4.マーク・トウェインと魔法のカメラ
part.1『by the mark twain』25話 萬年筆にできることはまだあるかい?
六月だ。日本では雨が多くて、鬱屈とした空がからりとした夏を先延ばしにするそんな時分である。どういうわけか、そんな六月に結婚すると幸せになれるというジンクスがあるらしい。どうしてわざわざ六月が選ばれたのか、諸説あるらしいが、あいにく俺は一つも知らない。
ピロンと携帯の通知音が鳴る。俺は鍋の火を止め、フキンで手を拭って、わざわざスマホを確かめにいった。
「なんだ、よしのか」
妹からのrainだった。俺はスマホをテーブルに投げ捨て、鍋に戻る。お玉でかき混ぜながら加熱する。今日はカレーだ。凝ったものを作る技能など初めから持ち合わせていない。多めに作って、タッパーに小分けし冷凍保存。だから明日も、明後日もカレー、明々後日はカレーうどん。誰にも文句は言わせない。
ピロンと携帯の通知音がまた鳴る。俺はもう一度鍋の火を止めて、スマホに走った。
「なんだ、母さんか」
内容も確かめずにスマホを放った。
「なんだとはなんだ!」
俺の頭に丸められた紙束が振り下ろされる。バシンと大きな音を立てたがそんなに痛くはない。振り向くと、パンツスーツ姿の女性が突っ立っている。俺の母、高槻陽子だ。
「なんだよ、母さん。早く帰れるなら連絡入れろよ。ご飯まだ炊けてないぞ」
「ちょうどいま連絡したじゃない」
「それはもう手遅れだろう」
雑誌編集者をしているとは思えないズボラさだった。
「仕事終わったのか?」
「やっと校了したとこ、明日からまた地獄の日々よ」
「頑張りすぎじゃないか」
「それくらいでちょうどいいのよ、疲れてることも忘れられる」
母さんは食卓の椅子にどかっと座り込んだ。
「よしのは? 最近顔見てないけど、部屋で映画でも見てるの?」
「部活の会議で遅くなるって、なんでも映画部兼写真部が廃部の危機らしい」
「部活?」
「ああ、部活だってよ」
「部活って学校の?」
「他にないだろ」
「よしの、学校に通ってるの!?」
母さんは疲労した体を立ち上がらせるくらい驚いていた。
「あれ、言ってなかったか」
「聞いてないわよ。一体、どんな魔法を使ったわけ?」
「別になにもしてないさ。一緒に映画館に行っただけだ」
「でも、なにか言ったんでしょう?」
「俺はポップコーンを食べてたくらいだな。映画はよくわからないから」
「ふーん」
母さんはテーブルに広げたゲラに赤ペンでクマの絵を描き始める。どういうわけか、どのクマも吐血している。
「きみってばなんか高槻くんに似てきたよねぇ」
「親父に? アホか。どこが似てるんだよ」
「うーんとね、全体かな。さすがは親子、やっぱり似ている、というか似過ぎかな」
「嫌だな、親父っぽいなんて」
「私も嫌だよ。せっかく忘れかけてたのに」
「え?」
「そんなきみにはこれをやろう」
母さんは胸ポケットから一本のペンを取り出した。俺は受け取って見覚えのあるそれを眺めた。
「これ、親父がずっと使ってたやつだろう」
「そう、きみにあげるよ。私使わないから」
「いいのか、大事な形見なのに」
「私ね、昔の男のものは捨てちゃう派なのさ」
「昔の男って……」
「昔よ、もう過去のなの。私にとってはさ」
母さんはテーブルに肘をついて両手を組み、どこぞの司令官のようなポーズをとる。
「私、再婚するから」
「は?」
母さんは敏感にもカレンダーに目を向けた。
「ちょうど六月だからジューンブライドね。悪くないじゃない」
悪いどころか、最悪だ。俺は頭を抱えるしかなかった。これからもっと頭をかかえることになるんだけれど。
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