第三十話 大人になったね

 その日、ゆりが朝起きて顔を洗うため井戸の水を汲みに行こうと部屋のドアを開けると、目の前にナオトが立っていた。


「ねーねーゆり、出掛けよ?」


 ゆりは「私まだ寝ぼけているのかな?」と一旦ドアを閉め目を擦る。改めてもう一度ドアを開けると、やっぱり本当にナオトだった。ナオトは尻尾をパタパタ振りながら「出掛けよ?」と繰り返す。


「えっ? 今日はこの後仕事だから無理だよ」

「明日は?」

「明日も仕事」

「じゃあ、明後日は?」

「ちょっとやりたいことがあって……」

「……ゆり。」


 ナオトはゆりの両手をひし、と掴むと顔を近付けてきた。


「ね、なんでも買ってあげる。欲しいもの、なんでもあげるから」

「ええ……?」


 まるで誘拐犯か援交親父のような台詞に、ゆりは困惑した。



 最近のナオトは変である。


 ギルドの手伝いをする、と言って二週間ほど神殿を空けたと思ったら、ふらりと戻ってきて「お土産あげる」と言って謎の包みを置いて消えていったり。

 そうかと思えば今日のように早朝から部屋の前でゆりを待ち構えていたりして。


 ちなみに、「お土産」の包みを開けてみたところ中から毒々しくペイントされたが出て来てゆりはその場で絶叫した。

 ――慌ててやってきたテオドールの調べによると、それはさる古代王族の墓に埋葬されていた副葬品で、学術的な価値の高い骨董品だとか。

 売れば家が一軒買えます、と真面目な顔でテオドールに言われたが、ゆりは怖かったので教会の博物館に寄贈した。



 ――いくら悪趣味なものだったとはいえ、わざわざ私に、とくれたものを断りもなく博物館に寄贈してしまったのは悪かったかな。でも呪われそうで部屋に置いておきたくなかったし……。

「あんなもの受け取れない(色んな意味で)」って言ったらショック受けてたもんなあ。

 それに良く考えたら、ナオトが私に何かものをくれたのって、これが初めてだったかもしれない……。



 徐々に罪悪感に苛まれ、ゆりは嘆息した。



「わかったよ。じゃあ明後日一緒に出掛けよう? ちょうど私も初めてのお給料が出たばっかりだから、何かおいしいものでも食べに行こう」


 ゆりがそう言うと、ナオトは尻尾を振って嬉しそうにぎゅーっと抱きついてきた。その時やっと、ゆりは自身の抱えていた違和感の正体に気が付いた。



 そうだ。


 ナオトはいつだって自分勝手で、こちらの都合なんてお構い無しな人だった。大体、この間は夜中いつの間にか勝手に部屋に入ってきていて、朝目覚めたら抱きまくらにされていた、なんてことすらあったはずなのに。

 そのナオトが、部屋の前でお行儀良く、私が起きて出てくるのを待っていただなんて!

 しかも、ちゃんと約束の前に此方のスケジュールを確認してくれている!?



 ゆりは謎の感動がこみ上げてきた。



「ナオト……。大人になったね?」


「オレは大人だよ。……なんならベッドで確認させてあげてもいいけど」



 ――やっぱり気のせいだったかもしれない、とゆりは思った。


 ゆりがナオトの腕の中で再び嘆息すると、廊下の向こうから聞き慣れた声が響いてきた。


「ゆりさん! ナオト様! おはようございます!」

「テオくん? おはよう!」


 ゆりがあいさつを返しながら声の主を見ると、そこには兎耳の神官見習いテオドールの他に、白髪の中年――神官長がいた。


「し、神官長?!」


 ゆりが慌てて抱きついているナオトを引き剥がそうとすると、びくともしないどころか、ナオトはするっと背後に回り込み、後ろからゆりを抱き締め直すと神官長達を睨み付けている。


「ちょっと、ちょっとナオト……」

「ゆりさん、おはようございます。ナオト様も、ちょうど良かった。お二人にお話があるのですが、少しお時間をいただけますか?」


 焦るゆりをよそに、神官長は物怖じすることなくにこりと微笑んだ。






「夜会……社交パーティーですか??」


「はい。各国の要人が集まる交流会のようなものです。そちらに、是非ゆりさんにお越しいただきたいと」

「えっ、いや、ちょっと私には荷が重いです」


 ゆりが慌てて両手を振ると、神官長は困ったように微笑んだ。


「そこをなんとかお願いできませんか? 通常であれば、我々女神教は世俗の華やかな場に罷ることはありません。ただ、連合会議ともなると……。


 ――我々はね、ゆりさん。女神の意思をあまねくこの地に反映すべく、この世のまつりごとにも一定の発言力を有していたいと思っています」


「それは……わかります」

「女神教の総本山であるトゥ=タトゥ聖教国の本殿からもを受けておりまして。女神の客人にお会いしたいと」

「それって……」



 それってつまり、断れないじゃないか。


 ゆりは固唾を飲んだ。そして腹をくくった。



「わかりました。私……。行きます」


「おお! 引き受けて下さいますか。ありがとうございます。女神の名の下、感謝を」


「……ただ、お願いがあるんです。私は、この世界のことをまだまだ知りません。難しい政治の話はともかく――最低限、社交の場の末席にいても恥ずかしくない程度のマナーや常識を、教えてはいただけませんか? 神殿の方に恥をかかせるようなことがあっては申し訳ないですし……」


「おお、おお、それはもちろん! 神官の中には貴族の出身もおりますゆえ、もしくは伝を使って……相応しい者を用意しましょう」

「ありがとうございます」


 やるからにはしっかりやる。


 そんな真面目なゆりの決意を見て取ったのか、良かった良かった、と安堵の表情を見せた神官長は、そのまま部屋の端でつまらなそうに話を聞いていたナオトに向き直る。



「……ということですからナオト様。今年こそは貴方も招待を受けて下さいますね?」

「やだよ。めんどくせー」

「ゆりさんを御一人で行かせても良いのですか?各国から、それはそれは多くの見目麗しい女性が訪れ、またそれを見初めようと多くの地位ある男性が訪れるわけですが」


「………………。わかったよ、行けばいーんだろ。ただしオレはゆりみたいに真面目に勉強とかはしないから」



 ――そんなにたくさん綺麗な女性が来るなら、そりゃあ行きたいよね。



 しぶしぶ頷いたナオトを見て、ゆりはそう納得した。


 実際は、ナオトは後半の理由――「女性を見初めようと訪れる地位ある男性」の方が引っ掛かったわけだが。


 なんとか話がまとまったところで、テオドールが控えめに挙手をする。



「あの、神官長。ゆりさんには、その場に相応しい装いが必要なのでは? 具体的にはドレスや、靴や、宝石などです」



 神官長はぽん! とばかりに手を打つ。


「それはそうだ。ああ、だが私は世俗のことはからきしで……どこに何と頼むべきかもとんと見当がつきませんね」

「ぼくの家では、母と姉のところに仕立屋さんが来てくれたり――もしくは、直接店に買い求めに行くこともあったみたいですけど」


 一応貴族の端くれであるテオドールが首を捻る。すると、ナオトがテオドールを真似て顔の横で挙手をした。


「あーそれなら」


 猫耳をぴょこん、と持ち上げてゆりを見る。


「明後日ゆりと出掛けるから、見繕ってくればいーよね? ゆりに、服や宝石を買ってあげるって約束したから」


「おお! それでしたら最上級のものを頼みましたよ。我が神殿の威信がかかっていますからね」


 これまでの面倒そうな雰囲気が一転、こちらを見て「ね、ゆり」と楽しそうに笑うナオトに、そんな約束したっけ?? と内心で汗をかくゆりだった。

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