第二十一話 絶対、動かないで

 エメと約束の買い物の日。

 アラスターに忠告された通りにエメとお揃いの白いローブのフードを被ったゆりは、真面目な顔で手元のメモにボールペンでチェックを入れる。

 

「えーと、服、洗面道具はよし。それから……」


 今日ゆりが買い求めたかったものは主に日用品類だ。神殿にも必要最低限のものはあったが、普段から非常に清貧かつミニマルな生活を送る神官のための支給品には、朝髪を梳く櫛すらない有り様で。贅沢をするつもりはないが、年頃の女性には足りないものがあまりに多かった。

 

それなりの量を買ったため持ち運びをどうしようかと思ったが、エメが店の主人に幾ばくかの手間賃を追加で渡して、神殿に送ってくれるよう手配してくれたので今は二人とも手ぶらだ。



「ねぇ、エメ、ほんとにお金のこと、いいの?」

「……しつこい」



 買い物をするにあたり、この世界のお金を持っていない、そもそも見たこともないゆりは当初、エメに頭を下げ「貸して下さい」と素直に頼んだ。「期限は約束できないが、いつか働いて必ず返すから」と。

 冷静に考えれば寸借詐欺まがいの約束だが、エメはそれに頷いた上、結局蓋を開けて支払いを全て済ませたら「返さなくていい」と言うのだ。真面目な日本人であるゆりは、素直にそれに甘えるには些か抵抗があった。


「でもね、お金の貸し借りはきちんとしないと……」

「アーチボルト卿……には、餌付け、されてるのに?」

「餌付け!? ……うう。確かにそう言われると返す言葉がない……」


 エメの言い分はもっともだった。ここ一週間以上、頻繁にゆりの元にやって来ていたアラスターは、毎回美味しそうな菓子を手土産にし、ゆりはそれを受け取って……つまり、平たく言えば奢られているのだ。


 ゆりは半歩前を歩くエメの前に立ち止まると、ぱん!と手を合わせて日本人特有の「神頼み」のポーズをした。


「じゃあエメ、お言葉に甘えます。本当にありがとう! その代わり、私にできることがあったら何でも言ってね!」


 何か考えていたのだろうか。

しばらく無言でゆりを見ていたエメは、やがてゆっくりとした動作でぎこちなくゆりの顔に手を伸ばすと、そのフードの中からゆりの黒髪を一房取り、そっと口付けた。


「へっ?」

「報酬。……アーチボルト卿の、真似。」

「え、あ、うん。そ、そんなことでよければ、いくらでもどうぞ……」


 流れるような仕草のアラスターに同じようにされていた時はあまりに自然で気が付かなかったが、エメにこうやって改めて同じようにされると、今更ながらそれはとてつもなく恥ずかしいことのように思われた。


「いくらでも、いい、の?」


 普段あまり視線を合わせないエメの紫の瞳が真っ直ぐゆりを捉えたので、ゆりは困惑した。


「どうぞ! いくらでも!」


 半分ヤケである。

 エメはその回答に満足したのか、ゆりの髪の匂いを堪能するとフードの奥で小さく笑った。


「他に、欲しいもの、ある?」

「あります。勉強用に辞書が欲しいんだけど……いいかな?」


 立派なものじゃなくてもいいので、とゆりが小さくお願いすると、エメは頷き「まず、食事。その後」と、いつものようにゆりの手を引いて歩き出した。




 気持ち良く晴れた休日。大通りは活気に溢れていた。

 数週間前、教会に向かうためこの道を歩いた時は不安で仕方なかったのに、今は落ち着いて周囲の景色を楽しむことができる。

 もし時間があれば、ギルド周辺によくいるというドーミオを訪ねてみるのもいいかもしれない。


 アランさんが教えてくれた美味しいお菓子のお店にも行ってみたいし、いつも勉強を教えてくれるテオくんにお土産も渡したいな……あ、でもさすがにそれは自分のお金じゃないとな……。


 ゆりはなるべく傍若無人な勇者のことを思い出さないように、敢えてそれ以外のことばかりを次から次へと思い浮かべ、歩いていた。




 大通りの中央にある噴水広場に着いた時、それまで無言で手を引いていたエメがゆりに顔を近付けると、小さく囁いた。


「ユリ、ごめん。ちょっと、知り合い……がそこに、いる。声、かけてくるから。絶対……動かないで」


 絶対に動くな、と念を押されたゆりは、エメの顔を見て無言でこくりと頷くと、噴水の縁に腰を下ろした。

 アラスターの言っていた誘拐事件が気にはなったが、まさか白昼堂々広場の真ん中に座っている人間を浚っていくことはないだろう。それに、いつもゆりの手を引いて導いてくれるエメは、絶対にゆりをひとりにしてどこかに行ってしまうようなことはしないはずだ。


 ……とは違って。


 噴水を背に周囲を歩く人々の喧騒を眺めていると、仲睦まじい家族連れ、気のおけない友人同士、色々な人間模様が見えてくる。アクセサリーの露店に立ち寄った犬の耳を生やした獣人が、難しい顔をしながら店主とやり取りをしている。やがて何かを指差すと、金を払い、可愛らしく包まれたそれを大事そうに持って人混みに消えていった。

 きっと、好きな人にプレゼントするんだな。

 ゆりがその様子を微笑ましく観察していると、ふと、視界の端に見覚えのある色が映った、気がした。



 ――陽の光を浴びて輝く、赤銅色の髪。



 “ゆり、バイバイ。”



 ゆりの頭の中に、あの時のナオトの言葉が降ってくる。



「……ナオト……? ねえ、待ってナオト!!」



 愚かなゆりは、瞬きをすることを忘れ、呼吸も忘れ、エメに言われた言葉すら忘れ。あの日消えた背中を追いかけて、無意識の内に雑踏に向かって駆け出していた。




 一方。

ゆりを広場に置いてきたエメは、人通りの絶えた薄暗い路地にその身を置くと歩を止めた。すると、示し合わせたかのようにやや前方の暗がりから一人の影が現れ道を塞ぐ。


「……お前、『閃光』だな?」


 エメが無言で声の主を見つめていると、急に背後にもうひとつの気配が沸き、エメの眼前に鋭く光るナイフが突き出された。


「悪いが死ん」


 次の瞬間、エメは後方の男の眼前から消えた。

 と、同時に前方の影に銀のナイフが突き刺さる。


 その場にしゃがみ込んで後方の男の視界から逃れると同時に、前方の敵に目にも見えない早さでナイフを投擲したのだ。直後に後ろの男の脛を払い、男がバランスを崩したのを片手で地面に引き倒す。


 グシャッ


 倒れた男の顔を容赦なくブーツの仕込みナイフで踏み抜いた。前方の影は、既に最初のナイフの一撃で事切れている。

 その間十秒足らず。


 ほとんどその場から動くこともなく二人を屠ったエメは、ブーツの踵をトントン、と踏んで仕込みナイフのギミックを元に戻すと、何事もなかったかのように元来た道を引き返した。



 だが、そのほんのわずかの間に、ゆりはエメの前から消えていた。

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