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「去年の冬に起きた聖蘭学園の生徒が殺された連続殺人事件は知っていますか?」

『知ってる。ニュースでだいぶ騒いでたし、犯人は聖蘭学園の教師だろ。この間脱獄した……』


 その先を語るのは躊躇いが生じる。本当は口にもしたくなかった。恋愛のドキドキとは違う意味で心臓の動きが速くなっていた。


「犯人は私の担任で、私はその時まで知らなかったんですけど私の本当の父親の弟……実の叔父でした」

『あのケバい女がそう言ってたな。って言うか本当の父親ってことは今のあんたの父親は義理?』

「そうです。そのことも去年まで知らなくて……。実の父は私が生まれる前に死んだんです。そして母は……叔父に殺されていました。叔父と母は幼なじみで、叔父は母のことがずっと好きだったんです」


加納は何も言わない。当然の反応だろう。いきなりこんな話をされてすぐにリアクションをとれる人間はいない。

これ以上話してもいいものか逡巡しつつ、有紗は慎重に言葉を選んで話を続けた。


「叔父は自分の兄と好きだった母との間に産まれた私を憎んでいた。私はあいつに殺されそうになって、でも早河さんが助けに来てくれたんです。この前、あいつが脱獄して学校で暴れた時もあいつは私を殺そうとした。全部、美咲の言う通りなんですよ。去年もこの前もあいつの狙いは私だった。他のみんなは巻き込まれただけなの」


 柵に置いた手が震えていた。でも今日はフラッシュバックは起きない。隣に加納がいるから?


「早河さんはいつも私を助けて守ってくれる、私のヒーローなんです。だけどもう早河さんからは卒業しなくちゃいけないんです」

『振られたから?』


有紗は微笑してかぶりを振る。


「早河さんは結婚するんです。あ、クリスマスまでにって言ってたからもうしたのかな……。早河さんの奥さんになる人は私も大好きなお姉ちゃんみたいな存在の人だから。もしその人以外の誰かが早河さんの奥さんになるのは嫌。振られて悲しいけど二人に子どもが生まれたらめちゃくちゃ可愛がると思うし……これでよかったって思っています。私もいつまでも早河さんにくっついていちゃいけない」


今日もバッグにはいつもの巾着袋が入っている。彼女は使い古された猫柄の巾着を加納に見せた。


『なにこれ』

「この巾着はお母さんが作ってくれたものなんです。金平糖が入ってるの。私の御守り」

『御守り?』

「金平糖は有紗の御守りだってお母さんが言っていたんです。今の私にとってはお母さんを思い出せる金平糖は精神安定剤。PTSDってわかりますか?」


 加納はああ……と短く返事をして夜空を見上げる。師走の空気が肌に当たって痛い。彼の吐く息は白かった。


『犯罪被害者がなる心の傷……だっけ? もしかしてあんたはそれなの?』

「はい。殺されそうになった記憶がフラッシュバックしたり、お店で倒れた時のように発作が起きて倒れる時もあります。その時に金平糖を食べると落ち着くの」


 金平糖の入る巾着袋をバッグに戻し、彼女も白い息を吐いた。ここまで詳しい事情を知るのは友人の奈保や、一部の親しいクラスメートだけ。

よもや行き付けのカフェの店員にこんな話をするとは思わなかったが、すべてを話してしまうと呆気ないものだ。


「早河さんのことを話し始めたらこんなことまで話しちゃいました。暗い話でごめんなさい」

『謝らなくていい。何かあるとは思ってたけど……』

「引きました?」

『あのケバい女の話もあったしな。それなりの想像はしてたから引かねぇよ。まさかここまでとは思わなかったけどな。あんた明るいしいつも元気だし……はぁ……』


身体の向きを変えて柵に腕を乗せた加納は両腕に顔を伏せて黙り込んだ。


「あの……」

『……今年の夏からよくうちの店に来る女がいつもキャラメルマキアート頼むんだよ。夏も秋も冬も飽きずにキャラメルマキアートを旨そうに飲むその子のことを俺はいつの間にか気にするようになった。バイトしていても今日はあの子来るのか期待して来ないと寂しくて』

「あ、あの! それって私のこと……?」

『他に誰がいるんだよ』


 むすっとした表情をする彼を見て、有紗は苦笑いを溢す。頭が混乱していて状況整理が追い付かない。


「だって私がお店に来るのを期待していてくれるなら加納さんの私に対する態度は酷すぎません? 私にだけ無愛想で口悪いし、それが好きな女の子への態度ですかっ?」

『仕方ないだろ。あんたを目の前にすると上手く話せなくなるんだよ』


加納はふて腐れてそっぽを向いた。無愛想な彼が見せる表情の変化は珍しいものを見ているみたいだった。


『あんたとハヤカワって男との関係性はわかった。失恋してもそいつがその辺の男とは違う存在だってことも承知した。それを踏まえて言うけど……俺は夏からずっとあんたを見てきた。あんたのことが好きなんだ』


 初めて言われた“好き”の二文字に心が痛くて苦しくなる。


「だけど私の事情、話しましたよね。叔父が殺人犯で……」

『それがどうした? あんたが犯罪やらかしたんじゃねぇし関係ない。あんたが責められることは何もないだろ。もしそのことでこれからもあんたを中傷する奴がいたら俺に言え。そいつボコボコにしてやる』

「ボコボコって……もう。変な人ですね……」


涙が滲む目元を見られたくなくて彼に背を向けた。背を向けていてもわかる、加納の熱い視線がくすぐったい。


「今はまだ早河さんのこと完全に吹っ切れていません。そんな簡単に次の恋に行けるほど軽い気持ちじゃなかったから。でももう少し……待っていて欲しいです」

『ああ、待つ。どれだけでも待つ。俺は有紗のこと好きだから』


名前で呼ばれて心に甘い痛みが走った。この痛みの名前を有紗は知っている。


(いきなり名前呼び捨てはズルいなぁ。きゅんとしちゃうじゃない)


 今はまだ次の一歩は踏み出せない。だけどもう少し、あと少しで踏み出せそうな気がする。

あともう少し……待っていて。

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