初陣

 試す事は一通りやったので、ルークスはひたすらゴーレムを早足させていた。

 着地のショックを空気が収縮して吸収するので、水繭の中は当初より大幅に揺れなくなっている。

 しかも圧縮された空気が戻る力が推進力に加わるので、ゴーレムの歩行速度は通常の三倍に達していた。

 午後も遅く、ルークスはバスケットを開けた。薄いパンにくるまれた肉やチーズ、野菜などだ。

 貧しい生活の中で、最高の弁当を用意してくれたテネルおばさんに感謝の祈りを捧げる。

 食事を終えたところに、インスピラティオーネが報告した。

「主様、あと一刻ほどで敵と遭遇します」

「ゴーレムの配置はどうなっている?」

「前方に三、中央に十二、後方に五です。間に人間が二千ほど」

「ゴーレムコマンダーを見つけてくれると助かる。そいつらとゴーレムとの視界を遮れば、有利に戦えるから」

「了解しました」


 太陽が西に傾き影が延びはじめた頃、前方の畑地の彼方に砂煙が見えた。丘の向こう側に敵がいるのだろう。

 ルークスの鼓動が早まった。呼吸も早く、浅くなる。

 今、彼は初めて「敵」と相まみえようとしていた。

 少年の全身を包んでいるのは、興奮ではなく緊張だった。

 丘を巡ると、砂塵を上げて向かってくるゴーレムの姿が水繭の内面に映し出された。

 三基、どれも重装甲型である。不意打ちされる前提で大型の盾を前に突き出していた。その表面にリスティア軍の紋章が描かれている。兜には猪を思わせる牙が上向きに生えている。

 ボアヘッドの異名をルークスは思い出した。

 その後方にはボアヘッドの集団とゴーレム車を囲む敵兵がいる。後方の五基は砂煙で良く見えない。

「て、敵のシルフを封じて」

 声が上ずった。

 シルフたちが敵部隊を包み込む間、ルークスはゴーレムを停止させた。

 地響きが伝わってくる。

 戦いが、一歩、また一歩と近づいてくる。

 ルークスは唾を飲み込もうとして、喉がカラカラである事に気付いた。

「い、今さらだけど……」

 ルークスは水繭の中で誰ともなしに言った。

「こんな事を言うのは、とんでもないって分かっているんだ。でも……」

 模擬戦でも、精霊を放つのでもない。自ら敵ゴーレムの戦槌に叩かれに行くのだ。

「恐いんだ……皆の事を信じていないわけじゃない。でも……恐くてたまらないんだ……」

 何が恐いのかルークスにも分からない。

 死なのか?

 それとも長年かけてやっと夢をかなえた末に、約束を果たせずに終わる事なのか?

 小刻みに震える手に、優しい感触が伝わってきた。リートレが彼の横に顔を並べ、手を重ねているのだ。

「私も恐いわ。もしルークスちゃんを守れなかったらと思うと、とても恐い。でもルークスちゃんは一緒にいてくれる。だから心強いの」

「主様、我も恐ろしいです。先程主様を失ってしまうかと思ったときを思い出すと、恐怖に心が染まってしまいます。ですが、主様は我らを放つのではなく、共に戦ってくださる。我が存在した長き時間の中で、このような経験はもちろん、聞き及びもしません。主様と今、ここにある事は我が誇りです」

