29話 再婚する?

 六月だ。親父が言っていたことだが、小説の人物の心理をそのまま天候に反映するのは愚策らしい。親父の言いたいことはわかる。人物の心情で天気がコロコロ変わるのはどうしたって不自然だ。でも俺は小説家じゃないから、そんなことは気にしない。それに今は六月なのだ。誰の頭の上にも雨雲が蔓延っている。だからあえて言わせてもらうが、俺の頭の中をそのまま写し取ったような空がカフェの窓からいくらでもおがむことができた。それがどんな空なのか言うまでもない。


「まさか水希ちゃんがうちの悠太と同じ高校に通っているなんてね」


「ええ、こんな偶然もあるんですね。それに同じクラスで既に交友があるとは思いませんでした」


「しかも二人とも幼稚園も同じだったなんて、偶然を通り越して運命ですよね」


 母親が他の大人と話しているだけで、どうしてこんなに不快に感じるんだろうか。俺たちと話すときは違う上擦った声、他所向きの口調、それに普段より化粧が濃い。まるで別人を見ているようで落ち着かない。ましてや再婚相手の男を連れているなら尚更だ。しかも、それが篠原の親父さんなんだから、運命を通り越してほとんど最悪だ。


「でも安心したわ。二人とももう仲良しみたいだから」


「そうですね。一緒に買い物に出掛けるほどですから」


 篠原の親父さんの鋭い眼光が俺に向けられる。でかい会社の社長だけあって、すごい威圧感だ。


「これなら良い家族になれそうね」


 家族? 隣に座る篠原を見遣ると、彼女もこちらを見返した。困った様子で俺を窺っている。二人ともさっきからなにも言い出せずにいた。


 確かに見ず知らずの相手が家族になるよりは、篠原の方が何倍も気が楽だ。だけど、俺はあいつと家族になりたかったのか?


「陽子さん、彼と二人きりにしてくれないかな。水希も席を外してくれ」


「じゃあ、私と水希ちゃんは別の席に移りましょうか」


「「え?」」


 これは予想外の展開だった。戸惑う篠原を母さんは有無を言わせずにさらっていく。声も届かない離れた席に二人は行ってしまった。そして、俺と親父さんの二人きりになってしまう。


「では改めて、水希の父の篠原遊馬あすまです。悠太くんは娘と仲良くしてくれているようだね」


「あ、はい。同じクラスなんでそれなりに……」


 娘に手を出していないか、暗に問い質されている気がして、俺は怖気付いてしまった。俺が次の言葉を口にする前に、遊馬さんは喋り始めた。


「娘がまたヴァイオリンを弾き始めた。以前は楽器にも触れようとしなかったのに、今では毎日部屋から音色が聞こえる。君が原因だね」


 俺はそれを聞いて安堵した。遊馬さんは篠原のことちゃんと気にかけていたんだ。父親なら当たり前だろうけど。


「俺は何もしてないです。全部、水希さんが、あいつが自分の意志で決めたことなんです。俺に出来たのはせいぜいそばにいてやることだけでした」


「そばにか……私にはそれさえしてやれなかった。今でもそれを後悔しているんだ。だから君にはいくら感謝してもしきれない。本当にありがとう」


 遊馬さんはテーブルに額が付きそうなほど頭を下げた。


「頭を上げてください。俺の方こそ、あいつにはたくさん世話になってて、妹のことも面倒見てもらったし、だから……」


「そうか、君にとっても水希は大事な存在なんだね」


「はい」


「君が水希の家族になってくれたなら、これ以上に心強いことはないだろう」


「それは……」


「私は本気で陽子さんと結婚したいと思っている。もちろん君たちの承諾が得られたならの話だ。互いの家族の合意の元で決めたいんだ」


「……俺には反対する理由はないです。母さんが望んでいるなら、幸せになってほしいから」


「本当に?」


「そりゃあ、全く戸惑いがない訳じゃありませんけど」


「答えを急いで出してくれなくていい。じっくりと考えてから決めてほしい。君たちと違って、大人には残された時間がたくさんあるからね。納得してくれるまで待つつもりだ」


「わかりました」


 しばらくして篠原と母さんがこちらに戻ってきた。


「どんな話をしたんだ?」


 俺はこっそり篠原に耳打ちする。


「絶対言わない」


 篠原はきっぱりそう言うと俺の顔を見なくなった。そして父親と連れ立って先に帰ってしまった。母さんがなにか余計なことを言ったに違いない。


「それにしても二人はなにしてたの?」


「インクを買いに来ただけだ」


「インク? なんの?」


「万年筆だよ」


 俺は半ば苛立ちながら答える。


「へー、あんたがそんな洒落た物持ってたっけ?」


「あんたがくれたんだろう。親父の万年筆」


「ああ、そんなこともあったわね」


「わざと言ってるだろ?」


「わざとって何が?」


「もういい。あんたらこそ何してたんだ?」


「仕事で使ってたペンが壊れちゃってね。新しいの探してたのよ」


「じゃあ、これ使えばいいだろう」」


 俺は親父の万年筆を差し出した。


「いらないわ。そんな古臭い物。それに遊馬さんが新しいペンをプレゼントしてくれたしね」


「……なんだよ、それ」


 じゃあ、私仕事あるから、と母さんは立ち上がった。


「それにしても、あんたも隅に置けないわね。あんな可愛い子手放しちゃダメよ」

 

 そんな捨て台詞を吐いて、人の恋路を邪魔する張本人が店を出ていった。




 その日の夜、カレーをレンジで解凍していると、篠原からrainが届いた。


《私は二人を祝福したいって思ってるよ》


 俺だってそうだよ、と頭を掻きむしりながら思う。


《追伸 よしのちゃんに写真の件OKだって伝えて》


「写真の件? そういえば、よしのからrain来てたな。未読が100件くらい溜まっているな」


 俺は妹のメッセージを流し読みする。


「カップルフォトコンテスト? 優勝しないと廃部? 各自カメラ持参で集合? なんだよ、しかも日にち明日じゃないか」


 まあスマホのカメラで大丈夫だろう。篠原と会う機会を逃すわけにはいかなかった。

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