第十五話 あいつは気分屋
ナオトが去り、しばらく呆然と立っていたゆりが拳を握りしめて俯いたので、ドーミオはゆりが泣いてしまうのだと思った。
「ゆり……。気にすんな、あいつは気分屋なんだ。どうせすぐ戻ってくるさ」
だが、次に顔をあげた時ゆりは小さく笑みを浮かべるだけで、「そうですね」と呟いたその瞳は、凪いでいた。
「なあ、」
ドーミオは深く息を吐くと、その巨体を折り曲げてゆりに視線を合わせるように腰を屈めた。
「なあ、ゆり。あんたはこれからエメと教会に行く。教会は召し人を女神サーイーの客人だとか言ってやがるから、悪いようにはしないだろうさ。
……だがな。どこに住んで、何をして、何を見るか。それを決めるのは全部、お前さんの自由だ。この世界は広い。この街の他にも、お前さんを受け入れてくれる場所はたくさんある。
なあ、ゆり。もしも、お前さんがこの土地を離れて他の景色を見てみたくなったらそん時は……。
――そん時は、俺に言え。俺が、連れてってやる」
武骨な手で、やや戸惑いがちにゆりの頭を撫でたドーミオの言葉は、ゆりの心の奥に深く、静かに染み込んだ。
やがて耳を赤くして目にいっぱいの涙を溜めたゆりは、花が綻ぶように、可憐に微笑んだ。
「ドーミオさん……ありがとう……!」
感激のあまり首に抱きついてきたゆりの髪の匂いを感じながら、たしかに美味そうだな、とドーミオは独り言ちた。
ドーミオと別れ、エメの冷たい手がゆりを導いたのは、中央地区と東地区の間、緑に囲まれた広大な区画だった。
敷地の正面に白く荘厳な大聖堂――一般のために広く開放されている――があり、その奥の広い中庭をコの字型に囲んでいる建物が神官達の住居を含む神殿の内部施設である。
「『閃光』のエメ、教導に目通り、を希望」
コン、コン、コン、コン。
四角い覗き穴の付いた小さな木扉をエメが四回叩くと、ややあって内側から開き、ゆりとエメは神殿内部施設へと招き入れられた。
「本日、教導は多忙のため召し人様とはお会いになれません。代わりに、神官長がご挨拶されるそうです」
落ち着いた中年の女性に案内される長い廊下を、ゆりは強張った面持ちで歩いていた。
きちんと挨拶しないと。丁寧にお礼を言って、少なくともしばらくはここに滞在する許可をもらわないと。ドーミオさんはああ言ってくれたけど、最低限今晩の宿くらいは確保しないと、いきなり放り出されても行くところがない……。
緊張で背に汗をかき始めたゆりの匂いを感じ取ったのか、一歩前を歩くエメが、いつものように無言でゆりの手を取った。すると、そのひんやりした感触に、ゆりの心は自然と平静を取り戻していくのだった。
――結論から言うと、この神殿で「教導」の次に偉いという神官長との邂逅は、拍子抜けするほどあっさりだった。
根掘り葉掘り事情を聞かれることを覚悟していたゆりだったが、「すべてそこのエメが報告してくれています」と頷かれ、突然の不幸な出来事を慮る労りの言葉を述べられ、「いつまでもここに滞在して下さい」と、専用の部屋と世話係を与えるとまで言われてしまった。
想像以上の過分な対応に、ゆりはしきりに恐縮した。
「エメ、ゆりさんはこの世界のことを何もご存じないのだから、気にかけてあげなさい。――ところで、勇者殿は如何に?」
「女、買うって」
紛れもない高位の聖職者に直球で答えるエメに、ゆりはナオトが言っていた「イロ」という言葉の意味を今更理解したのだった。
結局その日、ナオトは神殿には戻ってこなかった。
――中央地区を大通りから外れ入り組んだ路地を抜けた先に、娼館の立ち並ぶ一帯――所謂色街がある。猥雑な雰囲気を醸し出す狭い道を当て所なく歩けば、客引きの女達が代わる代わる群がり、我先にと手を引いてくる。
素っ気なく追い払って不機嫌そうに息を吐くと、この辺りで一番の高級娼館の支配人が、親しげに声をかけてきた。
「これは勇者ナオト様。久しぶりに一献、寄っていかれませんか? 新しい娘もおりますよ。みな若くて初心な者ばかりです」
「へえ、そう」
慣れた様子で事も無げに返した勇者ナオトは、静かに黒服の男に顔を近付けると、男が見惚れるほど凶悪に美しい口の端を持ち上げた。
「――ねえ、その中に黒髪の娘はいる? 人間で、小柄だと、なおいいな」
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