if. ドーミオの場合

「嬢ちゃん。悪ぃんだが、俺はそういう堅苦しいのはちょっとな……」

「そうですか……」


 二枚の観劇チケットを手にしゅん、と俯いたゆりを見て、ドーミオの動揺は極まった。何故俺なのか、と。


「ドーミオさんにはお世話になりっぱなしでなんのお返しもできてないから、いい機会かなと思ったんですけど……。そうですよね。ドーミオさんの好みとか、全然考えてなくて。ごめんなさい」


 そう言って頭を下げるゆりに、ドーミオは焦りながら言い訳した。


「あ、いや、その劇場はドレスコードやら色々面倒な貴族サマの作法があるだろ? 俺みたいな奴が行っても、同伴した嬢ちゃんが嗤われて恥かくだけだからよ……」

「そんなこと、ないです」

「嬢ちゃん。……観たいのか?『異界伝説』」


 ドーミオの問いかけに、ゆりは戸惑いがちにこくんと頷いた。


 まあ、そりゃそうだろうなとドーミオは思った。この世界に、この物語が嫌いな女はいない。ゆりだって年頃の女なのだ。この世界の乙女の一般常識、とまで言われて興味がないわけはないだろう。


「――わかった。俺が連れてってやるよ、『異界伝説』。但し、その劇場でるような上品なもんじゃねえ。庶民の『異界伝説』をよ」


 ゆりの表情がぱっと明るくなったのを見て、まあこういうのもたまにはいいかとドーミオは笑った。




 ゆりの誘いから三日後の晩。

 ドーミオはゆりを伴って、西地区の小劇場――所謂ショーパブを訪れていた。店内の正面に舞台が誂えられており、客は食事や酒を楽しみながら、歌や演劇を楽しむことができるのだ。

 劇場によっては卑猥な見世物が行われる場所もあるが、今日ドーミオがゆりを連れてきたこの場所は健全な営業をしており、料理の質や店の雰囲気から女性客も連れて来やすいデートスポットとしてそれなりに知られていた。


 二人のテーブルは、舞台の正面、かなり前方である。普通なら人気店であるこの店に三日前に予約を取ることはほぼ不可能だが、ドーミオはここのオーナーに顔が利いた。

 二名分の席の確保をオーナーに頼んだところ、まずはかなり驚かれ、次に物凄く気持ち悪く笑われて……無言で肩を叩かれサムズアップされた。「任せておけ」と。

 ドーミオはオーナーが何を言わんとしたのかはわかっていたが、進んでその誤解を解くようなことはしなかった。サービスされこそすれ、悪いようにはならないと思ったからだ。



 だが。

 案内されたテーブルを見て、ドーミオは盛大に咳き込んだ。


「わ~すごい! お花がたくさん飾ってある!」


 ドーミオ達のテーブルは、セッティングからして他の席とは違っていた。丸テーブルの中央には豪華なフラワーアレンジメントが飾られており、その周囲にはご丁寧に真っ赤な薔薇の花弁まで散らされている。


「きれいですね! でも、どうしてここだけ??」


 にこにこしながらも至極真っ当な質問をしてきたゆりに、ドーミオはどかりと椅子に腰を下ろして答えた。


「オーナーが知り合いなんだ。……サービスだろ」

「へえ~。親切なオーナーさんですね」

「ああ」


 給仕に椅子を引かれて席についたゆりは、なんだか妙に近い。普通なら向かい合わせに座るであろうところ、明らかに舞台に向かって正面、隣同士に座らされていた。

 ちょっとやりすぎだろ、とドーミオは心の中でオーナーに悪態をついた。


 席に着いて一杯目は、これみよがしに「こちらはオーナーからお二人への贈り物です」と持ってこられた発泡性葡萄酒スパークリングワインだった。

 “貴女の相手は店のオーナーから一目置かれる男である”というアピールだろう。流石人気店のオーナー、心遣いも一流である。

 ドーミオは大袈裟な咳払いをすると、上品な……ドーミオからすると些か物足りない量のフルートグラスを掲げ、ゆりと乾杯した。


 二人の前に前菜オードブルが運ばれて来る頃には席は全て埋まり、舞台脇のピアノから軽やかなメロディーが流れてきた。

 一口でフルートグラスを空にしたドーミオは、続いてゆりも飲めそうな軽口の葡萄酒ワインを頼んだ。そうしてドーミオは――――ガンガン飲んだ。いい歳して女を前に緊張を誤魔化そうとして、どんどん酒を追加し、ガンガン飲んだ。これも全て、余計な細工をしてドーミオに変にゆりを意識させてしまったオーナーのせいである。

 幸いドーミオは見た目通りほぼザルなので、酔い潰れるようなことはなく、程良い酩酊が訪れただけだった。




 メインの肉料理ヴィアンドが運ばれゆりの腹の容量が限界を迎えた頃、これまで情熱的なバラードを聴かせていた女性歌手が舞台袖に下がり、いよいよメインプログラムである『異界伝説』が始まった。

 ピアノとバイオリンの音色に合わせて、語り手が物語を紡ぎ始める。


 時はいにしえ、世界は混沌の中にあった――。


 情感を込め歌うように語られるその調子に、ゆりは早くも引き込まれていた。しばらく物語の筋を追っていた語り手は、ひとつの山場に差し掛かるとトーンアップして叫んだ。


「その時地上に降り立った女神……。それは――――、貴女だ!!」


「……えっ?」


 突然語り手に勢い良く指差され、ゆりが慌てて自分の後ろを確認する。すると頭上からスポットライト――この世界では魔道具の一種――が当てられた。もう一度確認すると、語り手は間違いなくゆりを指している。

 ゆりがきょとんとしていると、周りからヒュ~!という指笛と歓声が聞こえる。混乱してドーミオの方を見ると、既にいい状態のドーミオは膝を叩いて豪快に笑った。


「ハッハッハ! いいじゃねえか、女神サマ。行って来いよ!」

「ええ……?」


 もはやゆりを庇う者は誰もいない。

 ゆりはぎくしゃくしながら舞台役者に手を引かれると、舞台に上った。そして女神役の花冠を被らされると、舞台の端に居心地悪く立った。


「見よ! 女神の麗しき姿を! その髪は美しい濡れ羽色、その瞳は全てを見通す澄んだ褐色だ!!」


 語り手が即興でゆりの容姿を褒め称えると、客席から歓声があがる。しばらく苦笑いを浮かべていたゆりだが、アルコールの力もあり、どうせなら楽しむしかないと腹を括った。


 しばらくは、ゆりは舞台の端に立っているだけだった。勇者役の見目良い役者が颯爽と登場し、長たらしい口上を述べる。ゆりの出番は女神が勇者に神剣を託すシーンである。ゆりは袖にいる黒子から神剣のレプリカを差し出されると、あーハイハイと受け取った。恐らくそれを勇者に渡すのだ。


「神剣……それは女神の愛。その愛を胸に、勇者は真の力に目覚」

「ちょっと待ったァーーッッ!!」


 語り手が情感を込め謳い上げたところに、突如野太い声が割って入った。

 ゆりがぎょっとして客席を見ると、そこには筋骨隆々の大男――ドーミオが仁王立ちしていた。



「そんなナマっちょろい奴が勇者だとぉ!? そんな優男にゆりの……女神の愛はやれねぇな!!」



 突然の大男の乱入にざわ……と客席が浮き足立つのを感じ取り、ゆりの背にとてつもない量の汗が流れてきた。


 ――だめだ、ドーミオさん完全に酔っ払ってる。


 ゆりは客席から怒号が飛ぶのを覚悟した。だが、ある客の呟きで状況は一転する。


「おい、あれ……。ドーミオじゃねえか?」

「あの、ギルド最強の英雄の??」

「『絶対強者のドン・フエルテドーミオ』! 本物かよ!!」


 ゆりは知らなかったのだが、実はドーミオはナオトやアラスターに次ぐくらい……むしろ冒険者の間ではそれ以上に有名人なのだ。


 ざわめきは徐々に歓声になり、ワーッ!と囃し立てる声があがる。


「いいぞ、ドーミオ! やっちまえ!」

「男らしいところを見せてー!」


 やんややんやと野次が飛ぶ。ドーミオは「おうよ!」と歓声に応えると、首や腕を動かし関節を鳴らしながら舞台に近付いた。


「なんとその時、もう一人の勇者がこの地に現れたぁ! その名はドーミオ! 絶対強者の名を欲しいままにするギルドの英雄! 勇者オスティウスとドーミオ……二人は真の勇者の名を、そして女神の愛を賭けて今、対峙する!」


