第22話 紗友里。

 店にその初老の男性がやってきたのは秋頃だった。隣についた悦子が穏やかな声で挨拶をした。


「初めましてサクラです。よろしくお願いいたします」

「あっ、どうも」


 そう言って口ごもる。こういう場所に不慣れな客だとすぐ分かった。


「お仕事は普段どんなことをされてるんですか」

「ああ、庭師です」


 長いこと店に勤めているが初めて聞く業種だった。店の常連は会社社長や企業の接待、芸能関係が多く、一般の職種には比較的敷居が高い場所に思えた。

 しかし、そういう思いを抱いては失礼なので、この上なく感動したように言う。


「まあ、お庭をいじられるの、素敵。ワタシの自宅の庭もいじって下さらない」


 男性は気がそぞろで悦子のことはあまり気にかけていない様子だった。彼の視線の先にいるのは紗友里という新人ホステスだった。


「紗友里が気になります。代わりましょうか」


 機嫌の悪さを前面に出して問いかけた。


「ああ、いえ。そういうわけではないです。すみません、すみません」


 男性は慌てて意思を否定し、ドリンクを飲んだ。飲んだのはオレンジジュースだった。その後色々と話題を振ったが男性は落ち着かない様子で紗友里の方ばかり見ていた。1時間程滞在した後、男性は帰っていった。1時間でオレンジジュース一杯、勘弁してくれと悦子は思った。


 仕事終わりバックヤードに紗友里がいた。


「サクラさん、今日やっぱりあの人来てましたよね」


 気味が悪そうに聞く。庭師のことだろうか。


「来てたわ。あなたの話ばかりしてた」


 意地悪くそう言う。紗友里は真っ青になり爪を噛む。


「冗談よ。でもあなたの方ばかり見てたわ」


 紗友里の口ぶりから男性が店に来るのは初めてではないと分かった。また、紗友里によると別の嬢を指名しては紗友里についてあれこれ問いかけ遠くからじっと見てるだけ。あなた好かれることをしたんじゃないと問うたがこれには首を振る。


「マネージャーにも相談したんですよ。でも、問題の無いお客さんを出禁になんて出来ないって」

「それもそうね」

「サクラさん今日怖いから一緒に帰ってくれませんか。外にいたらと思うとぞっとして」


 悦子は笑いしょうの無い子ねと笑った。





 後日、男性は悦子を指名した。いつものような適当な選択ではなく、この間の悦子の接客を気に入ってくれたからだと思った。だが。


「どうして紗友里を気になさるの」


 たまらず悦子は尋ねた。


 男性は重い口を割った。


「実は私、あの子の……父親なんです」


 悦子は衝撃の余り手に持ったグラスを落としそうになった。


「えっ、どういうことかしら」

「あの子が小さいころ離婚しましてずっと会っていなかったんですけど。お店の看板を見てここで働いていると知って、ひと目でも会いたいという思いで通い詰めていたんです」


 悦子は合点がいった。そうか、それなら話をすれば早いと思った。仕事終わりを待ってて欲しいと告げると、男性は1度帰った。


 勤務が終わり、紗友里の腕を握りしめ逃がさないよう連れ出す。約束通り店の前で男性が待っていた。


「紗友里よく聞きなさい、この方はあなたのお父さまなのよ」


 紗友里がはあ? と不快そうに声を上げた。


「父は死んでますけど」

「それはお母さまがウソをつかれたのよ。お父さまは生きていらっしゃるわ」

「そんなの、そんなこと急に言われても困ります」

「明日美、明日美だよな」


 男性が縋るように言う。


「あたし、明日美じゃないです」


 えっと悦子は声を漏らした。


「サクラさん、こんな奴のいうこと信じるなんてどうかしてます」


 そう怒鳴るように言うと紗友里はその場を立ち去った。

 残された男性と悦子は唖然とする。


「すみません、どうやら私の勘違いだったようですね」


 男性が寂しそうに言う。悦子は申し訳なくて何も言えなかった。


「ごめんなさいね、戸惑っているのかしら」

「いえ、もう来ません。ありがとうございました」


 丁寧に頭を下げると男性は夜の街へ消えた。




 ある日店に行くと紗友里はケガをしていた。目の上を腫らし、唇を切っていた。バックヤードのベンチに座り込みしょんぼりしているので悦子はたまらず声をかけた。すると紗友里は目を剥いた。


「私の住所教えたのサクラさんですか」


 怒りがこもっている。問いかけの意図が分からず問い返すとあの男性が自宅で待ち伏せていたという。そこで暴行を受けたと話す。悦子は紗友里の住所など知らないし、完全な濡れ衣だった。すでに紗友里はことの次第を上に報告し、悦子が個人情報を教えたと伝えたという。


「ねえ、待ってワタシあなたがどこにいるかも知らないのよ」

「じゃあ、どうしてあいつがうちに来たんですか」

「それは」

「サクラさんって本当に最低です」


 悦子は言葉を失い、呆然とした。


 その日の夜、悦子と紗友里は残されて店側と話し合いの場が持たれた。


「こんな人と一緒になんて怖くて働けません」

「紗友里ちゃん、勘弁してやってくれない」

「無理です」


 話はいつの間にか悦子が個人情報を教えたということが前提になっていた。自分が罪を着せられることより、善意だと思って行動したことが裏目に出たのが悲しかった。


「サクラ、紗友里ちゃんはキミがいると不安で働けないって言ってるんだ。すまないけど……」


 言葉を濁すように言う。はっきりと辞めてくれとは言わないがそう言うことだ。悦子は大台を過ぎた年増、紗友里はこれからの子。店側がどちらを残したいかは決まっていた。


 悦子は帰り際、公衆電話で美原を呼び出した。酔いたい気分だった。

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