第二十六話 事情聴取
中央評議会所属、レインウェル・フォートナム・ブロワの上司殿――アラスター・ウォレム・アーチボルトは、今日は朝から落ち着かない。
正確には、執務机に真面目に座ってはいるのだが……耳と尻尾が落ち着かない。
不安。歓喜。期待。焦燥。全ての感情がない交ぜになって耳と尻尾がブンブンバタバタと振り回されている。
現在のところ、彼にこのような表情――いや、表情は真顔なのだが――をさせる人物を、レインウェルは一人しか知らない。
「今日はついに眠り姫に御目にかかれますね」
「遊びに来るわけじゃないぞ。事情聴取だ。――勇者殿もいる」
至って真面目な回答だが、最後の方は苦虫を噛み潰したような表情だった。
コンコンコン
「アーチボルト団長、勇者ナオト殿とお連れの方がお見えです」
「いいぞ、通せ」
待ってました!とばかりにピンと立った耳に、いくらなんでも分かりやすすぎるだろ……とレインウェルは思った。
「アランさん、こんにちは」
「!」
ゆりの一言目でレインウェルは面食らった。ゆりがアラスターのことを、家族とごく親しい人(主にレインウェルのことである)にしか許していない愛称で呼んだからだ。
「ああ、よく来たな。座ってくれ。ゆり、身体はもういいのか?」
アラスターはゆりを執務室の入り口まで出迎えると、その背を優しく押して応接用のソファーへエスコートする。そして肩越しにゆりの隣にいたはずのナオトを一瞥すると……そこへ座れ、と顎でしゃくった。
これでは勇者の方がゆりのオマケ扱いである。
ゆりは勧められたソファーの前に立つと、一度アラスターを真っ直ぐ見てから丁寧に腰を折った。その所作の確かさに、レインウェルは「なかなか育ちの良さそうなお嬢さんだな」と評価を加えた。
「エメから聞きました。アランさん、騎士団の方と一緒に私のことを探してくれたって。ご迷惑かけて申し訳ありません」
「いや、いいんだ。貴女が無事で良かった。……顔を上げてくれないか?」
アラスターが気遣わしげな声をかけると、ゆりはゆっくりとだが「はい」と頷いて顔をあげた。
「……アランさん。助けに来てくれて、ありがとう」
「…ああ」
頭を下げながら感情が込み上げたのか、再び顔を上げたゆりの目は少し赤く潤んでいた。そのまま涙を堪えるように笑顔で礼を述べると、アラスターはややぶっきらぼうにそれに応える。
……照れてるな。
レインウェルはそう心の中で上司の心情を慮った。
再度着席を促されたゆりがようやく腰を落ち着けると、その横には既にナオトが堂々とふんぞり返り、退屈そうに尻尾を揺らしている。アラスターは敢えてそれを無視した。
「ゆり、知っているとは思うが俺達は今回の一連の女性誘拐事件のことを捜査している。ゆりからも証言が欲しい。だがもし……我々には言いにくいことがあるなら、女性の団員を呼んでもいい」
「……いえ、大丈夫です。話します」
ゆりの証言はこうだ。
ナオトらしき人影を見掛けて思わずエメの警告を無視して追いかけてしまった。路地に入ったところで何者かに腕を掴まれ路地裏へ引き込まれ、乱暴されそうになって抵抗していたら被っていたフードが脱げてしまった。
自分の髪を見た男達が「そのまま売った方がいい」などという会話をしだしてそのまま昏倒させられた。その後のことは良く覚えていない……
アラスターは聞いていて腸が煮え繰り返るような怒りを抑えられずにいた。
何故なら、今回のゆりの危機は本を正せば全てナオトのせいだからだ。
ゆりにも軽率な点はあったものの、そもそもゆりが路地に入ってしまったのはずっと姿を見せないナオトを追いかけたからだし、ゆりが娼館に放り込まれたのだって……ナオトが黒髪の女ばかりを買った挙げ句使いものにならなくしてるから、と娼館の支配人が証言している。ゆりの身が傷付かなかったのは、単に運が良かったからに他ならない。
そう。
ナオト自身は公娼館で公娼を買っていただけのつもりだったが、結果的にそれが事件の発端となっている。被害者は全員命に別状はなかったが、心に傷を負った者もいる。――愚か者の謗りは免れまい。
アラスターは静かな怒りを湛えたまま、そっぽを向いているナオトを見た。
「それで? 勇者ナオト殿……申し開きがあれば聞こう」
「申し開きも何も、女買って……。いつの間にかガンギマリにされてた? みたいな」
「ネコロリソウのことか。お前自身が持ち込んだものなのでは?」
「ハア? そんなゴキゲンな趣味はねーよ。いつの間にか盛られてたんだっつの」
「匂いで気が付かなかったのか?」
アラスターの問いは最もだった。通常であれば神獣人であるナオトが薬物の匂いに気が付かない訳がない。
あるとすれば余程巧妙に細工されていたか、心身に不調があったか――実際にはその両方だったのだが。
まさか「お前とゆりを取り合った後不貞腐れてヤケになってたから」とは、流石にナオトは言えなかった。
考えあぐねたナオトはしばし気不味そうに視線を宙にさ迷わせ……ボソリと答えた。
「……鼻が詰まってた。」
勇者ともあろう者のあまりに子供じみた回答に、レインウェルは盛大に咳き込みそうになった。
原因や切欠は置いておいて、ナオトにも同情すべき点はある。
そもそも今回ナオトは狙われて嵌められた可能性があるし、それに加え――猫族があれだけネコロリソウを盛られて、廃人にならずにいられるだけでも十分驚異的なのだから。
アラスターも怒る気力を失くしたのか、眉間を指で抑えながら、ハーーーーーーーー、と長い息をついた。
「……違法薬物の出所に心当たりは?」
「ああ、それなら――」
アラスターの問いに、ナオトは待ってましたとばかりに凶悪に目を細める。
「心当たりがあるから――プロに任せた」
モルリッツの中央地区の西の外れ、閑散とした古い民家。
虎獣人の女は、腰近くまである黒髪を恐怖に乱しながら必死に後退っていた。
その前に立つのは白尽くめの男。フードから覗く紫の瞳が、冷たく女を見下ろしている。
「し、知らない! 私は、何も……、っぎゃああああ゛!!」
女の右の手の甲に銀のナイフが突き刺さる。
「もう一度、聞く。――勇者を陥れた、目的と、首謀者を、言え」
「本当に知らない……っ!最初は薬物の密売に手を貸すと言われて、それしかっっぎゃあーーーっっ!!」
次は容赦なく左脚に。
「誰かは知らないっ! ひぃっひぃ……言われたの!『理性の檻を壊し、獣を解放せよ』って…………ぐぎゃァァーーッッ!!」
かくて。
事件は解決し、黒髪女性連続失踪事件の実行犯と首謀者である娼館のオーナーは逮捕された。
被害者の女性達は皆それぞれ、元の生活へ戻っていった。教会が女性達に無償で治療と援助を行うことを申し出たため、生活に支障はなく、皆心身共に安定しているようである。
皮肉にも薬物のせいで当時の記憶がほとんどない、というのもプラスに働いたのかもしれない。
一見、傷ついた女性に手を差し伸べる教会の行いは慈悲深いものだが、それはしかし、今回のナオトの失態を隠蔽するために手を回してきたということは明らかだった。
当のナオトも二週間謹慎の沙汰があり、その間聖教書の写本を命じられたとか。
あの傍若無人な勇者がそんな命令を聞くはずがないとアラスターは思ったが、ゆりの話によると素直に罰を受け入れたらしい。少しは反省の気持ちがあるようである。
そして後日。
事件の後処理もあらかた終わった中央評議会管下黒狼騎士団の下に、教会を通じ違法薬物密輸入の首謀者だという女が証拠と共に拘束され、届けられた。
女は、騎士団員の尋問に口を利くことはできたが――
口を利くことの他は何も出来なくなっていた。
「これで貸し借り無し、ですかね……」
レインウェルの言葉に、アラスターは苦々しげに頷いた。
第一章 終 (次章へつづく)
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