密会

 人のいるところに噂あり。

 それが恋愛の噂となると若い女性の大好物である。

 王城勤めの女官たちも例外ではなく「どこぞの夫人が若い騎士と恋に落ちた」などの噂話を休憩中のお茶請けにしていた。

 彼女らの主人フローレンティーナ女王は十五才。恋をしてもおかしくない。

 否、していなければおかしい。

 にも関わらず、これまで浮いた話は一切無かった。

 王城の隅々で耳をそばだてる女官たちの聴力をもってしても、皆無だったのだ。

 愛を向けられるのは常である。

 パトリア騎士団の愛は全て女王陛下に捧げられていた。

 中でも若くて評判が良く、見栄えもするプレイクラウス卿が女官たちの一番人気だった。

 陛下のお相手に申し分ないと――先月までは。


 今の彼女らにとり、陛下のお相手はルークス卿以外あり得ない。


「運命を自ら切り開くなんて、なんて情熱的な」

 と年少の女官は瞳を潤ませる。

 五才の時の約束を九年かけて果たし、ゴーレムマスターとなって国難の戦場に駆けつけ見事「陛下を守った」のだ。

 それも適性なしで「ゴーレムマスターになれない」との評価を覆してである。

 さらに学園で受けた迫害に等しい扱い全てが陛下への「愛の試練」となった。

 微塵も揺るがず駆け抜けたのだから、これ以上の好評価などあるはずもない。

 もちろん陛下もまんざらではなかった。

 騎士団入りを拒否する無礼を許してまで直属の騎士にしたこともさることながら「ルークスとの約束を心の支えにしていた」のだ。

 確かに子供同士の約束である。

 だがあの涙の再会の時、陛下が恋に落ちた、と若手の意見は一致した。

 ルークス卿の妹に陛下が妬心を抱いた、との噂が確証となった。

 その妹の存在がまた女官たちを盛り上げる。

 微笑ましい恋が、燃え上がる恋愛に変わるのに不可欠な要素、それは障害だ。

 否、妹という障害がある以上、二人の恋は燃え上がるはず。

 子供子供しているルークス卿も、陛下と妹との三角関係に難儀すれば成長するだろう。

 それを女官らは期待した。


 そうした向きとはまた別に、ルークス卿の従者に注目する者も少なからずいた。

 主君同士の相思相愛を見守り、主人への想いをひた隠して献身する美少年。

 それが一部女官たちの目に映るフォルティス像であった。


 なお「主人のどちらに想いを寄せているか」については結論が持ち越されている。


                   א


 フローレンティーナは仰向けのまま身じろぎもせずベッドの天蓋を見つめていた。

 眠気など微塵もない。

 ルークスが来てくれたことがあまりにも嬉しくて。

 しかも帝国軍の侵攻を他国に先駆けて知らせてくれた。

 五才で交した「フローレンティーナを守る」約束を守ってくれたのだ。

 強く脈打つ胸を、シルクの寝間着の上から抱く。

 ルークスの真心に火を着けられたのか、熱い。

 その炎には嫉妬も混じっていた。

 ルークスがフェルームに帰ってからというもの、彼女は気になって仕方なかった。

 アルティ・フェクスの存在が。

 屋敷住まいにして別居はさせたが、家が近いうえに同じ学園に通っているのだ。

 毎日顔を合わせるのだと思うと、どうしても羨んでしまう。

 自分が遠く離れている間に、どんどん絆を深めてしまえる彼女が羨ましくてならなかった。

 もうフローレンティーナは自分を誤魔化せない。

 彼女は認めた。


 自分はアルティに嫉妬している。


 階級など関係ない。一人の女として嫉妬している、と認めたのだ。

 そんな折りにルークスの再訪である。

 舞い上がりそうになる自分を必死に抑え、フローレンティーナは冷静であろうと精いっぱい努力した。

 どうにか臣下の前ではやり遂げはしたものの、寝室で緊張を解いてしまうと、もうダメだ。

 早馬のような胸の高鳴りが抑えきれない。

 どうすれば身を焼きそうな火照りを鎮められるのか。

 否、今考えることは「どうすればルークスを奪われないか」ではないか?

