第六十七話 告発

 その日、犬獣人のスコットが黒狼騎士団の詰所前で守衛をしていると、ひとりの女が訪ねてきた。

 籐のバスケットを抱えた黒髪の女は、おずおずとした様子で話し掛けてくる。


「こんにちは。こちらのアーチボルト団長にお会いしたいのですがどのようにアポを取ればいいですか?」


 スコットは女の持つバスケットから焼き菓子の甘い匂いが漂うのを感じ取ると、またか、という溜め息をついた。

 世の女性の憧れの的である我らが団長に、どうにかして御近づきになりたいという女性はそれこそ星の数ほど存在する。積極的な者の中にはこうやって直接彼を訪ねてくる者すらいる。そんな鼻息の荒い女性の中にあって、すぐに会わせろと言わずにアポの取り方を訪ねてくるだけでも随分と常識的である。


「団長は多忙ですので、必ずお会いできるかはお約束できません。それと、知らない方からの差し入れも受け取れません。お名前を伺えますか?」

「矢仲ゆりです」

「ヤナカ・ユリさん……。んん!?」


 スコットは女の顔をまじまじと見た。不躾な視線と目が合った黒髪の女は、少し困ったように控えめに微笑む。


「貴女は夜会の日の、召し人の……!? あれ、でも匂いが……」


 スコットは評議会主催の夜会の日、ミストラルの王子の警護をしており、その女……召し人の矢仲ゆりを間近に見ていた。

 今日の彼女はあの夜のような輝くオーラも魅惑的な匂いも持ち合わせてはいないが、確かにあのフレデリク王子と……団長の「天使」に間違いない。


「あの、じゃあ日を改めます。今日私の訪問があったことだけお伝えいただければ……。これも、受け取っていただけないなら持ち帰りますので……」

「いやいやいや! ここで、ここで待ってて下さい! 貴女をそのまま突っ返したら俺が団長に殺される!」


 スコットは受付も通さず、全速力でアラスターの執務室まで走っていった。




 コンコンコン

 ゆりが執務室の扉をノックすると、諾、の言葉の前に中から扉が開いた。


「ゆり!」


 扉が開いた瞬間、中から飛び出してきたアラスターがゆりをがばりと抱き締めた。


「あ、アランさん? えっと……ごきげんよう。お久しぶりです」

「ああ。ゆり……! 本当に、久しぶりだ」


 普段の紳士然とした態度は何処へやら、アラスターはゆりの肩口に顔を押し付けるとバタバタと千切れんばかりに耳と尻尾を振っている。



 ゴホン!



