21話 告白
「まだ壊れてないよ、動いてるよ」
眩しいほどの茜色の光が教室に降り注いでいる。篠原と二人きりでいるところを誰かに見られたら、あらぬ誤解を受けるかもしれない。だが、俺にはそんなことはどうでもよかった。あいつの笑顔をもう一度見ることができたんだから。
「あなたの時計がお父さんとの繋がりなら、私の時計はあなたとの繋がりなの」
篠原は机に寄りかかって立ち、窓から外の街並みを見つめる。
「私、それを手放したくない、壊したくないって思ってるよ」
「……篠原」
「でも怖いんだ。大切なものほど、失うのは辛いから」
彼女は続けて言う。
「私、母が大好きだったの。父のこともね。大好きな家族だった。でもそう思っていたのは私だけだった。母は私のためだと言って、フランスでの撮影を受けたのだけど、実は私がレッスンをしている間に男の人と会っていたのよ。そうでなくても、父と母の関係は最悪だった。結局、帰国してすぐに離婚してしまった。私ね、クローゼットに隠れて二人が口論しているのを聞いていたの」
それが幼い篠原にとって、どんなに辛いことだったか俺には想像もできなかった。
「お金のことでは揉めてなかったわ。そして、私のことでも」
篠原の母親は娘の親権を手放して、そのまま海外で暮らしはじめたらしい。それから一度も会っていない、と篠原は言う。
「私ね、なにもできなかったの。家族が壊れてしまうのを黙って見ているしかなかった」
「篠原のせいじゃないだろ」
篠原は首を振った。
「離婚の少し前にね、ヴァイオリンの発表会があったの。私は二人に来てほしいって頼んだわ。一生懸命練習したから、二人に聴いてほしいって。だけど、二人とも来てくれなかった。無駄だったの。私は家族を繫ぎ止めることができなかった」
「それがヴァイオリンが弾けなくなった理由なのか」
「ええ、そうよ。よくある話でしょう? どこにでも転がっているつまらないお話なの」
俺はまた言葉に詰まってしまった。やっぱり俺は篠原のことをなにもわかっていなかったんだ。
「私ね、期待していたのかもしれない。あなたなら私のことを助けてくれるんじゃないかって。でもね、そんな気持ちであなたに近づくことは最低だってこの前気付いたの」
「そんなことない」
「優しいのね。でも、自分が許せないのよ。だって、傷ついているのは私だけじゃないから」
「妹のことか?」
「ええ。でもよしのちゃんだけじゃない。あなたも同じでしょう。大切な人を喪って苦しんでる。なのに、私だけ特別扱いしてもらおうなんてもう思ってないの」
それから篠原は悲痛そうに顔を歪ませて言った。
「だからね、もう私に優しくしてくれなくていい。無理に付き合ってくれなくていいの」
篠原の意思は堅いようだった。だけど、そんなこと俺には関係ない。
「無理なんてしてないぞ」
「え?」
「それに苦しんでもいないな」
「そんなわけ……」
「一番辛かった時、お前が一緒にいてくれたからな」
「な、なに言ってんのよ!」
篠原の顔が真っ赤に染まり始める。
「お前がこの時計に気付いてくれたとき、本当に嬉しかった。お前がいなかったら、親父のこと誰にも話せなかったかもしれない」
「べ、別にあのときはほんの気まぐれで言っただけで……」
篠原は恥ずかしがって、顔を背けてしまう。
「俺はもうお前に救われたんだよ」
俺はこっちを向いてくれない彼女の手を握りしめた。今度は俺がこの手を引っ張って、前に進ませてやりたかった。
「俺はお前のことが好きみたいだ」
ようやく彼女の青い瞳がこちらを向いてくれた。
「俺にこんなこと言われても迷惑だろうけど」
「勝手なこと言わないで」
「え?」
「迷惑なんかじゃない」
彼女は俺の手を強引に振り払い、荷物を持って歩きはじめた。俺が引き止めようとすると、彼女は振り返った。
「待ってて、返事は絶対するから。でも、その前にやらなきゃいけないことがあるの。そうじゃないと私が納得できないから」
そう言って篠原は教室を出ていった。答えを保留されたまま俺は一人取り残される。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます