第十九話 アランと呼んで
「アラスターさん、こんにちは。お忙しいのにわざわざ私のことを気にかけて下さってありがとうございます」
神殿内にある簡素な応接室のひとつで。
出迎えたゆりが頭を下げると、アラスターも優雅に会釈を返した。
「ゆり殿。本日は、訪れを許可していただき――」
口上と共に、騎士団の黒色のマントをはためかせてゆりの前に進み出る。
「風も穏やかで良い、陽気、で……」
ゆりの正面に向かい合ったところで突然、ふわふわと艶のある尾の動きが止まった。
「……ケッコン……。――結婚してくれ!!!!」
「……え?」
「えええっ!?」
結婚してくれ。
突然のアラスターの爆弾発言に、ゆりはポカンと口を開け、テオドールが驚き、
「―――――ハァ!?!?!?!?」
――アラスター自身が一番驚いていた。
「……本当に、すまない……!」
吟遊詩人にも歌われるという伝説の狼将軍アラスター・ウォレム・アーチボルトは、自身の髪をこれでもかと掻き乱しながら真っ赤になって俯いていた。応接用のソファに腰掛けた状態で、耳は情けないほどしゅん、と垂れ下がっている。
先日の出会いで、衆人環視の中ゆりを突然抱き締めた上、更に胸に閉じ込めたままナオトと真剣勝負を演じてしまい。
婚前の清い身であるゆりの立場に瑕疵を付けてしまったのではないかと、アラスターは本気で悩んだらしい。ゆりが仮に貴族の娘だったならば、責任を取らされてもおかしくない事態である。
本気で悩んだ挙げ句、場合によっては責任を果たしてゆりを娶る、つまり結婚しようと思いながらこの場を訪れたのだそうだ。
そしていざゆりの顔を見たら――正確には、ゆりの匂いを嗅いだらだが――全ての前提がすっ飛ばされ、冒頭の言葉が口をついてしまったのだと。アラスターは頭を抱えながら、でも正直に説明してくれた。
「なるほど、つまりアラスターさんは私の立場をご心配下さってその……ぷぷぷ。だ、だめ、あふ、あはははははははっ! おかしー……っ!」
「ゆり殿……?」
間違えて勢いでプロポーズしてしまったのだと言われて、ゆりが怒ると思ったのだろう。可笑しさを堪えきれずにケラケラと笑い出してしまったゆりを、アラスターは呆然と眺めていた。
「許して下さるのか……?」
「許すも何も、怒ってません。ぷぷ、そもそも前回のことだってもう、気にしてないですから……ふふふっ」
まだ笑いが止まらないのか、時々言葉につまりながらもゆりが答える。
「俺は、理性をなくしてとんでもないことをしてしまったのではないかと、あれから眠れない夜を過ごして……。ゆり殿。本当にすまない」
「ストップ! アラスターさん、何度も言いますが私は本当に気にしてないんです。そもそも私は召し人で、この世界に来たばかりなんですから、その……傷つく名誉も、誤解されて困るような相手もいません」
「勇者ナオト殿は?」
「えっ? ナオト?」
急にナオトの名前を引き合いに出され、ゆりは驚いてしばし固まっていたが、やがて長い息を吐くと、首を横に振った。
「……ナオトは、そんなんじゃありません。たまたま森の中に倒れてた私を見つけてくれて、アラスターさんみたいにその……私のニオイを、気に入ったらしくて。街に来るまで、暇潰しに抱きまくらみたいな扱いをされてただけなんです」
「そうでしたか……」
ニオイが気に入ったから?
暇潰しの抱きまくら?