 語り手は勝手にストーリーを変更して観客を煽る。いいぞいいぞ!と周囲が囃し立てる中、真っ青になったのは勇者オスティウス役の俳優である。


「優男さんよォ……。俺は日頃から『』には腹に据えかねててな。一発殴らせろ」


 舞台に上がり、ボキボキと拳を鳴らしたドーミオは凶悪な笑みを浮かべて勇者を見下ろした。

 このままでは勇者がボコボコにされてしまう。ゆりは慌てて間に入った。


「ちょ、ちょっとドーミオさん、ストップ! ストーップ!! 役者さんは顔が命なんですから、暴力はダメですよ!?」

「あン? なんだゆり、俺に貰われたくねえのか? ボディにしとくから安心しろ」

「それもダメです! 内臓が死にます!! あっ、そ、そうだ……腕相撲! 腕相撲で勝負したらいいんじゃないですか!?」

「ウデズモウ? なんだそりゃ」

「えっとですね、私の世界には拳と拳で語り合う神聖な勝負があってですね……」



 かくて。

 絶対強者のドーミオ対勇者オスティウス(役の不幸な青年)の腕相撲対決の火蓋が切って落とされ――――秒で終わった。



「ハッハァ! 話になんねえな! 他に俺に挑むヤツはいねぇのか!?」

「その勝負、買ったぞ!」


 舞台上に持ち込まれた円卓をバンバンと叩きつけるドーミオに、新たな挑戦者が名乗り出た。


「真の勇者の名を賭けた戦いは終わらない! 次に挑戦するのは――なんと、あの『猛牛』モラーレスだ!!」


 完全にリングサイドの実況になってしまった語り手が挑戦者の名を読み上げると、舞台にかなり重量のありそうな巨漢が躍り出た。


「はーん。最近ギルドでこれからは俺の時代だとか吹いて回ってるって噂の『猛牛』サンかよ」

「フン、絶対強者の二つ名、今日限り名乗れなくしてやるぞ!」


 いいぞー! やれー! がんばってー!


 観客の声援を舞台から見下ろしながら、なんでこんなことになっちゃったんだろうとゆりは苦笑いした。

 そうして『猛牛』までも光速で薙ぎ倒したドーミオは、参加料・麦芽酒エール一杯、自分が負けたらこの場の全員の今日の支払いを持つという滅茶苦茶なルールで挑戦者を募り始め、店中の男を負かしたのだった。



「この男を倒せる者は、もうこの世にはいない!ドーミオこそ最強! つまり、この男こそ真の勇者だーっ!」



 店中の男が挑んだ腕相撲大会が終わり、語り手が勝者を宣言すると、観客席からはワーッという歓声と拍手が響いた。


「真の勇者には女神の祝福を! さあ女神よ! 勇者に祝福の口付けを!」

「えっ!?」


 急に話を振られたゆりが驚いて顔を上げると、客席からヒューヒュー!と囃し立てる指笛の音が響いた。


「えっ!? えっ!?」


 しばらく腕を抑えて悶絶していたはずのオスティウス役の青年に舞台の真ん中に押し出されたゆりは、隣に立つドーミオを恐る恐る見上げた。

 ドーミオは満面の笑みでゆりを見ると、ひょいと片腕でその身体を抱き上げた。


「頼むぜ女神サマ」


 そう言って自分の頬をチョイチョイと指す。観客はその様子を見て、早くしろー!と野次を飛ばす。

 絶対に逃れられないこの状況。アルコールで少しだけ気が大きくなっているゆりは覚悟を決めると、真の勇者――ドーミオの右頬にキスをした。


 ひゅ~!と熱い歓声を送った観客は、次にドーミオ、お前もやれ!と騒ぎ始める。

 既に麦芽酒エールを二十杯以上飲み干して完全に出来上がっているドーミオは、客席に向けてガッツポーズをすると、


「ゆりー! 愛してるぞー!」


 と笑いながら叫び、ゆりの頬にキスを返した。




 そして帰り道。

 ゆりに無理矢理ジョッキで水を飲まされ、夜風に当たったドーミオは、早くも自らの行いを後悔していた。



 ――ヤバい。ナオトに殺される。



 色んな意味で頭痛がしてきて額に手をやったドーミオを見て、ゆりは笑った。


「あー、今日は本当に楽しかったです。ドーミオさん、ありがとう!」

「そうか……まあ、アンタが楽しんでくれたならいいけどよ……」

「はい。また連れてって下さいね! ……あっでも、次はちゃんと最後まで『異界伝説』が観たいなあ」


 酒のせいなのか、いつもより陽気に笑うゆりの言葉に――ドーミオはあることを思い出した。


「ゆり。そういやお前さんに渡そうと思ってたんだ。……これ、やるよ」


 使い込まれた腰の革鞄から可愛らしい赤いリボンのかけられた包みを取り出すと、ゆりに差し出した。


「?? 開けても、いいですか?」

「おう」


 ゆりが包装を解くと、中から出てきたのはこれまた可愛らしい装丁の『異界伝説』の小説だった。


「どうせ、あの店で観られるもんは大衆向けに色々手が入った話になっちまうと思ったんだ。真面目なアンタのことだから、きちんと元の話を知りたいっつうんじゃねえかと思ってな。――まあその本も、ガキ向けに少し簡単にしてあるみたいだが」

「ドーミオさん、わざわざこれを私のために用意してくれたんですか?」

「ああ、まあな。そのくらいの文章なら、今のアンタでも読めるだろ」


 ゆりがこの世界の読み書きを勉強中だと知っているドーミオは、敢えて少し平易なジュヴナイル版の『異界伝説』を選んでゆりに渡したのだった。

 そこまで自分のことを考えていてくれたのだという感激に、ゆりは胸が熱くなる。


「ドーミオさん……ありがとう……! もうっ、大好きです!」

「わーった、わーった。その辺にしとけ。……送り狼になっても知らねえぞ?」

「あはは、まさかぁ!」


 冗談で言ってるわけじゃねえんだけどな、と息を吐くと、ドーミオはその大きい手をぽんぽんとゆりの頭に乗せた。

 空では三日月が、その口の端を持ち上げてニイと笑っていた。



――頬へのキスは、「親愛」。

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