53話 一応、私も手伝ったんだから

「本当にいいのか? ホテルまで付いて行って」


 ミシェルはホテルの入り口に立って、不安そうな顔で言う。


「ああ、どうせ料理をするなら大勢の方がいい。料理と言っても、俺が作れるのは普通のカレーライスくらいだが、フランス人には珍しいだろう?」


 日本から持ってきたカレールウがまだ残っている。残りの食材はスーパーマーケットで揃えることができた。篠原が帰ってくる前に料理でも作って機嫌をとる作戦だ。


「あれ、エレベーター使わないのかい?」


「あそこのエレベーター壊れているんだ。乗らない方がいい」


 俺たちは階段を使って部屋まで向かった。カードキーで、ドアを開ける。部屋の灯が点いていて、どうやら誰かいるようだった。中から、美味しそうな匂いが漂ってくる。そして、やや間を置いてエプロン姿の篠原が出迎えてくれる。


「篠原、もう帰ってたのか」


「あなたが帰ってくるのが遅いのよ。それで、なんで悪ガキもいるわけ?」


「ユータ、僕やっぱり帰るよ」


 俺はミシェルを引っ掴んで引き止める。


「まあ、そう言ってやるなよ。ほら、ミシェルが川中攫って見つけてくれたんだ」


 俺は免罪符のごとく腕時計を篠原に見せる。


「見つかったのね! ……そう、悪ガキにしてはなかなか根性があるじゃない。まあ、ちょうどいいわ。エマがポトフを作ってくれたの、四人で一緒に食べましょう」


「エマもいるの?」


「ええ、早く入りなさい。でも二人とも食事の前にお風呂に入ってよね」


「ポトフか、ちょうど良かった。ルウを入れたらそのままカレーにできそうだな」


「なんでそうなるのよ! そのまま食べなさいよ。……一応、私も手伝ったんだから」


「そうか、それは楽しみだな」


 それから四人で一緒に食事をした。エマの作ったポトフは、フランスのおでんみたいなもので、具材とスープを別に盛り付けて食べるらしい。ハーブや香辛料と一緒に煮込んだ牛肉や野菜にマスタードを付けて食べる。フランスパンと合わせると、絶品の一言だった。まあ、ところどころ妙に歪な形に切られた野菜もあったが、味に差はないので黙っておいた。日本の妹や母にも食わしてやりたいので後でエマにレシピを聞いておこう。


 ミシェルが来たことをエマは大層喜んでいるようだった。篠原の機嫌も何故か治ったみたいで、俺の方も言うことなしだった。


「そろそろ、わたし帰らないと、ミシェルも一緒に帰りましょう」


 エマとミシェルが帰ると言うので、俺は二人を外まで送って行くことにした。


「助かったよ、エマが篠原を宥めてくれたんだろう」


 廊下に出てすぐエマに声をかける。


「わたしはなにもしていませんよ。それより、ミシェル、ちゃんとユータに謝りましたか?」


 ミシェルはバツが悪そうに顔を顰める。


「まあ、時計も無事だったし、勘弁してやってくれ。ああ、エマ。そのエレベーター壊れてるぞ」


「壊れてる? 来た時は普通に使えましたけど」


「いや、壊れてるんだよ。一階を押しても二階に止まるんだ」


 二人ともキョトンとした顔で俺を見つめる。どうやら、俺が変なことを言ったみたいだ。やがてミシェルは腹を抱えて笑い始める。


「やっぱり日本人って馬鹿なんだな。いや、ユータが特別なのか」


「ユータ、ミズキから聞きませんでしたか? 日本の一階は、こっちでは地階グラウンドフロアなんです。だから、一階のボタンを押したら、日本で言う二階に止まります」


「……それは聞いてなかったな」


 なるほど、そういうことだったのか。なにが、「エレベーターがダメなら階段を使えばいいじゃない」だ。今からでも遅くはない、篠原を連れてコンコルド広場に向かおう。いや、マリー・アントワネットはあのセリフを言ってないんだったな。とにかく、後で覚えておけよな、篠原。




 彼がエマたちを送るために外に出た後、私に電話がかかってくる。塔子かと思ったら、今度はよしのちゃんからだった。


「もしもし、どうしたの急に?」


「あ、私です、よしのです。篠原氏、お母さんには会えましたか?」


「どうして知っているの? ああ、彼から聞いたのね」


「はい、それでものは相談なんですが、サインなんて書いてもらえませんよね? もちろんできればでいいんですけど……」


「サインね。わかったわ、頼んでみる」


 可愛い妹の頼みだ。断るわけにはいかない。


「用件はそれだけ?」


「あ、待ってください。実は篠原氏に折り入って相談がありまして……」


 よしのちゃんが言うには、友達だと思っていた相手から急に告白されて戸惑っているそうだ。


「それで恋愛経験豊富な篠原氏にどうしたらいいか相談しようかと思いまして」


「そ、そうね、私に任せなさい。なんでも聞いて!」


 まずい、確かに告白されたことは幾度もあるが、ほとんどその場で断ってきたから、恋愛経験なんてまるでないのだ。あ、そういえば最近似たような話を聞いた気がする。確か塔子は友達に告白をしたんだったか。


「……そうだわ、それならなんとかなるかもしれない」


「篠原氏?」


 塔子もよしのちゃんも、二人共、絶賛青春真っ只中にいるという。二人の相手がどんな人かは知らないが、これは私にとって好都合だ。塔子なら告白した側の立場がわかるだろうし、よしのちゃんなら告白された側の気持ちがわかるはずだ。二人から上手く話を聞き出して、私の経験談として話せばいい。そうすれば、二人の相談にも同時に乗ってあげられるし、年上の面子も保てるわけだ。


「……これは面白くなりそうだわ」


「篠原氏、聞こえてますか? 篠原氏?」


「よしのちゃん、私に任せて! きっと上手くいくはずよ」


 私の嘘に気付いた彼が怒りを滾らせて戻ってくる中、私は呑気に二人の恋愛相談を一手に引き受けた。それがどんな帰結を生むのかも知らずに。


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