30話 偉大な作家のペン
妹とその友達に協力してフォトコンテストの写真を撮ったあと、俺と篠原は再び謎の万年筆マーク・トウェインを探し始めた。しかし、いろんな文具店を回ってもマーク・トウェインの情報は得られなかった。
「そもそもネットで検索しても何も出てこないなんて、おかしいよな」
「どうやら幻の万年筆みたいね」
「なあ、もう諦めようぜ」
「いいえ、絶対に手に入れるわ」
こうなった篠原は頑固そうだ。万年筆が見つかるまで探し続けるに違いない。正直、今はペンを探している場合じゃないんだが。
「……それならこれ、篠原にやるよ」
「え?」
「これがそんなに欲しいのなら、俺のを使えばいい」
「でもそれはお父さんの使っていた大切なものでしょう?」
「大切か……」
母さんはこのペンをまるでゴミでも処分するみたいに俺に渡して来た。
「それに、俺も万年筆に興味があるわけじゃない。篠原なら大事に使ってくれるだろうし、親父もその方が喜ぶだろ」
篠原は俺の顔をまじまじと見つめた。
「本気で言っているの?」
「ああ」
「いらないわ」
「は?」
「だから別にいらないわよ」
篠原、お前も母さんと同じことを言うのか。
「どうしてだよ。これを必死に探してたじゃないか。それに親父の大ファンなんだろう?」
「あんた、全然わかってないのね」
「なにがだよ」
「……だ、だってあんたとお揃いじゃないと意味がないじゃない」
篠原は顔を真っ赤に染めて言った。
「親父のファンだから欲しがってたわけじゃないのか?」
コクリと篠原は頷いた。恥ずかしいのか俯いたまま目も合わせてくれない。
「もしかして、時計もスニーカーも同じか?」
「そ、そうよなんか文句ある!?」
「別に文句はないけれど」
それって最初から俺のことが気になってたってことか。
「と、とにかくその万年筆は二本必要なの! さっさと見つけるわよ」
篠原は次の店に向かって歩き始める。俺は顔がにやけるのを我慢しながら後に続いた。
「今日は開いているみたいだな」
俺たちはこの前いけなかった『penlife』の前まで辿り着いた。もうこの店が最後の望みだった。
店に入ると初老の店主が出迎えてくれた。店には万年筆がガラスケースにしこたま並んでいる。俺の小遣いでは到底買えない値段ばかりだ。
「篠原のとこの娘さんじゃないか。お父さんは元気かい」
「ええとっても。再婚相手を見つけるくらいにはね」
篠原は皮肉たっぷりにそう評した。
「再婚? そりゃあめでたいな。今日はお祝いの品をお探しで?」
「いいえ、違うわ。万年筆を探しているの」
これなんですが、と俺はマークトウェインを店主に渡した。
「ふむ、これは随分懐かしい物を持っているじゃないか」
「知っているの?」
篠原はカウンターに身を乗り出して訊ねる。
「ああ、もちろん知っているとも」
「よかった。誰に聞いても知らないみたいで困っていたの」
「そりゃそうだろうさ」
「おじさん、このペンがもう一つ必要なの。なんとかならない?」
「そいつは無理だな」
「どうして?」
「このペンは世界に一つしかないのさ」
「そんなに珍しいものだったんですか」
急に店主が俺の顔を覗き込んだ。隣では篠原が落胆している。
「あんた高槻晋作の息子かい?」
「親父を知っているんですか?」
「このペンを彼に売ったのはわしだからな」
店主はキャップを引き抜いてペン先の意匠を俺たちに見せる。
「Montblancのライターズエディション『 Mark Twain』。あのアメリカを代表する作家マーク・トウェインを象徴としたモデルだ。彼はハーレー彗星が観測された年に生まれ、そしてその彗星が再び地球に舞い戻ったときに亡くなった」
「だから彗星の絵が刻まれているのね」
「そう、そしてこれは世界に一本しかない……」
「親父がそんな貴重なものを持っていたなんて」
「わしが作った贋物だ」
「「へ?」」
俺と篠原は同時に固まってしまう。店主は笑いながら説明してくれた。
「実はMontblancにマーク・トウェインなるモデルは存在しない。わしがメーカーの万年筆をベースに自作したんだ」
「でもどうして? 彼のペンならあってもおかしくないのに」
「ふむ、これは推測なんだが、マーク・トウェインは世界で初めてタイプライターで執筆した作家だと言われているんだ。おそらく万年筆のメーカーとしては彼を選びにくいんだろう」
「なるほどね」
「彼は最初に普及したRemington No. 1をいたく気に入ってな。タイプライターの会社に投資までしたそうな」
19世紀の作家なのにかなり先進的じゃないか。そういえば、親父も原稿は最終的にはパソコンで清書していた。
「だからこのペンはわしと高槻が洒落で作ったものなんだよ」
タイプライターで執筆した最初の作家の万年筆か。確かに親父が考えそうなことだ。高級万年筆なんて親父には似合わないと思っていたけれど、ようやく得心がいった。
「どうして泣いているの?」
篠原は俺の肩に手を置いて訊ねた。
「いや、親父らしいと思ってさ」
「ええ、そうね」
「親父はいつも俺たちに唯一のものをくれたんだ」
俺は久方ぶりに流した涙を拭う。
「悪いな篠原、俺はやっぱり二人を祝福できない」
「いいのよ、初めからそうなるってわかってたから」
「これはやっぱり元の持ち主に返すよ」
俺は偉大な作家のペンを握りしめた。
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