20話 単焦点だから近づきたい
私の朝は早いです。まずはお兄ちゃんが作った朝食を食べます。食事はとっても大事なのです。映画鑑賞には高い集中力が求められるからです。食事を終え、学校に行くお兄ちゃんを見送ったあと、私は日課である映画鑑賞をスタートします。
今日は自分の部屋でアレクセイ・ゲルマン監督の『神々の黄昏』を鑑賞します。なぜ、同じ映画を繰り返し観るのかとお兄ちゃんは呆れ顔で問うてきます。この世に数多ある素晴らしき映画に敬意を示すためだと、私は答えます。お兄ちゃんはそれきり何も言ってこなくなりました。おそらく私に感服したのでしょう。
残念ながら、私も全ての映画に目を通している訳ではありません。世の監督たちは日夜新作を撮り続けているからです。なので、学校になど行っている暇などありません。そんな時間があったら映画を観るべきです。映画こそが私の教科書なのだから。
最初の映画鑑賞を終えると私は休憩がてら、ネットで新作の情報を調べます。近場の映画館のラインナップやスケジュールも把握しています。
「新作もいいですが、リバイバルも捨てがたいですね。しかし、お小遣いは有限。ここはレイトショーや割引を活用して……」
どうやら今日も超過密なタイムスケジュールになりそうです。さて、家を出る前にもう一つの日課を済ませなければなりません。
私は仏壇の前に座って手を合わせます。今朝、お兄ちゃんが焚いたお線香の匂いがかすかに残っていました。
「お父さん、今日こそ私は元気に映画を楽しむ予定です。……だから学校なんていかなくていいですよね? 私は映画があればずっと幸せで、それでいいんですよね?」
写真の中にいる父はなにも答えてくれません。写真なんて嫌いです。写真は映画みたいに動いてくれないから。
結局、私は今日も映画館に行くことができなかったです。大好きな映画館なのに、私はもうしばらく通えていません。前に一度だけ、映画館の前までいけましたが、私はすぐに気持ち悪くなって、その場で吐いてしまいました。だから、私は家にあるDVDやBlu-rayで同じ映画ばかり見ているんです。そのせいでしばらく新作の映画を見ていません。
「さて、今日はどの映画の真似をしますかね」
お兄ちゃんが帰ってくる時間が近づくと、私は今日のクイズの用意をします。私が映画の場面やセリフを真似て、映画のタイトルを当てるクイズです。お兄ちゃんはあまり映画に詳しくないので、有名な映画をセレクトしているのですが、あまり正答率は高くありません。なので、必ずBGMなども用意してヒントを出してあげます。もともとは父とやっていた遊びですが、お兄ちゃんで我慢してあげる優しい妹なのです。
「お兄ちゃん、篠原氏と仲直りできたでしょうか……」
この件に関しては私にも責任があります。何が何でも二人には仲良しに戻ってもらわなくてはなりません。じゃないと、私も篠原氏に謝ることができないからです。
「ちわーす、宅急便でーす」
インターフォンの音と共に、軽快な声が玄関から聞こえてきました。
「あ、アマズンからDVD届きましたね」
私は喜び勇んで、玄関のドアを開けました。しかし、配達員の姿はなく、ドアの前に立っていたのは無骨な小さい黒いカメラを構えた女子中学生でした。私と同じ学校の制服を着ています。
「へ?」
その刹那、彼女はカメラに付けたストロボでフラッシュを焚いて、私の目を眩ませました。私が動揺している間に彼女は家に入り込み。私は廊下を後ずさりしながら、逃げましたが、その度にフラッシュを焚かれて、怯んだ私に彼女はどんどんカメラを近づけてきました。
「わかりました! 『裏窓』です! 『裏窓』ですよね? 正解でしょう?」
「『裏窓』ってなんのことだい?」
なんと、私はヒッチコックも知らない女に写真を撮られているのですか。
「いいから、離れてください。あなた、いつも距離が近いんですよ」
「仕方ないよ。このカメラ単焦点レンズだから、近づかないと接写できないし」
「そもそも、接写する必要ないですよね? 演出意図が不明です」
「そりゃあ、可愛いよしのを堪能するためだよ」
「変態です! 通報しますよ!」
「学校を休んでばかりのきみが悪いのさ。早く不登校をやめて、わたしの被写体になっておくれよ。お姫様」
