第235話:もう一人の自分 2


 明らかに怒っているスズが怒りを言葉に表していくと、落ち着いてきたのかごぼりと液体が少しずつ戻ってきて、僕はまた液体の中へと沈み込んでいく。

 さっきとは違って、一度吐き出してしまった液体がまた再度口から入ってくるのは想像するだけで辛くて。でもそれを耐えないとこの液体の中にはいられない=スズと一緒にいられなくなるだろうから耐えるしかないと思って身を任せようとした。


 だけど。


 目を閉じて流れに身を任せようと、口さえ開いて準備していたのに、いくら待っても液体は流れ込んでこない。

 恐る恐る目を開けると、いまだ液体は自分の周りにないままだった。


<冬……。冬はもう、治ってるから、ここから出てもいいよ?>

「……え?」


 話の流れからして、呆れられたと最初は思った。

 でも、その声は呆れたような声でもなくて、意地悪で言っているわけでもなさそうで。

 真剣にスズがそう行っているようで、思わず聞き返してしまう。


 こぽりと、流動する液体が僕の周りから離れていく。試験管の上部も開いて、そこから酸素が入り込んできた。

 立っていられなくて試験管に寄りかかると、近くに僕と同じくらいの身長の液体の渦が集まり形を作り出す。

 それがスズであるのは分かるものの、『縛の主』に元の姿にならないように厳命されているようだった。今は彼がいないのだから戻ってもいいのにと、素直なスズが愛おしく思えた。


 そうやって姿を現すスズを見て、もう一度何を言われたのか思い返してみるが、やはり先ほど僕に言った言葉は理解ができない。


 治っている。

 治っているのは理解できている。逃げ出せるのか考えていたのだから。スズが取り込んで治してくれたのは分かっている。それは確かだけども、スズを置いて一人で出て行くわけがないじゃないですか。と何を言っているのかと思った。


「……スズ?」

<私がここにいれば、あの人は冬に何かすることはないと思うし、あの人の目的は、私のこの液体能力だから>


 とろりと、自分が液体だと見せ付けるように液体の塊は溶けた。


 最初にその状態のスズを見たときは勿論驚いた。驚いたけど、それが結局、僕がスズのことを好きである理由でもないし、嫌いになる理由でもなかった。

 今ではそんな液体状態でもスズのことを愛していると心から言える。でなかったらこうやって一緒にいようなんて思わない。


<私は、私を素体として、この世界樹の兵士を量産するためにここにいなきゃいけないの>


 永遠に作り出される生命の水。

 スズという素体を量産し、教育して兵士とするということは何となく理解ができた。

 でもそれ以外にも色々と使い道があるのだろうとも思う。

 それこそ様々な研究に使われるのだろう。

 自分でそう想像しておきながら何の研究かは思いつかなかったけども、そんなことのためにスズを使うなんてことは、僕には許せなかった。


<冬がいなくなって心配してる人だっているはずだし。ほら、美菜ちゃんも、美保ちゃんもいるし、和美さんだって――冬の周りにはいっぱいいるでしょ?>

「スズ……それは……ないですよ」


 スズは知らない。

 美菜さんは皆に危害を加えて、スズの今の状況を作り出した敵で、暁さんも杯波さんも、すでに亡くなっていることを。


 だけど、それをスズにいう事は決してない。

 もし知ってしまったら、スズはきっと、自分のせいだと自分を責めてしまう。

 今こんな状態になってしまっているのに、更に自分を責めさせることなんて僕にはできないし、スズが原因で彼女達が連れて行かれたわけではないのだから。


 どちらかと言えば、僕のせいだから。

 僕が巻き込まれたから。僕が彼女達を巻き込んでしまったから。


 それに――


「スズ。僕だって、スズの傍にいたいんですよ」


 心残りがないかといわれたら、あるにはある。やっと出会えた姉や、なぜか僕に姉と呼ばせたい二人のメイドさんだったり、それに今も戦ってくれている皆さんに申し訳ないとも思っている。