――あの時のこの娘に対する勇者の執着が、そんなもののはずがない。
剣を交えたものにしかわからない、もしくは同じ神獣人同士にしかわからない、確信に近い直感――。それがアラスターにはあったが、敢えて口に出すようなことはしなかった。
この娘は何故か、鋼の自制心を持つと自負するアラスターですら正体を失くすような、抗い難い香りをその身から発しているのだ。それは恐らく勇者とて同じこと。
傲慢で、不遜で、同じ神獣人として比肩して語られることの多い、目の上のたんこぶのような存在の勇者。そしてその勇者が執着する相手。
その興味が、アラスターの狼族としての矜持に火を付けた。
「ナオト殿と恋仲ではないと。更に、他に決まった相手もいない」
アラスターは持って回ったような言い回しでゆりに問いかけた。
「――俺の求婚を受け入れてくれても良かったのでは?」
「えっ!?」
ぎょっとしてゆりがアラスターを見ると、先程までの落ち込みぶりは何処へやら、脚を組んだままソファーの肘掛けに肩肘をついて頬杖をしたアラスターが、王のような不遜な態度と表情で微笑みかけている。
「もうっ! アラスターさんが自分で冗談だったと言ったんでしょう?」
「タイミングを誤っただけで、冗談だとは言ってないが」
「冗談でしょう? だってアラスターさんは私のこと、何もご存知ないもの。私だってそうです」
「男と女が燃え上がるのに時間は必要ない」
「燃え上がる前に、すべきことがあるでしょう? ……どんな相手でも、まずはきちんとお話ししなさいって教え子には言っているんです。そしたら、お友達になれるよって。私、まだこちらへ来て日が浅いので――アラスターさんみたいな方がお友達になってくれたら嬉しいと思ってたんですけど……」
燃え上がっちゃったらお友達になれないですよね?
そう言って残念そうに頬を膨らませたゆりは、燃え上がるの意味を些か勘違いしているようだった。
狼が獲物を追い詰めるが如く矢継ぎ早にゆりに迫っていたつもりのアラスターは、盛大な肩透かしを食らい呆気に取られてしまった。
やがてアラスターは視界を片手で覆うと、くつくつと楽しそうに喉を鳴らした。
「そうですね。ではゆり殿、まずは俺と、友達になっていただけますか?」
「わあ! ありがとうございます。よろこんで」
アラスターの意味ありげな言葉に、ゆりは屈託なくにこりと微笑んだ。
「それは僥倖。では早速、友好の証に貴女に何か送りたいのだが……受け取ってもらえないか? 服は? 宝石は?」
「ええ? う~ん……」
友好の証、と言われて断るのは気まずいが、あまり高価なものをもらうのも気が引ける。そう考えてしばし悩んだゆりは、ややあって、ぽん、と手を叩いた。そしてやや恥ずかしそうにアラスターを見ると、小声で囁いた。
「それじゃああの、何か甘いお菓子が……欲しいです。こちらの世界に来てから、食べたことがないので……」
ゆりの可愛らしい懇願に、アラスターは今度こそ本当に、声をあげて笑った。
「わかった。わかったよ。では次は、何か菓子を持って来よう。茶でも飲みながら友好を深めようじゃないか」
「はい! ありがとう、アラスターさん」
「……アランと呼んで、ゆり」
「ありがとうアランさん?」
ゆりの返事に満足そうに首肯すると、アラスターはこの場から辞去すべく立ち上がった。
ゆりが慌ててそれに続くと、応接用ソファーの向かいからローテーブルを挟んでアラスターがゆりの黒髪を一房取り、口付けた。
「それではまた。さようなら、ゆり」
「はぁ~。びっくりした。テオくん、同席してくれてありがとう。二人きりだったら緊張しちゃって、あんなに打ち解けられなかったかも」
「ええ……。それは、良かったです」
「憧れの騎士さんに会えて良かったね! 私もお友達ができてうれしい」
「お友達ですか」
「……それにしても……。ナオトは今、何してるんだろうな」
たった今あれだけ熱烈に口説かれてたのに、別の男のことを考えてるの?
テオドールは、気遣わしげに窓の外を眺めるゆりの鈍感さに頭が痛くなった。
会いたいな。
ぽつりと、だが自然とゆりはそう思った。
ナオトがゆりの元から去ってから、もうすぐ二週間。
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