第五章 艦隊出撃

艦に乗る者

 六月二十七日、サントル帝国征北軍はリスティア大王国首都ケファレイオにて、大女王ヴラヴィの戴冠式を挙行した。

 これに先立つ入城パレードでは、中央大通りを埋め尽くす住民たちが熱烈に新たな君主を歓迎した。

 茶番には慣れた国民性である。

 後ろで剣を突きつける手が暴君から皇帝に交代しただけの話。

 お飾りの君主に笑顔で歓声を送るくらい、リスティア人にとっては朝飯前だ。

 しかし、歓声を浴びる十七才の少女はそうした事情を知らない。

 身の程をわきまえず「自分は暴君からの解放者なのだ」と真に受けていた。


 帝国軍本隊五万の大半は都市に入らず、壁外で野営していた。

 ゴーレム師団では幹部だけが式典に参列し、シノシュらは留守番だ。

 大女王と同じ十七才でも大衆階級の少年は身の程をわきまえており、与えられた仕事を淡々と続けていた。

「この方角、さらに遠方の町にカイロウクス」

 グラン・ノームのオブスタンティアが指す方にシノシュは目を凝らす。

 方位は北北東。

 占領を完了した部隊はシルフで所属部隊本部に連絡し、そこから軍本部にシルフが飛び、さらに伝令シルフがゴーレム師団に来る。

 その報告と突き合わせ、折りたたみテーブルに広げた地図に虫ピンを刺すのがシノシュの仕事だ。

 ピンの頭には部隊番号が記された紙が付けられている。

 この部隊番号はゴーレム師団内の数字で、第一連隊第二大隊第三中隊なら一・二・三という具合だ。

 ノームの位置を即座に知るグラン・ノームに比べると、シルフを介した連絡は時間がかかる。

 だがノームは方角こそ正確だが、距離は大雑把にしか分からない。

 かと言ってシルフだけでは突発事象の把握が遅れるし、報告元の人間のミスがそのまま伝播してしまう。

 その点ノームからグラン・ノームへは精霊同士なので嘘や誇張が入る余地がない。

 もっとも、連絡手段の優劣などは大衆風情が考えることではないが。

 過不足なく仕事をこなす道具になる、それがシノシュの生存戦略なのだ。

 歓声が治まったので、パレードが終わったと少年は見当づける。

 程なく戴冠式が始まる。

 参列したいわけではない。

 式典が終わって師団長らが戻ってくる頃合いを読んでいるだけだ。

 仕事の成果が不足するのは論外、かと言って過剰だとその分ハードルを上げられてしまう。

 どれだけ仕事を進めるか、その見極めが難しい。

 それに参列したところで直立不動で立ち続けるだけだし、他の市民に見られると災厄を招く。

 晴れの舞台に大衆風情がいる、それは讒言ざんげんされるに十分な理由となる。

 こうして仕事の分量を調節している方が遥かに安全だ。

 精霊は讒言を言わなければ、他人を陥れもしない。

 まさに理想的な道具である。

(同じ道具なら、精霊に生まれたかった)

 益体もないことを考えだしたと気づき、少年は白髪の頭を振って気を引き締めた。

 うるさい上官がいなくても、師団付きの政治将校ファナチが目を光らせている。

 気を抜いたら命取りだ。

 近くで狐のような女が切れ長の目をシノシュに据えている。

 他全員が市民なのだから、師団本部のテント前に彼女がいる理由がシノシュであるのは歴然だ。

 各隊にいるゴーレムコマンダーや精霊士などの雑魚大衆には目もくれず、朝から白髪の少年を監視し続けていた。

 これまでのどの政治将校もやらなかった、完全な狙い撃ちである。


 世界革新党に目を付けられた、とシノシュは察していた。


 彼女の赴任以来、少年の精神は消耗の度合いを増している。

 上級大衆、しかも師団長付という目立つ立場になったせいだ。

 遠からず終わりが来る、とシノシュは暗い未来を予想していた。

 となれば、家族が連座させられない終わりを願うしかない。

 名誉の戦死が最善なのは間違いなかった。

(なら、待とう)

 パトリアの新型ゴーレムが、この師団を壊滅させるそのときを。


                  א


 六月二十八日、ルークスはイノリを伴いパトリア最大の港湾都市ポートムに到着した。

 生臭い海の匂いに、ルークスはげんなりする。

 海の広大さには心が躍るも、山の麓で育ったルークスにとり磯臭さはどうにもなじめない。

 銀色の鎧兜を着け槍を持つ巨大な女性像に人々は驚き、集まって来た。

 新型ゴーレムの武器防具をどうやって運ぶか?