 ルークスの誠実さは疑う余地もない。

 だがそれは「子供同士の約束を守ってくれる」という意味においてだ。

 女官たちの話を聞いても、やはり「ルークスは子供」との評価である。

 確かにルークスは彼女の騎士だが「騎士として愛を捧げる」が分かっていない。

 うかうかしていると、あの少女に奪われてしまう。

 せっかくルークスが今、フローレンティーナの手が届く距離にいるのに。


 女王がベッドで天蓋を見つめる寝室の外、廊下では女官が不寝番をしていた。

 もちろん警護のためだが、用事を言いつけられるときがあるので、衛兵ではなく女官が務めているのだ。

 深夜のお勤めは女官の中でも地位が低い、若い女官の役目である。

 この夜の早番は栗毛で細身の女官ディシャレ・ラ・アモルヴィアだった。

 彼女は鍵穴から漏れる光にため息を漏らす。

 普段ならベッド脇のランプはすぐ消されるのに。

 原因がルークス卿であることは疑う余地もない。

 想い人が同じ屋根の下にいるのだ。

 うら若き乙女が悶々とするのも無理はない。むしろ当然だと彼女は考える。

 十九才のディシャレは、色恋沙汰が三度の飯より好きな耳年増だった。

 彼女は扉をノックした。

「よろしいでしょうか、陛下?」

「入りなさい」

 許しが出たので入室する。

「眠れないご様子と存じます」

「ええ。帝国軍の動向が気がかりで……」

 そう来たか、と女官は内心で微笑んだ。

 少女らしい恥じらいである。

 ならばそれに合わせるまで。

「それでしたら、ルークス卿に話をうかがってはいかがでしょう?」

「え!?」

「シルフから最新の情報を得ていると聞き及んでおります」

「でも、もう夜も更けています」

「陛下のお召しとあらば、喜んで参上するでしょう。何しろ陛下に愛を捧げる騎士なのですから」

「そ、そうですね」

 頬を染めて視線を落とす女王に目を細め、ディシャレは拝命した。


 持ち場を離れるにあたり、廊下の端にいる同僚女官を呼ぶ。

 何があっても決して陛下の前を無人にしないのが鉄則なのだ。

 静まりかえった暗い廊下をディシャレは一人進む。

 曲がり角など要所に立つ衛兵の前を、目礼だけで通過する。

 女王陛下の側に仕える女官を、衛兵が誰何できるものではない。

 客室がある階に下りて彼女は驚いた。

 衛兵がいない。

 見える範囲の廊下は無人だった。

「誰だ?」

 と不意に声をかけられ、ディシャレは反射的に飛び退いた。袖に仕込んだカミソリを抜いて身構える。

 信じられないことに、声は上から聞こえた――彼女の聴覚が正常なら。

 月明かりの届かぬ天井の暗がりから、半透明な人影が下りてきた。

 風の精霊シルフだ。

 どうやら少年騎士は、衛兵を信用しておらず、自前で警護しているらしい。

「女王陛下より、ルークス卿に言付けがある」

「そこにいな」

 シルフは宙を飛んで扉の前に降りる。

「ルークス、女王から使いが来た。女一人だ」

 中から返答があり、シルフが「来な」と言う。

 この城の主の使いを何だと思っているのか。

 ディシャレが入室すると、少年はベッドから立ち上がるところだった。眠そうに目を擦る。

「何だって?」

「陛下がお召しです」

 ルークスはランプを掲げて訝しげに彼女を観察する。

「本当に呼んでいるの?」

 疑われるとは思ってもみなかった。

「インスピラティオーネ」

 と少年が呼ぶと、頭上に女性シルフ――噂に聞くグラン・シルフが現れた。

「陛下のところにシルフを――」

「お待ちください、ルークス卿」

 ディシャレが止めると、ルークスの表情は警戒に変わった。

「確かめられると困るの?」

「それは――どうか陛下のお気持ちを察してください」

「察する? 夜に呼ぶなんて――ああ、そうか」

 ようやく合点が入ったらしい。

 世間ずれしているとの評判は確かだ、とディシャレは思った。その瞬間は。

「怖くなったんだね。それを確かめられたら、困るよね」

「――はい?」

 唖然とする女官の斜め上で、グラン・シルフが笑っていた。

「主様、早く行って差しあげなさいませ」

「そうだね」

 とルークスは着替えだす。

 精霊士学園の制服を着込み、帯剣までする。

(なぜ呼ばれたか、まったく分かっていないわ、この人。いやこの子)

 ディシャレは目眩さえ覚えた。

 ルークス卿は掛け値なしに、まんま見た目通りの子供なのだ。

 肩に小さな精霊を乗せるに至り、さすがに女官は止めた。

 思い人を手引きしたは良いが、こぶ付きとかあり得ない。

「ルークス卿、その子は残して行かれては?」

「ノンノンはいつも一緒なんだ」

「一緒ですー」

 天を仰ぐ女官の上で、グラン・シルフがささやく。

「諦めなさい。こういうお方だ」


 ノックの音にフローレンティーナの心臓は飛び跳ねた。

 女官の声がする。

「失礼します。ルークス卿を案内しました」

「は、入りなさい」

 扉が開いた。

 そしてルークスが入ってきた。

 ――制服を着て剣を帯び、肩に精霊を乗せて。

 唖然とする女王。

 レースのカーテンの向こうで、ルークスは片膝付いて口上を述べる。

「ルークス・レークタ、お召しに参上しました」

「物々しいですね」

「案内の人が信用できるか分からなかったので」

 フローレンティーナは絶句した。

 勇気を振り絞って呼んだのに、まったく意図が伝わっていない。

「でも大丈夫。帝国がどう動こうと、僕のゴーレムでやっつけますから」

(ディシャレ、あなたは私の言い訳をそのまま伝えたのですね)

 ルークスが言葉を額面通りに受け取る、とフォルティスは繰り返し忠告してくれたので、フローレンティーナは理解していた。

 しかし女官の一人一人までは徹底されていない。

 緊張していたのがバカらしくなって、女王はため息をついた。

 せめてルークスと二人きりの時間を大切にしよう、そう頭を切り替える。

 正しくはオムの幼女も一緒だが。

 まだルークスはレースカーテンの向こうでひざまずいたままでいた。

「隣へいらっしゃい」

 ルークスはカーテンをめくり、ベッドに腰掛けて靴を脱いだ。

 ヘッドレストに寄りかかるフローレンティーナの隣に来て、脚を伸ばして座る。

 無作法極まりないが、九年前と変わらぬルークスの所作はむしろ嬉しかった。


 ルークスは帝国軍が野営して止まっているなど、夕食後にシルフからもたらされた情報を話した。

 しかしフローレンティーナは無粋な話を聞きたかったわけではない。

「そちらの小さな友達は、いつも一緒なのですか?」

「そうなんです。ノンノンはいつも一緒なんです」

「いつも一緒を約束したです」

 ルークスに頭を撫でられノンノンは喜んだ。

「寝るときも?」

「精霊は眠りません。僕が寝ている間、ノンノンは特訓しています」

「特訓してるです」

 屋敷では庭まで歩いてゆき、そこで小さなゴーレムを作っているとのことだ。

 しかもフェクス家にいたころは、家を出て工房まで行っていたらしい。

「毎晩? その小さな身体で?」

「頑張ってるです」

「どうしてそこまで頑張るのです?」

「ルールーの役に立ちたいです」

「ノンノンは十分役に立ってくれているよ。イノリが完成したのは、ノンノンがオムの限界を超えてくれたからだよ」

 とルークスは説明ではなく、オムと会話している。

 それだけ信頼を勝ち得るだけの努力を、小さな精霊は重ねてきたのだ。

 ルークスもまた、フローレンティーナとの約束の為に不可能を実現している。


 それに対し自分はルークスの為に何をした?


 騎士にした、屋敷を与えた。

 どちらも君主としての力を僅かに使っただけで、フローレンティーナ自身は何も努力していない。

 約束を果たす為にルークスが払った努力、それを助ける為にオムが重ねた努力の、万分の一もないではないか。

 自己嫌悪に陥ったフローレンティーナの肩に、ルークスの頭が寄りかかった。

「え?」

 見れば寝息を立てている。

 頭の向こうでノンノンが口に指を当てて、しゃべらないよう指示していた。

 フェルームの町から半日かけて馬車で来たのだ。疲れているだろう。

 考えてみれば、他人の寝顔を見るのは初めてかもしれない。

 君主の前で居眠りする者などいないのだから。

 間近で良く見ると、ルークスの顔はまだあどけない。十才と言われても納得してしまう。

 その寝顔は安らいでいて、見ている少女の心が温かくなった。

 無防備を晒しているのは、それだけ彼女を信頼しているからだ。

 左肩に伝わる体温が心地良く、フローレンティーナは舞い上がる気分だった。

 ルークスの口元が動く。

 寝顔を見るのが初めてなのだから、当然寝言を聞くのも初めての経験だ。

 少女は耳をそばだてる。

「――母さん」

 冷水を浴びせられたような衝撃に若き女王は襲われた。


 この城は、彼の両親が殺害された犯行現場なのだ。


 そして彼から両親を奪った凶行に、自分の身内が協力したのは間違いない。

 同じ血が流れている身体が穢らわしく感じ、少女は思わず我が身を抱いた。

(ルークスの気持ちも考えないで、何を浮かれていた?)