 この戦いで失った皆さんのためにも、この世界をどうにかしたいとか、無念を晴らしたいとかそんな偽善的な考えももたげてきていることはある。


 でも、それでも。


 僕は目の前の液体の塊を抱きしめる。

 液体だから抱きしめようとするとばしゃりと潰れて割れて散らばりそうだと思ったけどそうしたくて仕方なかった。

 でも、液体は散ることはなく、まるでゼリーのような感触を返してきて、そこにスズがいるんだと思わせてくれる。

 だから僕は、その液体の塊をぎゅっと抱き寄せた。


<……だめだよ。冬は、私の傍にいちゃダメだよ。だって、冬は、色んな人を救わないと>

「何ですか、それ。僕は勇者じゃないですよ。それに、だからって、スズが犠牲になる必要はないじゃないですか」

<……犠牲じゃなくて>

「僕が救いたいのは、スズですから」

<……冬>


 とんっと、僕の胸元を押す力が加わった。ゼリーのような感触ではない。

 そこにあるのは液体から一部だけ現れた、腕――スズの腕。


<犠牲なんかじゃなくて、そうしないといけないから。だから――>

「……え? どういうことですか?」

<冬は、きっと。この状況を打開できるはずだよ。だって、この状況さえ、本当は読んでいるんでしょ? 樹君がここに来ることだって、もうすぐそこまで来ていることだって、知ってるんでしょ?>

「……なに、を……? 何を言っているんですか?」


 本来ならスズの力では僕の体を押し出すことなんて出来ない。

 でも、それは液体の流れる力も使っているのか、スズの腕に力を与え、その力が僕の体を試験管に押し付けていく。

 押し付け続ければ、勿論、余計な力の入った試験管にはヒビが入る。


<冬。ここからどうするかなんて、もう冬の中にはあるんでしょ。だって、昔そう言ってたから。昔から、ここを出たら人の役に立ちたいって。人と触れ合いたいって>

「ちょ、ちょっとまっ……スズ、何を――」


 ――ぱりんっと。

 試験管に入ったヒビが、一気に全体に走っていき、辺りに散らばった。


<冬は。昔から、未来が読めていたから。こうなること、知ってたから。だから、樹君とこうしたんでしょ?>

「っ!?」


 しばらく液体の中にいたからか、それとも一度は生命活動を停止していたからか。体は抵抗せずに試験管の外の地面を転がる。辺りに散らばる試験管の欠片が服のない部分に突き刺さるが、痛みもさほどない。


 未来が読める?

 そんな話をスズとした記憶はないし、読めたこともない。

 読めたならきっと、今のこの状況さえ打破しているはず。

 樹君と、なにをした? 何もしていない。


 必死に力を込めてふるふると顔をあげると、酷く明るい場所が目に入った。

 そこにいる人影がどこかで見たような人影だったけども、その光がゆっくりと細くなって消えていく。


 ……違う。どこかで見た人影ではないです。

 あれは……すう姉?


 ばたんっと音を立ててなくなった光に、あれは外の光で、閉まったのはこの部屋の扉なのだと理解した。


 ずぅんっと扉が閉まった後に聞こえる重低音は、誰かが戦っている音。

 扉の先にいたのがすう姉であれば、すう姉が誰かと戦っている。

 助けに行かないとと思うが、体は満足に動かない。


 先ほどスズと一緒に逃げるなんて言ってた自分が、こんなにも弱っているなんて、結局逃げることなんて出来なかったんじゃないかと思って笑えてきた。


 外の光――扉から、先ほど勢いよく入ってきた男女のうちの男性が立ち上がり、辺りを見てから、地面に這い蹲っている僕を見た。


「……冬」


 その声、その姿を見て。

 それが仲間――樹君だとすぐに分かった。隣にいた女性も万代さんだとすぐに分かる。


「……やぁ。久しぶりじゃないか、成功体君。皆は元気?」


 明らかに、口から出た、自分を呼ぶ相手へのその言葉は。

 自分の思考から出た言葉ではなかった。

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