第37話 あの日の後悔

 香織とは挨拶する仲になったとはいえ、それは汐音や莉奈がいるからだ。

 あの日以来、汐音と莉奈は急速に香織との仲を縮めた。

 香織も今まで汐音と敵対していたのが嘘みたいに、話すようになった。

 でもしばしば、龍次のことで喧嘩はしているみたいだが。

 でも前みたいに関係が壊れるほど大きな喧嘩はしていないので、兄としてもホッとしている。


「どこに行くんだよ、木村さん」

「黙ってついてきて」


 どこに行くのか尋ねただけなのに、なぜ香織にキレられるのだろうか。

 浩輔と汐音の対応の差が顕著である。

 浩輔は仕方ないので、黙って香織の後をついていく。


 香織はできるだけ人ごみのないところを目指したのか、屋上近くの階段の踊り場で足を止める。


「ここなら誰も来ないわね」


 香織は周りをキョロキョロと人がいないことを確認した。


 一体香織になにをされるのだろう。


 もし金品を奪われるなら後で龍次に相談するしかない。


「浩輔君」

「はい」


 いきなり香織に名前を呼ばれたので、浩輔も反射的に返事をしてしまった。

 香織も反射的に大声を出してしまったのを恥ずかしがっているのか、頬を赤く染め、浩輔から視線をそらしている。


「「……」」


 これは一体どういう状況なのだろう。


 いきなり香織にこんなところに連れてこられたと思ったら急に香織は黙り込んでしまった。


「木村さん」


 浩輔はなにを言えば良いのか分からなかったので、とりあえず香織の名前を呼んだ。


「……私はいける。私は大丈夫。私はいける。私は大丈夫」


 香織は俯きながらなにか念仏を唱えている。


 正直言って怖い。


「もしも~し」


 自分の声がもしかしたら聞こえていなかったことも考慮し、もう一度香織を呼びかける。


「す~はぁ~す~はぁ~」


 いきなり香織が深呼吸を始めた。

 香織はこんなにもマイペースな奴だっただろうか。

 浩輔はそんな香織に恐怖を抱く。


「あの時はごめんなさい。浩輔君にもいろいろ暴言を吐いてしまって」


 香織は勢いよく頭を下げて謝罪する。


「……」


 深呼吸からの謝罪。


 いきなりすぎて浩輔の頭をこの状況についてこられなかった。

 それになんのことを謝っているのか、浩輔には見当がつかなかった。


「……あの時はさんざん汐音さんの悪口を言ってしまってごめんなさい。それに加え浩輔君にもいろいろとひどいこと言っちゃって。ごめんなさい」

「……あぁ~」


 浩輔も香織がなにについて謝っているのか思い出した。

 そう言えば、香織に屋上に呼び出されて、汐音と龍次を別れさせろとか、汐音が休んだ時、教室でお互いに暴言を吐き合っていた。


 それを香織は気にしていたのだろう。


 確かに浩輔も当初はムカついて、こんな奴とは一生話したくないと思っていたけど汐音とも仲直りしたし、それに汐音は香織に懐いている。


 そのせいで、浩輔もすっかりそのことを忘れていた。


「今の兄さんは汐音さんと付き合ってとても幸せそうだった。それなのに自分の都合のために兄さんと汐音さんを別れさせようとしたり、浩輔君にもいろいろ当たったりしてごめんなさい」


 しかし、香織はそのことをずっと気にしていたのか、誠心誠意込めて浩輔に謝罪する。


「そんなことはもう気にしなくても大丈夫だよ。汐音と木村さんも仲直りできたし、木村先輩も幸せそうだし。それを言ったら僕だって悪かったよ。僕も木村さんにいろいろ悪いことを言ってしまってごめんなさい」

「良いの。こっちこそごめんなさい」

「いやいや、こっちこそごめんなさい」


 お互い非を認めあって、謝り合戦が始まる。

 あの時はカッとなってしまったけど、兄を取られた妹の気持ちは分からなくはない。

 浩輔も汐音が龍次と付き合うことになった時は、寂しさみたいなものを感じていた。

 でも、汐音の幸せそうな顔を見るたびに浩輔も幸せになっていった。


「確かに僕も汐音が木村先輩と付き合うことになった時は寂しったよ」

「浩輔君も。私も。兄さんが汐音さんと付き合うことになった時は私も寂しかった」

「なら同じだね」

「そうね。そう考えると同じね」


 結局は二人とも同じ気持ちだったのだ。


 妹を取られて寂しいと感じた兄。

 兄を取られて寂しいと思った妹。

 兄はそんな妹の笑顔を見て幸せになれた。

 妹は兄を取られたと思い嫉妬した。


 その分岐点が二人の未来を変えたのだ。


「……それに兄さんが汐音さんと結婚したら私たちも親戚になるんだし……だからいがみ合いはここで終わらせたかったの」


 香織は恥ずかしそうに言う。

 確かに汐音と龍次が結婚したら、香織とは親戚の関係になる。


 しかし浩輔はそこまでのことを考えていなかった。


 高校生の浩輔にとって結婚はまだ先の出来事だった。


「結婚って……早くないか」

「いいや、汐音さんのことだもん。絶対に結婚を考えてるはずよ。それに汐音さんは性獣なんだからきっとできちゃった婚よ」


 香織はよく汐音のことを知ってらっしゃる。

 汐音は性欲がとにかく強い。

 はっきり言って男子よりも性欲があるだろう。

 そんな汐音のことだ。確かにできちゃった婚の可能性もなくはない。


 むしろ、大きい気がする。


「だから、これからよろしくね、浩輔君」

「おぉー、よろしく木村さん」

「……私のことは香織で良いわよ。……将来親戚になるんだし」


 香織は本気で龍次と汐音が結婚すると考えているのか、名前呼びを提案してきた。

 確かにその可能性もなくはないが、まだ早すぎではないだろうか。


「いや……でも……」

「香織って呼ばなきゃ、もう話してあげないから」


 別に香織と話さなくても生きていけるのだが、ここで押し問答しても時間の無駄だろう。


「分かったよ、香織さん」

「それで良し」


 香織はそれで納得してくれたのか、嬉しそうな表情を浮かべている。

 とりあえず、もし本当に香織と親戚になったらいろいろと大変だなと未来の自分を憂う浩輔だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます