

「家に」

「ハイ」

「しょうの無い子ね」


 悦子は用事があるので帰りますと書き置きをすると院長室を後にした。




 自宅の前に里香がいることを期待したが帰ると誰もいなかった。


「里香。いないじゃない」

「やっぱり明日にします」

「明日来るのね」


「ハイ」

「約束よ」

「ハイ、必ず行きます」


 翌日迎えに来た菊川に友人が来るから今日は行けないと断り、里香を待った。けれど里香は一向に来なかった。


「ウソつき、来ないじゃない」

「いけませんよ、だって私死んだんだから」

「死んだ? 冗談でしょ」


「ハイ、冗談です」

「驚かさないで」


 悦子はふっと胸をなでおろす。この頃、毎日里香の相手をしているので疲れた。今日は1日眠ろう。ベッドに横たわると目を閉じいつの間にか眠っていた。


 目が覚めたのは誰かが頭の中で騒いでいたからだ。夕方の五時で夢も見ないくらいに熟睡していた。


「どうかした里香?」

「いなくなったんですよ」


 里香は消え入りそうな声で泣いている。


「誰が」

「娘です」

「娘さん?」

「夫が連れて行ったんです」

「旦那さんは亡くなってるでしょ」

「生きてました」


「あなたが殺したじゃない」

「そうですね」

「冗談ばかり。この頃のあなたおかしいわ。来るっていうのに来なかったり」

「明日行きます」

「もう来なくていい」

「じゃあ、行きません」


 その時、ドアをノックする音が聞こえた。


「誰かしら」

「則元さんですよ」

「どうして来たの」


「きっと亡くなったんですよ」

「誰が」


 言いながらドアを開けると則元が立っていた。

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