 車に積んで牽引はできるが、重量物を運ぶのには時間がかかる。

 結局従来型ゴーレムの例にならい、イノリに装備させて歩かせた。

 移動だけなのでイノリは精霊たちに任せ、ルークスはフォルティスとゴーレム車に乗っている。

 その前後を三騎の騎馬が守っていた。

 先頭はプレイクラウス卿、続いて傭兵サルヴァージ、ゴーレム車、元従者の侍従プロクロが最後尾だ。

 プロクロはフィデリタス騎士団長の従者だったが、戦傷で引退しエクエス家の侍従を務めていた。

 リスティア戦でプレイクラス卿と騎士団長の従者が全て戦死か負傷してしまったので、急遽復帰したのだ。

 プレイクラウス卿の任務が戦闘ではなく外交であるうえ、秘密保持の点でも身内が望ましかった。

 養育した若殿の晴れ舞台に立ち会えるなど、プロクロにとって望外の幸運だ。

 九年ぶりの従者役に、壮年の侍従は胸を張って馬に跨がっている。

 ゴーレム車の周囲を警戒しつつ、前を行く傭兵に目を光らせながら。


 港の入り口で一行を、黒い軍服らしき装いの若い女性が出迎えた。

「エクセル海尉です。本日付でルークス卿付きの連絡将校を拝命いたしました」

 日焼けした顔で、男性みたいに髪を短くしている。冬場のルークスより短いのは間違いない。

 ゴーレム車から降りてルークスは尋ねる。

「連絡? どことですか?」

「海軍との連絡です。また海に関する諸事一般の説明も仰せつかっております」

「そうですか。よろしくお願いします」

 握手してから女性士官は一行を港に入れた。

 石造りの埠頭には大型軍艦が横付けされている。

「艦隊は現在出港準備を進めております。ゴーレムと、その武具を積むと伺っております。一応船倉は空けましたが、果たしてゴーレムが入るか――」

 その説明をルークスは聞いていない。

 初めて見る大型艦に目と心とを奪われていた。

 帆柱の先端はイノリの背を越え、大型弩が並ぶ舷側さえイノリの膝より高い。

「ルークス卿?」

 呼ばれたルークスは振り返り、背後に屹立きつりつするゴーレムに手を振った。

 イノリが鎧を自ら外すので人夫たちが驚く。

 特に、作業ゴーレムのゴーレムマスターが目を丸くした。

 外し終えた防具と武器を、作業ゴーレムが船に積み込む。

「えーと」

 ルークスは周囲を見回した。

 埠頭から水面を見る。

「よし、海の中にしよう」

「ルークス卿は何を?」

 ルークスが相手にしないので諦めたエクセル海尉は、フォルティスに尋ねた。

 だが少年従者は答えられない。

「ここから先は説明が禁じられていますので、ご容赦ください」

 ルークスはイノリの脚に触れ、指示を出す。

「海の中でやろう。船や岸に気を付けて」

 イノリは海に踏み込む。

 大波が港の端まで打ち寄せた。

 他の船が碇を下ろしている手前まで進み、イノリは水に潜った。

 港中の視線が向けられるなか、沈んだ際の波紋が静まる。


 突然、海面から水柱が天高く噴き上がった。


 轟音が響き、水飛沫が港中に降りかかる。

 塩辛い水にルークスは顔をしかめた。

 イノリの内部に押し込められていた空気が一気に解放されたのだ。

 大波が船舶を揺らして埠頭の上を洗う。

 空の樽が水に持ち上げられ、埠頭を転がる。靴を濡らしつつルークスがそれを止めた。

 泥が海から一筋、埠頭に流れ上がる。

「丁度いい、ここに入れよう」

 ルークスが樽を叩く。

 横倒しになっている樽に勢いよく泥が流れ込み、反動で立ち上がらせた。

 重力に逆らい泥は樽の胴体を流れ上がり、中へと注ぎ込む。

 泥が尽きるとウンディーネが海から上がってきた。

 リートレは自分の頭ほどある水繭を両手で持っている。

 水繭が割れると、ゴーレムの呪符を抱えたオムが現れた。

 風が吹いてグラン・シルフがルークスの頭上に戻って来る。

「お帰り」

 ルークスは親友たちを出迎え、ノンノンを左肩に乗せた。

「ルークス卿、新型ゴーレムはどうなったのですか?」

 連絡将校が尋ねると、ルークスは首を振った。

「その質問には答えられません。あと、この樽も武具と一緒に積んでください」

「艦隊は新型ゴーレム輸送の命を受けているのですが」

 ルークスはため息をついた。

「説明できないんです。武具と樽はすぐ出せる所に置いてください。あとは僕らだけです。空いている船倉は使って構いません」

 エクセル海尉は灰色の瞳を見開いて絶句するのだった。

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