第18話【風味】

 ロジャーは、にこにこと笑顔を僕に向けている。暖かい表情に、僕は心がじんわりと暖かくなるのを感じた。

 暖かい空気は、ドアの音でふっと掻き消えた。


「おや、エドワード。今帰りかの?」


「あぁ、ロジャー。ちょうど、良いものを仕入れてきたのだ」


 暖かい空気は、扉が閉まると同時に、また広がりを見せた。


「ほう、何を見つけたのかね?」


「実は、とても綺麗な表紙の本を見つけたのだ」


「え! 本ですか⁉」


 僕は思わず、口を挟んでしまった。


「あ! ごめんなさい……」


「いや、気にすることはない。これは、君のために手に入れたのだから」


 エドワードは、僕に微笑んだ。ここにいる人達の笑顔はいつも暖かくて優しい。


「ありがとうございます!」


「なぁに、これくらいお安い御用だ。存分に、世界を覗いてくれたまえ」


「はい!」


 僕は、目の前で拡がろうとしている新しい世界に想いを馳せた。しかし、その前に読みたい本がある。そう、「彼女」の出てくるあの物語だ。そう思うと、急に無性に読みたくなった。


「エドワード。すみませんが、その前に読みたい本の続きがあるので、先に読んできます!」


 もう、いてもたってもいられなかった。エドワードの声も聞かず、僕は棚から本を出し、自室に籠って、本を開いた。


「やぁ、今日はどんなストーリーを見せてくれるんだい? 君の表情を見せておくれ」


 前回、栞を挟んでおいたページを開いた。

 僕のミューズは、花畑にいた。挿絵に描かれた色とりどりの花は、とても鮮やかだった。

 彼女は、真っ白なワンピースを着ているとの記載があった。想像した彼女は、何にも染まらず一際鮮やかに思えた。

 彼女は、花畑で楽しそうに絵を描いていた。文面から、どれだけ楽しんでいるのかが、容易に想像できた。

 彼女の様子に、ほっとした自分がいた。やはり、彼女には笑っていてほしいと思った。

 彼女が、絵を描くときは、鉛筆も絵筆も、消しゴムも、まるで踊っているように感じる。時に激しく、時に穏やかに。ワルツのようにも、フィギュアスケートのようにも感じた。その様子は、文面以上に感じた。彼女は、小道具に命を吹き込めるのかもしれない。


「ふう……」


 あまりにも集中し過ぎたせいか、少し目が疲れた。目を閉じて、目頭を押さえる。

 僕が想像する彼女は、誇張しているつもりはないけれど、とても美しい。見た目はもちろん、内面が美しいと思っている。人間らしさに溢れているのだ。彼女が現実にいたら、ぜひとも知り合いたいし、たくさんのことを、話し合いたい。


「望、コーヒーブレイクでもどうかね?」


 コンコンというノックの音と共に、エドワードの声が扉の向こうから聞こえた。


「はい」


 僕は、返事をして、本に栞を挟んだ。また、彼女の様子の続きを知りたいから。

 扉を開けると、コーヒーの香ばしくどこか甘い香りが、僕の鼻をくすぐった。


「良い匂い……」


「そうだろう? 今回は、珍しい種類のコーヒー豆が手に入ったのだ」


 珍しいコーヒーと聞いて、僕の好奇心は一気に、彼女からコーヒーへと切り替わった。


「へぇ、今回はなんて言う種類なんですか?」


「ピーベリーのカラコルという種類なのだが、これはかなり貴重な種類なのだ。ぜひ、望にも経験してもらいたくてな」


「へぇー、わざわざありがとうございます」


「なぁに、私も飲みたい気分だったのだ。だから、お礼を言われるほどではない」


 エドワードは、にっこりと笑顔を僕に向けた。また僕の心が暖かくなった。

 ソファにかけて、カップを持つ。向かいには、ロジャーがいた。


「ふむ……。良い香りじゃ」


「いただきます」


 思いっきり鼻から息を吸い込んで、改めて香りを嗅ぐ。香ばしく甘い香りが強くなった。

 そっと、一口啜る。


「おいしい……」


 柔らかく甘いその風味は、僕をとろけさせる。


「エドワード、このコーヒーには、砂糖が混ぜてあるのですか?」


「いや、これは、元々甘みのある種類だから、あえて混ぜていない。甘みを感じるだろう?」


「はい。柔らかくて甘くて、このままでも本当においしいです!」


 僕は思わず前のめりになる。


「お替りもできるから、遠慮なく言ってくれたまえ」


「はい!」


 口内と鼻腔に広がるその風味は、僕を夢の世界から別の夢の世界に連れて行ってくれるようでもあった。とても暖かく、コーヒーを飲んだのに少し眠気を感じる程だ。


「希少糖でも含まれているのでしょうか?」


「はて、そこまでは私も知らないな。また調べておこう」


 なんて言葉を交わしつつ、ゆったりとした時間を過ごす。まさに夢心地だ。

 ついつい、あっという間に飲み終えてしまった。本の続きも読みたいし、でも、もう少しまったりもしたい。僕はお替りをすることにした。


「お替りしても良いですか?」


「もちろんだとも! 気に入ってくれたようで何よりだ」


「本当においしいです!」


「それは良かった」


 エドワードは、にこにこしながら、二杯目を注いでくれた。


「うん。おいしい……」


 さっきより少しアメリカンな感じの風味だが、それでも香ばしく甘い香りは、変わらず僕を包み込む。


「ほっとしますね」


「そうじゃのう……。これはエドワードにしかできぬことじゃな」


「そうですね」


 ロジャーが、にっこりと笑った。彼の笑顔は、今飲んでいるコーヒーのように、どこか独特の風味を感じさせる笑顔だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます