第219話:『焔』を纏いて 2


「ははっ……いいねぇ、その顔だ……」


 何を言っているのかと思った。

 そんなどうでもいい声は聞きたくもない。

 だけども、その声は私の心の中に入り込んでくる。


 なぜなら私は――


「だんなさ――松、秋っ! 起きて、起きてっ!」


 私が抱きしめたままに動かなくなった、どう呼べばいいか分からなくなってしまった私の恋人で実の弟が。

 この目の前の男――ラードによって、死を待つしかないほどの致命傷を負ってしまったのだから。










 いくら型式の力を流しても、私の旦那様が起きることはない。

 またいつもみたいに笑顔で私のことを護ってくれるなんて、弱いくせに見得張って言う事も、もうない。

 これから少しずつ強くなって護ってくれるなんて嬉しいこと言ってくれてたけど。結局こんな大きな話に巻き込まれて。私を護ってくれたのは確かだけど死んじゃったら元も子もない。


 ……本当は、私が守ってあげたくて、一緒に行動していたのに……


 黒い服に滲む液体が止まったことを確認し、私はゆっくりと『流』の型を流し込むことをやめた。

 外傷はすでに塞がっている旦那様は、今はただ眠っているようにも見えて。

 まだ私とくっつくその体は温もりをもっている。まだ生きているのだろう。でもその内部の傷は治ることがないのだから、もう後は死ぬだけ。医療を少しとはいえ齧っていたからこそ余計に理解できてしまった。


 ただ、治してしまった。


 内臓が抜き取られてしまったのだから、そのまますぐに死んでしまうはずの旦那様は、私の型式によってほんの少しだけ、今も生き長らえている。

 その証拠に、内臓――心臓を抜き取られて潰された後、私の型式で外傷が塞がった後少しだけ反応があったから。


 でも。それだけ。


 心臓がないのだから、血液を循環させることができない。

 ポンプの役割がないのだから、呼吸さえもできなくなる。ただ彼が死なないように必死に流し込んだこの力は、彼を――



 ――恋人を、弟を。

 やっと見つけることの出来た実の弟を。



 ただ。ほんの少し長めに、苦しませてしまっただけ、だった。





「何が……何が医者よ……」



 助けたい時に助けられない。

 そんなのは何度も経験した。力がなくて助けられない命なんてどれだけ看取ってきたか。


 その度に、同じことを考えてはまた次へ次へと。

 助けられなかったからこそ、次は助けられると信じて。前へ前へと、進んできた。


 それこそ。

 こんな時に。何よりも助けたいと思った相手のために。



「その為に、こういう時にこの力を使うべきじゃなかったの……?」

「無駄だったってことだろう」



 私の呟きに一番返して欲しくない、この状況を作り出した元凶に反応されて一気に頭に血がのぼる。



「ぜったいに、ゆるせないっ!」

「許す? 許さない? 何をしょうもないことを」



 私の怒りに、ラードは更に反応した。

 だけど、その反応は私が思うような反応ではなく。


「しずくちゃんがさ。許したり許さなかったりなんか、勝手に決めていいと思ってる? 俺の奴隷は相変わらず活きが良い」

「誰があんたの奴隷よ。私はとっくに――」

「逃げたからって、奴隷、辞められると思ってたとか?」

「私は自分で自分を買ったわ。だから私は誰のものでもないっ!」

「ははっ。所有権が変わったから自分は自由って? 俺に飼われてたことは変わりない」



 ただ、見ることさえおぞましいと思える程の、恍惚の表情を浮かべていた。

 何を。どうしてそんな顔が出来るのか。

 怒りを向けられてそんな顔をして。



「気持ち悪い……」

「光栄だな。なんだったら。もっとその顔が歪む様を、俺に見せてくれよ。じゃあ、こうしよう。しずくちゃんにいい顔してもらいたいから――」



 ラードが手をあげると、周りの森林地帯からぞろりと何人もの男達が現れた。

 ラードの背後からも数人。


 囲まれた。

 いつから? こんな人数がずっと隠れていた?


「へぇ……ラードさん。この可愛いのが昔飼ってた女ですか?」

「ああ。今までの中で一番のお気に入りかな。ずっと追いかけてきた熱烈な俺のファンだ。可愛いだろ? 俺ももう愛しくて仕方ないよ」

「えー、いいですなぁ。頂きたいもんですよ」

「遊ばせてやるけど。痛めつけてからな。後、くれてやらねぇよ」

「ええ、いいんですかっ! やる気でてきましたよ!」


 十名に囲まれた私は、この男達がラードが所属し纏めている殺し屋組織『騒華ソウカ』の男達だと気づく。


「それだったら、これ試しませんか。ほら、先日みんなで連れ去ってきたファミレスの店員達にキメたこれ!」

「ああ……あの薬か? まあ、壊れない程度にはいいんじゃないか? 分量しっかりわきまえろよ? 結局全員壊しちゃっただろ。売り物にしようと思ってたのに」

「ありゃすいません」


 ラードの右隣にいた男が注射器を取り出した。そのシリンジに入っている青い液体が、一体難なのかは分からないけど、話の内容から興奮剤のようなものが入っているのだろうと思う。

 そんなものを直接血管に突き刺して注入しようものなら、一瞬にして壊れるだろうことは容易に想像ができてしまい、話に出たファミレスの店員達が可哀想だと思った。それと共に、そのファミレスという所に引っかかりを覚える。


 すでに誰かに使われた後?

 ファミレス……?


 人体で実証済みということに、旦那様と出会った時の総合病院を思い出す。


 そういえばあの時の被害者の一人であった美保ちゃん。彼女は結局死んでしまったと聞いたけど。確か、ラムダ――今はシグマね。シグマが働いていたファミレスで仕事してなかったかし――



「……まさか……っ」



 私の思い至ったことに、ラード達はにやっと卑下た笑みを浮かべた。

 旦那様だけでなく、少しの関わりとはいえ、知り合った相手を実験体に使われていたことに更に怒りが沸いてくる。


 あの娘は。

 そもそもが彼等の試薬品によって視力を奪われてしまっていた。シグマがラムダだった頃に助けなければ、見えないままに、生涯を終えていたはず。


 助けられて、シグマを追いかけて。毎日が楽しそうだったあの娘。


 なのに。

 同じ相手によって、また実験体にされて、今度は命そのものを奪われたなんて。


 だから言ったのよ。

 裏世界に関わるんじゃないって。

 どうしてもっと強く止めなかったのか。

 ……いえ、止めることなんてできないわ。私はそこまで仲良かったわけじゃない。だって、ただの患者だっただけだから。


 好きな人がいるから? 恩があるから?

 死んじゃったら、どうしようもないじゃない。


 ……旦那様だって。

 死んじゃったら、もう……話せないじゃない……

 死なせたら、駄目だったのに……。


「ああ、そうだ」


 更にラードは、私に追い討ちをかける。


「ほら、しずくちゃんが抱きしてめるやついるだろ? あれ、恋人なんだ。まだちょ~っと生きてるけどもう死ぬだろ。それ使うんなら、あれの前で使いたかったな」


 びくっと。

 私は旦那様を抱きしめる手に力をこめてしまった。


 旦那様がまだ生きているのは理解していた。

 でも、もうそれも長くない。

 少しでも生きていて欲しいなんていう想いはあるけども、それは傲慢だ。心臓を潰されて死ぬだけとなった彼を、彼の命を、これ以上貶めたくない。


 それ以上に。この男に、旦那様の生死をとやかく言われたくなかった。

 そうしたのは、この男なのだから。


「おい、お前さ。『流』の型で治癒とかできたよな?」


 旦那様には安らかに眠って欲しくて。

 戦いの気配を感じた私は、旦那様の体を地面に横たわらせてこの場から少し離れようとした。流石にもう間もなく死ぬであろう相手に手を出さないと思った矢先。


 ラードは私の背後にいた男の一人に、そう声をかけた。

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