 フローレンティーナが動いたので、ルークスの頭が彼女の肩から外れた。

 はっと少年は目覚める。

「あ、と。僕寝てしまいましたね。すみません」

 ルークスは目を擦った。

 身を震わせるフローレンティーナを見て、不思議そうな顔をする。

「どうかしました?」

 問いかける少年の、右目から涙がこぼれた。

「あれ、どうしたんだろう?」

 左目からも涙が溢れるので、ルークスは戸惑っている。

 夢を見ていたのだ、とフローレンティーナには分かった。母親の夢を。

 少女は居たたまれなくなり、少年にすがりついた。

「ごめんなさい。私が不甲斐ないばかりに」

「ど、どうしたんですか?」

「あなたは犠牲を払い、努力を重ねてくれたのに、私は何もしてこなかった。何も……」

 止めどなく涙が流れ落ちる。

 ルークスの腕が背中に回る。トントンと軽く叩く。

「大丈夫です。何があっても僕は友達ですから」

 その言葉がフローレンティーナには溜まらなく嬉しかった。

 ルークスには階級も肩書きも意味を持たない。

 友達である、それだけが重要なのだ。

 彼の友達として恥じない王になろう、そうフローレンティーナは決意した。

 小さなオムが毎晩特訓しているように、自分も努力を重ねよう。

 ルークスの為に何かできるはずだ。

 落ち着いたフローレンティーナは涙を毛布の襟でぬぐった。

「ごめんなさい、取り乱して」

「大丈夫です。泣く子には慣れていますから」

「誰が泣くのです?」

「パッセルです。妹の。僕がフェクス家に引き取られたときは生まれたばかりで、子守の手伝いをしましたから」

「ドゥークス夫妻の実子はあなただけなのですね? 私と同じ、一人っ子ですね」

「そうですね。陛下も兄弟姉妹がいないんですよね」

「私には母の記憶がありません。乳母に預けられていた頃に亡くなりましたので」

 肖像画で見ただけなのだ。

「ルークス、あなたの母上はどのような方でした?」

「そうですね。元気な人でした。起きたときから元気で、朝食を準備して、父さんを送り出して、洗濯をして、近所付き合いをして、昼食を作って、掃除をして、僕の相手もしてくれて、夕食を作って、父さんを迎えて、洗い物をして、縫い物をして、歌いながら一日中元気に働いていました」

「良い母上でしたか?」

「はい、とても。とても良い母さんでした」

「叱られませんでした?」

「叱る、というより呆れることは良くありましたね。僕は精霊について行って、変な所に入ったりするので、泥まみれで帰ることが多かったんです」

「まあ、やんちゃだったのですね」

 フローレンティーナは笑った。

 そうして二人は、時がたつのも忘れて話し込んでいた。


 寝室から漏れる声が途絶えた。

 内容までは分からないが、それが睦言の類ではないことは分かる。

 廊下にいる若い女官ディシャレは、ため息をついた。

 程なく交代の女官が来た。

 小声で申し送り事項を伝える。

「ルークス卿が来たけど、期待した展開にはならなかったわ」

「あの坊やが?」

「精霊も連れてきたから」

「ああ、坊やだわ」

 遅番の女官と交代して、ディシャレは詰め所へ戻った。


 明け方から始まる若い女官たちの一日は、昨夜の逢瀬で持ちきりとなった。

 さすがに女官長が目を光らせている間は口をつぐむが、目を盗んでは密かな会議を続ける。

「ルークス卿には異性に目覚めてもらう必要あり」

 で若手の意見は統一された。

 そこからが作戦である。

 王城で女官が騎士に色目を使う、などとなったら規律の問題になる。

 陛下の耳に入りでもしたら大変だ。

 だが事故なら仕方ない。

 その為、王城ではルークス卿の前で女官が転んで派手にスカートをまくったり、不自然によろけて胸から接触する事故がたびたび起きた。

「意外とドジっ子が多いんだね」

 と、自分を基準に事故と信じてしまうルークスには、女官のみならずフォルティスも頭を抱えた。

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