「ノンノンは、ルールーと一緒だから恐くないです」

「そうだね。皆が一緒なんだ」

 それぞれの励ましを、ルークスはうつむいて受け止めた。心が温まってくる。

「だから、恐くても――」

 顔を上げて前を見据えた。

「――前に進める」

 ルークスは大きく息を吐き出し、肺いっぱいに吸い込む。

「敵の視界を防げ、シルフィード!」

 ゴーレムの周囲にいた数十のシルフが一斉に突き進んだ。

「前進!」

 ゴーレムを前に進める。砂塵が濃くなるや早足にする。そして――

「突撃っ!!」

 勢いに乗ったゴーレムは、ついに小走りを始めた。


 リスティア軍の第二軍団は、初めてのゴーレム戦に浮かれていた。

 国境を突破してからこれまでは歩兵の微弱な抵抗しかなく、無人の野を進むがごとく進撃してきたのだ。

 ゴーレムの予備戦力は皆無か、多くても数基との予測だった。そして現実に現れたのは、鎧も足りぬ一基のみ。

 これでは浮かれるのも無理は無い、第二軍団を指揮するポニロス将軍はそう考えた。

 同時に「王都到着前に将兵を引き締める好機だ」とも見る。

 部隊を停止させ周辺警戒を命じた。しかし道から出て陣を敷くまではしない。

 敵の狙いが時間稼ぎであるのは明白なので、たかだか一基のゴーレムで進撃を遅らせるのは愚策である。

 まだ三十代の若い将軍に、精霊士長が報告した。

「シルフが妨げられます」

「敵は、例の小僧を出して来ましたな」

 と言う年かさの参謀に将軍は答えた。

「ああ、ドゥークス・レークタの息子という、風の大精霊使いか」

「もし敵のゴーレムが一桁多かったら、偵察や連絡にシルフが使えなくなった我が軍は窮地に陥ったでしょう」

「だが一基だ」

「はい。ただ、随伴兵が見えないのが気になります」

「護衛を揃えられず、コマンダーも身を隠しているのだろう」

「探しますか?」

「それには及ばない。それに一基では先鋒の誉も無かろう。新兵の教育には打ってつけだ」

 新前ゴーレムコマンダーが操る先頭のボアヘッド一個小隊三基を、そのまま進める事にした。

 その姿が煙った。

 強風が吹き荒れ砂埃が視界を悪くし、先行させた小隊を隠してしまう。次いで荒れ狂う風に部隊が包まれた。

「これもグラン・シルフの力か!?」

 風に負けぬよう将軍が怒鳴る。

「シルフが! シルフが異常に張り切っています!! こんな事態は初めてです!」

 精霊士長が怒鳴り返す。

 彼らは知らない。敵ゴーレムマスターが百に迫るシルフを「グラン・シルフとは別に」使える事を。

「先鋒三基が孤立します!」

 参謀が警告した。

「戻して本隊と合わせ十五基で粉砕するべきかと!」

「分かった。後退させろ!」

 だが将軍が命じたとき、激突音と地響きが響いてきた。前方からだ。

「まさか、もう戦端が!?」

「彼我の距離はまだありました!」

 彼らは「ゴーレムが走る」など夢想だにしなかった。


 ルークスのゴーレムは小走りで敵に突進した。

 自重の軽さとノンノンとリートレの連携、そして空気のバネが常識を超えた速度を実現する。

 敵は先頭一基、左右後方に一基ずつという、基本的な小隊隊形だ。ただし、三基とも重装甲型である。

 距離が縮まると、先頭のボアヘッドは盾を差しだし戦槌を振り上げた。この辺は自律行動の基本だから、ルークスの熟知した所である。

 彼は知っていた。ゴーレムには機動戦が無い事を。

 ゴーレム戦は甲冑の剣士同士が斬り合うようなもの。足を止めての叩き合いで、走りながらの攻撃など存在しない。そもそもゴーレムが走るなどあり得ない。当然、その対策も無い。

 走りながらルークスは両手で武器を、右上に振りかぶった。

 正面から向かえ撃とうとするボアヘッド一番基の手前でルークスは指示する。

「合図したら左横にずれて。――ここだ!!」

 敵が振った戦槌が空を切った。

 すれ違い様ルークスは戦槌を、右脚に振り下ろす。

 ゴーレム自体の速度も加わった戦槌が右膝に命中、火花を散らした。激しい金属音を立てて戦槌は膝当てを割り、内部の泥を砕いた。

 内部で分断された右脚が折れ、一番基は右――ルークスの側に傾き地響きを立てて倒れた。

 前をふさがれた二番基が停止する。そのせいで敵への対応が遅れた。

 ルークスは速度を緩めず、二番基手前で言う。

「合図で右に振り向いて。――ここだ!!」

 再度振り上げる間は無いので、すれ違い様、振り返る回転の遠心力を乗せた横殴りを、二番基の背中に叩き込む。鈍い音を立てて戦槌は鎧を割ったが、本体に先端が食い込んだだけだ。

「浅い!」

 ゴーレムが軽く、非力なので威力が弱かった。

 足を止めたばかりなので、二番基の上半身はまだ慣性で前に動いていた。そこを鎧を割る程の力で後押しされた。バランスを崩して前のめりになる。踏ん張ろうとした左脚は一番基にぶつかる。支えきれず僚基の上に倒れこんだ。

 ルークスは戦槌を高々と振り上げ、全身を使って振り下ろす。高さによる位置エネルギーを速度エネルギーに変えてゴーレムの力に追加し、鎧が割れた二番基の背中にぶち込んだ。

 火花を散らして戦槌は鎧を貫き、本体に深々と突き刺さる。

 一瞬後、ボアヘッドの体が崩れて鎧と泥の塊となった。

 核を破壊したのだ。

「や、やった!」

 ルークスは息を乱して言った。

「主様、初撃破です!」

「やったわ、ルークスちゃん!」

「ルールー、やったです!」

 ルークスは生まれて初めて「敵」を倒した。

 喜びが溢れると同時に、悲しみもまた少年の心に湧き起こる。

 自分は今、ゴーレムをその手で破壊したのだから。

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