 執務室の中から咳払いをする声が聞こえると、アラスターはハッとしたように尻尾を止めた。


「すまない。久々でつい……な。中に入ってくれ。何か用事があったのだろう?」


 そう言って名残惜しそうに身体を離すと、アラスターはゆりの背に手を添えて執務室の中へ迎え入れた。


「夜会の日からずっと――お会いできなくてごめんなさい。アランさんのこと、心配してたんです。ただ、ちょっと、都合があって……なかなか教会から離れられなくて」

「ああ、従者の少年に聞いたとも。体調を崩して仕事も休んでいると。もう大丈夫なのか?」

「はい。お陰さまで孤児院の方もまた通い始めました」

「そうか。良かった」


「あの」


 背を押されていたゆりが立ち止まり、アラスターを正面から見上げた。


「アランさんは、お変わりないですか? 困ったり、辛かったり……してない、ですか?」


 何のことを言われているのだろうと一瞬面食らったアラスターは、ゆりの言わんとしていることを理解するとすぐに笑顔になり、その眼を優しく細めた。


「ああ、大丈夫さ。貴女に会えない夜は……思いの外、長かったけれど」



 ゆりとアラスターが最後に会った夜、アラスターは原初の獣に変貌し、その苦しい胸中を吐露していた。

 ゆりはそんな弱った彼を気にかけていたのだろう。

 体調が悪い中にあってもゆりが自分を気遣い想っていてくれたことを知り、アラスターは心から歓喜した。



「ところでゆり、貴女の方こそいつもと様子が違うじゃないか。身を焦がすような貴女の香りが……ほとんど感じられない」


 アラスターが無礼にもゆりの頭部に顔を近付けくんくんと匂いを嗅いだので、ゆりは赤面して一歩後退ると、意を決したように再びアラスターの顔を見上げた。



「アランさん。今日は……大事なお話があって来たんです」



 その真剣な面持ちに、どうやらただの世間話ではなさそうだと悟ったアラスターもいつもの団長としての表情を覗かせる。


「その話は、俺個人にか? それとも、黒狼騎士団の団長にか?」

「両方、です。アランさんなら……アランさんしかいないと思ったので」

「わかった。話を聞こう。後ろにいる秘書のレインウェルは信用できる部下で、俺の身内でもある。同席しても構わないか?」

「はい」


 ゆりが応接用のソファーに浅く腰掛けると、アラスターはその向かいに座る。ゆりは深呼吸をひとつすると、ぽつぽつと語りだした。


「アランさん……評議会では、二ヶ月近く前に北の村がひとつ壊滅したのを把握しておられますか」

「……ああ。教会からは局地的な流行り病で、埋葬の手違いから一部がアンデッド化したと聞いたが。既に浄化済だと報告を受けている」


 冒頭から予想しなかった話題に、アラスターはやや面食らいながら答えた。だが、ゆりはその答えに首を振る。


「いいえ、私が知る事実は違います。村人はアンデッドになったんです。その数、約二百と聞きました」

「な……!」


 アラスターは驚愕に眼を見開いた。


「教会が事実を隠蔽したというのか……? アンデッドに変じた村人の数を過小報告して……何のために……」

「初動を誤って犠牲者が増えたことを誤魔化そうとしたのでは?」


 アラスターの問いに、秘書のレインウェルが答えた。

 ゆりは再び首を振った。


「教会が隠しているのは不死者(アンデッド)の数だけじゃありません。その場には不死の王アンデッドキングも出現し、討伐に行ったナオトはその不死の王アンデッドキングに咬まれて呪いを受けました」

「少し、少し待ってくれ」


 次々もたらされるとんでもない情報に、アラスターは慌てて待ったをかけた。ゆりの後方を見れば、そこに立つレインウェルも同様に信じられないといった顔をしている。


不死の王アンデッドキング……? そんなもの、ほぼ伝説上の存在ですよ?」



 ――不死の王アンデッドキング


 一説には、数百年という時を耐え抜いた不死者アンデッドの個体が進化して王に至るとされている。

 だが現代では不死者アンデッドを発生させないための埋葬方法が広く伝わり、不死者アンデッドそのものが現れる機会が減っている。稀に死者の強い念に取り憑かれて、或いは第三者による強力な呪いにより生者が不死者アンデッドに変節することがあるが、これも見つかり次第即座に浄化されるため、ひとつの個体が何百年もその姿を保つことは不可能に近い。



「旧王立図書館の禁書庫で調べました。現代において不死の王アンデッドキングが姿を現そうとするなら――複数の高位の術者と、複雑な術式による召喚が不可欠です」


 そのゆりの言葉に、アラスターとレインウェルは息を飲んだ。



 この女性は半年近く前にこの世界に落ちてきたばかりで、その時にはこの世界の文字の読み書きすらできなかったはずだ。

 それが何らかの方法で禁書庫の立入許可証を手に入れ、現地人にも難解なはずの禁書を読んだのだ。それも恐らく、誰の助けも借りずに。



 アラスターは恐れを含む眼差しでゆりを見た。


「ゆり、貴女は――。教会を、告発しようと言うのか」

「いいえ」


 ゆりは自身の左腕を庇うように抱き締めると、苦しげな表情で続けた。


「私は、ナオトを助けたいんです。彼は一時不死者アンデッドの癒えない傷を受けて苦しんだし、今も……不死の王アンデッドキングの接吻に、蝕まれているから」

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