第52話 圭太の部屋
「ねえ、それで、圭ちゃん?」
リビングのテーブルに座った遥香に話しかけられた圭太は体をびくっとさせる。経験上、母親がこんな声を出すときは大抵ろくでもないことを言い出すときだ。圭太は向かいに座る宇嘉にちらりと視線を向けると母親の方に向き直った。
「なんだよ」
「やっぱりいいわ」
遥香はにこにこと笑っている。
「言いたいことがあるんだったら言えよ」
「お客さんのいる前でする話じゃなかったわ。そうそう、私がいたら邪魔よね。私はこれから料理しなきゃいけないし、お二人は2階に行くのよね? ごゆっくりどうぞ。あ、そうそう。あとでお茶をだすわね」
そして、更に、にこにこをパワーアップさせた。
こうなると圭太としても一度は宇嘉を自室に連れて行かないわけにはいかない。それに先ほどの事態について宇嘉に質問したいこともあった。
「そ、それじゃ、行こうか?」
宇嘉は立ち上がるともう一度頭を下げる。
「先ほどは本当に申し訳ありませんでした。重ねてお詫び申し上げます」
「あらあら。本当に気にしなくていいのよ。間違いは誰にだってあるんだから。それより、うちの圭ちゃんをよろしくね」
「はい」
宇嘉はまた最敬礼をすると圭太の後ろにくっついてリビングを出てくる。圭太は階段の下で立ち止まると宇嘉に先を譲った。
「結構急だから気を付けて。着物だと裾が広がらなくて上がりにくいと思うんだ」
「ありがとう」
階段を上り終えると圭太は宇嘉の横をすり抜けて、向かって左手の扉を少しだけ開けた。
「ちょっと待ってて」
圭太は体を滑り込ませながら宇嘉に頼んだ。
部屋の中をざっと見渡す。やばいものは表に出ていないはずだった。基本的にゲームはダウンロードだし、唯一買ったパッケージ版はクローゼットの中の棚の一番下の引き出しの中に秘蔵してある。ごみ箱も空けたばかりなのでティッシュがいっぱい入っているということもないはずだ。
見られて困るものはないが、閉め切っていたので年頃の男性の臭いが籠っているような気もする。むっとする空気を追い出すために窓を開けるとやっぱり外の気温も高い。多少はましな程度だった。
「どうぞ」
「お邪魔します」
日々の監視活動によりおおよそは分かっていたが、初めて足を踏み入れる圭太の部屋に宇嘉はどきどきしてしまう。気取られない程度にさりげなく、その実しっかりと部屋の中を観察した。整理整頓されているとはいえないが、雑然としているというほどでもない。ベッドは寝たままでシーツにしわが寄りタオルケットは丸まっていた。
圭太は一つしかない椅子を宇嘉に勧め、自分はベッドの上のタオルケットをどけると端に腰掛ける。部屋に二人きりということを強く意識してしまい、まともに宇嘉の顔を見ることもできない。それでいて、宇嘉の存在は強く感じていた。圭太はほっと息を吐き今日の出来事を思い出す。
大変な1日だった。京香おばさんにランジェリーショップに連れ込まれるし、路上で派手に抱きすくめられるしでクタクタになって家路についた。最寄駅についたところで、後ろから肩を叩かれる。振り返るとよく見知った顔がそこにあった。一瞬京香おばさんがつけてきたのかと思ったが、母親の遥香だった。
非常によく似ている二人だが、遥香の方が謎の色気がある。敏郎と充実した夫婦生活を送っているからかもしれない。実際のところはどうかは知らないが京香おばさんは周囲にいい男がいないのだそうだ。遥ねえの男を見る目にはかなわないわというのが京香の弁である。
圭太にしてみれば、単なるエロ夫婦にしか見えないのだが、そう言ったところ京香に鼻でフフンと笑われた。高校生の息子がいるのに浮気もしないで夫婦でラブラブしているなんて奇跡だと思わない? この間、あの二人と一緒に食事をしたら、こっちが惨めな気分になったわ。
そんなことを思い出しながら母親の荷物を持って家の前まで来た時だった。隣の家の門から出てきた宇嘉が一足飛びで二人のところにやってくると遥香に罵声を浴びせ始める。
「ちょっと、どこの誰か知りませんけど、人の彼氏にちょっかい出さないでもらえます? 若作りしちゃってダッサ。うぶな高校生をたぶらかそうなんて褒められたもんじゃないと思いますけど。黙ってないでなんか言ったらどうなんですか? 圭太も目を覚ましてよ」
最初はあっけにとられていた遥香だったが、宇嘉と圭太の顔を見比べているうちにとってもいい笑顔になる。
「あーら、圭ちゃん。こんな素敵なカノジョがいたなんて。今まで居ない居ないって言ってたけど嘘だったのね?」
その言葉を聞いて宇嘉の顔が青ざめる。
「ちょっと、圭太どういうつもりなの? まさか……」
「あ、えーと、いや。その。違うんだ」
圭太は目を白黒させてまともに口をきくこともできない。
そこへ遥香が口をはさんだ。
「圭ちゃん。お母さんに隠し事をするようになって、悪い子になったわねえ。それじゃあ、ひょっとして、こちらの子が圭ちゃんに下着を貸してくれたっていう子なのね。始めまして。圭太の母親の遥香です」
艶然と微笑み頭を下げる遥香の前で宇嘉は茫然自失としていた。
ちらっと顔を上げると宇嘉は圭太のことをまじまじと見ていた。先ほどまでの顔面蒼白さは落ち着いているが相変わらず悄然としている。
「えっと、どうかしたの?」
「まさか圭太のお母さんがあんなに若かったなんて……。私嫌われちゃったかな?」
「たぶん大丈夫だと思うよ。うちのお袋はあんまりそういうのを気にしないから」
「でも、結構ひどいこと言っちゃったでしょ?」
「ああ。俺もびっくりしたよ。でも何で急にあんな風に文句言ったんだ? 初対面の相手なのに?」
「私も今日繁華街に出かけてて、圭太を路上で抱きしめるのを偶然見かけちゃって」
「え? ……あれ見られたの?」
「お母さんって大胆なのね?」
「いや。そうじゃない。というか、そうなんだけど違う」
自分で言っていて訳が分からないと考えて言い直そうとしたときに部屋の扉がノックされた。
「お茶とお菓子持ってきたわよ」
圭太はぴょんと立ち上がる。
「冷たいうちに召し上がれ。そうは言っても、ついつい夢中になっちゃうわよね。激しい運動をした後だと、時間がたってぬるくなった麦茶も悪くないけど。それじゃあ、ごゆっくり」
しばらくすると二人で遥香の言葉の意味に気がついて赤面するのだった。
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