「お断りです。断固拒否です!」
この失礼な彼女は瀬川塔子です。ちょっと背が高くて、足が長くてすらっとしていて、ちょっと甘いマスクをしているから、周囲の女子から写真部の王子様なんてあだ名されて調子に乗っている女です。確かに、『ヴェニスに死す』に出てくるビョルン・アンドルセンに似てもなくもないですけど、要は女の子らしくない可愛げのない女なのです。正直、ジャンパースカートの制服は彼女に似合っていません。男子のブレザーにスラックスの方がよほど様になるでしょう。
彼女に付きまとわれるせいで、私までお姫様などと揶揄される始末、本当に傍迷惑な女です。
「いったい、何しに来たんですか? 用がないないら帰ってください」
「用ならあるさ。担任様にプリント渡すように頼まれたんだ」
「それはご苦労ですね」
私は手を差し出して、プリント受け取ろうとしましたが、彼女は何も渡してきません。
「野暮だねぇ、部屋にくらい入れておくれよ。せっかくお友達が来たんだからもてなしくらいするもんだよ」
「盗撮魔の友人なんていません」
「照れなくてもいいのに。それじゃあ、勝手に入らせてもらうよ」
「って、ちょっと、待ってくださいよ」
私が止めるのも無視して彼女は私の部屋に入っていきました。なんて身勝手な女でしょう。
「ほー、相変わらず映画のポスターでいっぱいだね。それにこの本棚、いや映画棚か、すごい量だ。ねえ、どれが面白いの?」
「愚問ですね。そこに入っているのはどれも名作ばかりです」
「じゃあ、私が選ぶから一緒に見ようよ」
彼女は映画のディスクが入れられた棚に手を伸ばしました。
「勝手にコレクションに触らないでください」
「いいじゃないか、減るもんじゃないし」
「減ります。ていうか穢れます!」
「姫は手厳しいね。大丈夫、優しく触るからさ」
結局、彼女はコレクションを物色し始めました。塔子には言葉も碌に通じないみたいです。まあ、この写真バカが映画に興味を示すようになったことだけはよい傾向です。
「クラスのみんな心配していたよ。姫がなかなか来ないから」
塔子はBlu-rayを選びながら、言いました。
「別に私がいなくても誰も困らないでしょう」
「そうかな、王子様のそばにはお姫様がいないとつまらないよ」
「盗撮犯と被害者女性の間違いでは?」
「はは、仕方ないよ。私の作品には女の子が不可欠だもの。実際、女の子ほど美しいものはないからね」
「だったら、自撮りでもしていればいいでしょう」
「私? もしかして褒めてくれてる? でも私じゃダメだよ。姫みたいなか弱い女の子じゃなきゃね」
さてこれはどうだろう、と塔子は映画のBlu-rayを渡してきました。よりによって彼女が選んだのは『アデル』という映画です。
「……これはだめです」
「ん? 名作揃いなんじゃなかった? それは駄作なの?」
「いいえ、これはかの有名なスピルバーグ監督も絶賛した恋愛映画なのです。控えめに言って、傑作です」
「スペアリブだがハンバーグだか知らないけど、ならいいじゃないか。早く見ようよ」
「だめです! この映画はだめなんです」
「どうして?」
私は言葉に詰まってしまいました。この映画には濃密なラブシーンが7分もあるなんて絶対に教えるわけにはいきません。そんなことがバレたら、間違いなくからかわれる上、塔子なら一緒に見たいと言い出すに決まっています。そんな辱めを受けるくらいなら、学校に行く方がまだましです。ここは何としてでも誤魔化さないと。
「そ、そういえば塔子が話していた篠原氏にこの前会いましたよ」
「え、本当に?」
よかった。食いついてくれました。さすがは美少女、篠原氏です。
「ええ、同じ高校に通うお兄ちゃんが連れて来てくれたんです」
「へぇ、あのお兄さんがね」
「ええ、お兄ちゃんも見かけによらず、やるときはやるみたいで、まさかあんな美少女とお知り合いになるとは思いもよりませんでしたよ」
「ふーん。ねえ、よしの、私にも紹介してよ、篠原先輩」
「はい?」
「私、興味があるんだよね。あの人に」
あれ、もしかして私、何か不味いことやっちゃいましたか?
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