第171話:『松』と『雫』 2


 世界樹から一度離脱し、世界樹の背後へと回り込むルートへと進んだ冬達が裏口へと辿り着くまでに、数時間を要した。

 通常であればいくら大木とは言え、正面入り口に残った姫含む下位所持者達の戦う声も聞こえてきそうなものであるが、それが世界樹があまりにも大きすぎて正面入り口から離れすぎていてその声は聞こえず。


 それが世界樹の大きさを現しているようで、この世界樹とはなんなのだろうかと、またその巨木を支配する『縛の主』は、何を考え、何をしようとしているのか、そこにスズをどうしたいのか、冬にはいまだよく分かっていなかった。


 その反対側――世界樹の正面で、まだ戦っているのかと皆を心配しながら、正面入り口と同じような黒い穴を発見した冬達は一気に高速で駆けてきたその身を一気に減速させる。


「着きましたね」

『ええ。ただ、妙に静かなことが気になりますね』


 正面でいまだ戦いは続いているかと思うと、あまりの静寂に、逆に罠でもあるのではないかと疑ってしまう。


「……冬」

「ええ……」


 いや、罠はない。

 罠であれば、そこからその気配をすぐに感づかせるわけがない。


 罠ではなく、その暗がりから、一人、人の気配をすぐに感じた。


「はぁ……やっぱり、ここに来たか。だろうなって思ってた。複数の入り口があるならどこかに来るだろうって。手薄なのはここだからな」


 聞いたことのない声。

 暗闇から姿を現したその男を見ても、初対面で、誰もがそれが敵なのか味方なのか、判断がつかずにいた。

 いや、敵だとは理解している。

 理解しているのだが、そこに、一人だけ自分達が来ることを予測して待ち構えていたという発言をしながら現れた『男』に。たった一人で戦えるほどに力があると豪語しているかのような雰囲気さえ感じて、誰もが今の状況に混乱した。


 ――いや、違う。


『型式です! 自分の身を守るように型式を展開なさいっ!』


 枢機卿が気づいた。

 辺りに充満する気配。

 どこか周りの認識を揺らがせるような、そこに何かがあるということさえ希薄に感じられ、意識をしっかり保っていないと『その場』を認識できなくなる程の、強烈なイメージの気配。


 それは、型式が広範囲に発動された、辺りを歪める程のイメージの具現の証拠だ。


「っ!? 『疾』の型っ!」


 枢機卿の警告に、すぐに冬は自分の周りに、自分が作り出すイメージ――膜のような緑色の風を纏い、風に護られるような意識を持って辺りに撒き散らされた型式に対抗する。


「……ん? こんな感じでやるんか?」


 松は、その纏うような型式は初めてだった。

 冬の『疾』の型式を見様見真似で、自分が使用できる『焔』の型で代用してみる。


 松の体にうっすらと膜のように纏われた赤い気配。

 それは『炎』というイメージが、松の中では『赤』だったからであろう。


「……え?」

「なんやねん。これ、おかしいんか? 初めてやるからようわからんねん。おかしいとこあるかぁ?」


 松は世界樹の正面の戦いにおいて、武器に型式を纏わせることは体験した。今度は自分が纏うという発現方法に、「意外と簡単やな」と仄かに温かささえ感じるその赤に、触れてみて感触を確かめている。

 冬の驚き様に、間違えたのかと心配にはなるが、自分の直感としてこの発動は間違っていないと感じ、別のことで驚いているのかと冬の驚愕を無視することにした。


 武器に纏わせたときと同様に発動できた型式に、どうやら、自分が『焔』の型を使うと選択したことは相性的にも間違っていなかったのだろうと改めて理解し、段階を踏んで型式を使えていることに、まるでそれを忘れている自分のためにレクチャーされているのかと錯覚してしまうほどに馴染み深さを感じる。


 それと共に、このようにすんなりと発動できたのも、目の前で型式を何度も見続けたから発動できるようになったのかとも思う。


 まだまだ馴染みのない型式に、この纏う方法は更に上があるのではないかと、感覚的に理解でき、奥が深いと、自分が強くなれるイメージが強くなる。

 それこそ、初めて型式を発動したあの時より強く意識できるように――冬を押し倒して行為を致そうとしていた自分と、意外と胸板のあった冬の裸体を思い出して、その考えを消し去ろうと左右に首を振って意識の外へと押し出した。



 冬は、そんな複雑な表情を浮かべて首を振りだした松を見て、


「……僕、弓さんに体に叩き込まれたんですけど……」


 思わず。

 松があっさり型式を目の前で使い、更には自分の型式の発動を別の型で応用し使いだしたことに、自身の小さな自尊心を傷つけられたような気がして、項垂れた。


『状況を考えなさい、二人とも』


 項垂れた冬の頭をすかさず慰めるように撫でながらも、注意を促すことを忘れない枢機卿の言葉に、お互いが「そんなことを考えている状況でない」と、我に返る。


「……桐花さんは――」


 戦いが始まる予感に、先程から無言で佇む雫を見た。

 雫はすでに型式を使っていたのか微動だにせず目の前を睨むように見つめ続けている。

 その一歩先を考えているかのような行動に、流石B級殺人許可証所持者だと、今は自分のほうがランクが高くなっていることを棚にあげつつ感心する。


『……強敵です。気を抜かないように』


 枢機卿は現れた男を見て、二人に更に警戒を促した。


「……絆よりゃましやろ、な、しず――」


 松が相手を睨みつけている雫の気分を和らげようと声をかけた。


「――『ラード』」


 その松の声を遮ったのは、恨みがましく怒りの篭った声だ。


「……ラード……?」



 そこにいるのは。



 さらりとした艶やかな長髪と、伊達眼鏡であろう黒縁の眼鏡をアクセントに甘いマスク。


 だが、見た目は斬新。


 小太りな、歩くたびにぽよんっと擬音が出そうなほどには丸みを帯びた体型をし、足元までに長く灰色のファー付きの赤い厚手のダッフルコートのボタンをしっかりと留めた服装をした男だ。

 その体型にしっかりとボタンを留めているので、若干ぴちぴち感は否めない。



「ああ、そうだよ。僕は『ラード』。そう名乗っている。よろしくな」




 そんな彼の名乗りに、冬は、枢機卿の言葉を思い出す。




<表世界に薬をばら蒔く――ああ、あなたはシグマと任務をしていましたね。アレは、ラード率いる裏世界の闇に関わる最下部の組織ですね>



 許可証協会でも要注意人物として名を連ねる男。

 殺人許可証所持者でありながら、殺し屋組合に降り、殺し屋組織を自ら作り出した男。




 B級殺人許可証所持者。

 コードネーム『ラード』。




 一年前。

 美保の目を治す際より以前から、B級殺人許可証所持者『戦乙女』が追いかけて探していた、敵だ。

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