第20話【階段を上るように】

 ようやくできた僕の居場所は、とても居心地が良い。しかし、その居心地の良さ故に、僕は失った時の恐怖を感じずにはいられなかった。


「望、どうしたのだ? 表情が暗いではないか」


 エドワードは、かなりの観察力があるのか、勘が鋭い。ちょっとやそっとのポーカーフェイスなら、たちまち見破られてしまうだろう。


「たいしたことではありません。安心してください」


「たいしたことないことはないだろう。私達は望の味方だ。何かあるなら、遠慮せず言いたまえ」


「いえ、大丈夫です」


 僕は、自分なりに気丈に振る舞う。これ以上迷惑をかけると、ここでの居場所もなくなってしまうかもしれない。

 僕の様子から何かを察知したのか、エドワードは、話を続けた。


「そのような表情をされると、大丈夫とは思えない。言ったではないか。私達は、望の味方だ。それに、たいしたことかどうかは、話を聞いた私達が決めることだ。望が決めることではない。表情に出すくらいなら言いたまえ」


 珍しく、エドワードが少しきつめの言い方で、僕に言葉を投げてきた。僕は、その言葉に動揺せずにはいられなかった。


『怒られる』


 僕の脳内・感情を恐怖が支配する。


「あ……、ごめんなさい……」


 僕の脳内を、過去の記憶が支配する。その記憶は、僕の感情をまた殺しにかかって来た。あの時と同じように。


「ごめん……なさ……」


 言葉が出てこない。僕の語彙力は、恐怖の波に攫われてしまった。


「望! 望! どうしたのだ⁉」


 どこか遠くで、エドワードの声がする。

 あぁ、僕はエドワードに迷惑をかけてしまった。僕はここを追い出されるだろう。母さんと同じように追い出すのだろうか? それとも、父さんと同じように追い出すのだろうか?

 エドワードが、僕の肩を掴む。彼は怒っている。僕が迷惑をかけたから。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 僕には、謝るしかできない。どれだけ謝れば、エドワードは許してくれるだろうか…。


 ***


 気付くと、僕はソファで寝ていた。いや、寝ていたかどうかすらわからない。気付いた時には、ソファに横になっていた。

 周りには誰もいない。みんな、どこかへ行ってしまったのだろうか?

 しかし、少し安心した。僕はまだここにいる。ということは、エドワードは許してくれたのだろうか?


 がちゃり


 扉の開く音と共に、エドワードが入って来た。


「エドワード……。すみません、僕……」


 言葉が出てこない。まだ、語彙力は攫われたままらしい。

 僕はこのまま追い出されるかもしれないと思った。

 しかし、エドワードの口から出てきた言葉は、僕の予想外の言葉だった。


「大丈夫かね? すまない。私の言い方が、思わず強くなってしまった。悪気はないのだ。許してくれ」


 まさかの言葉だった。僕の中で、「なぜ」という言葉が増殖していく。


「どうして、エドワードが謝るのですか? 僕が悪いのに……」


 僕の言葉に、エドワードは驚きの表情を浮かべた。


「何を言っているのだ。望は何も悪くないではないか。悪いのは私の方だ。君の今まで生きてきた環境を、もっと考慮して発言するべきだった。許してくれ」


 エドワードは、とても申し訳なさそうに僕に言葉をくれた。


「エドワードは、僕を怒っていないのですか?」


「なぜ怒る必要がある? 望は、何も怒られるような行動をしていないではないか」


「でも……」


「望の表情の根本の理由に、もっと私が配慮すべきだったのだ。望は、何も悪くない」


「本当ですか?」


 思わず僕は、確認してしまった。


「本当だとも。望は、何も悪くない」


「じゃあ、僕はここを出て行かなくて良いんですか?」


「なぜ出て行く必要があるのだ? 第一、ここは望の家ではないか」


「でも、僕はエドワードに迷惑をかけたんじゃ……?」


「迷惑なんて、かけられていない。むしろ、私は望に余計な不安を与えてしまった。本当にすまない」


 今のやり取りは、僕の見ている夢なのだろうか? エドワードが、僕に出て行かなくても良いと言っている。


「これは、僕の願望が見せる夢でしょうか?」


「何を言っているのだ。これは、まぎれもない現実だ。安心したまえ」


 エドワードの言葉だけでは不安で、僕は自分の頬をつねってみた。ただただ痛いだけだった。


「これは、現実なんだ……」


 僕の脳内と心に、急速に安心感が広がった。僕はここにいて良いのだ。


「良かった……」


 思わず、口から言葉が出てきた。それと同時に、目から雫が零れた。


 ちりんっ


 鈴の音と共に、チャーリーが僕の腰に擦り寄った。


「チャーリー……。ありがとう」


 僕は、チャーリーの背中を撫でながら、ほっと息をついた。


「望、少しは安心できたかね?」


 エドワードが、僕をじっと見つめる。


「はい……。ありがとうございます」


 僕の今の精一杯で、『ありがとう』を伝えた。彼らに伝わりきったかは、正直わからない。しかし、エドワードはにっこりと笑ってくれた。


「望。コーヒーでも飲まないかね? 今日は、パナマの豆だ。近くで果物を栽培している土壌だからか、とてもフルーティーな風味が特徴なのだが、どうだね?」


 これは、きっとエドワードなりの気遣いだろう。僕は、この気遣いに何度助けられただろうか。この気遣いのおかげで、僕はここまで変わることができたように思う。きっと、これからもこの関係性は変わらないかもしれない。


「はい、頂きます。あ、僕にもコーヒーの淹れるところを見せてくれませんか?」


 僕は、この気遣いに感謝しながら、自分の新たな階段を上ることにした。

 これからどうなるかはわからない。しかし、僕には彼らがいる。そんな彼らを、僕なりに大事に想おう。そう心に誓った。

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