第172話:『松』と『雫』 3
B級殺人許可証所持者『ラード』。
その名前には、冬も聞き覚えがあった。いや、正しくは、忘れるわけがないとも言える。
その名前を教えてくれた枢機卿を見て、あの時のことを思い出す。
なぜなら、その男の名前を聞いたのは、冬が自分の気持ちを抑えられずスズを引きとめ、初めて結ばれた特別な日のことであり、
<……病院と癒着しているのは、殺人許可証所持者です>
<……は?>
<B級殺人許可証所持者『ラード』と言う男です。同じくB級殺人許可証所持者『
<裏世界のなかでも古参。あらゆる悪意を撒き散らす大きな組織の幹部が『ラード』です。勢力の一部を削いで気持ち程度の弱体化させることしかできないほどの巨大な組織の一部門の長。表世界を守る許可証協会の、最大の障害といっても間違ってはいないでしょう>
<なぜ、殺人許可証所持者が……?>
<……あなたは、殺人許可証所持者が全て善意を持つとでも思っていますか? ひとごろし>
あの時に、裏世界と殺人許可証の黒い関係を知り。
そして、スズに正体がばれた仕事に関係していたからだ。
「この方が……?」
枢機卿はその視線にこくりと頷き肯定する。
『……ここで、ですか』
「なんやねん、なんかしっとるんか?」
「……桐花さんが追いかけていた方ですよ。事情は知りませんが」
「雫が……ああ、なるほどや。ほったら……手伝うかいな」
松がぐりんぐりんと肩を回すと、前へと進み出た。
なるほどとは言っているものの、松にはその因縁も分からなければ、怒りを篭めて睨みつける程の理由も本人から聞いたことはない。
互いに過去を詮索する気はなく、互いが互いのことを想っているから聞く必要がないと松は考えていたからだ。
「雫。手伝うで」
「……ううん。いい」
いつもの間延びしたような声ではなく、すでに戦闘モードへと突入した雫の声と、否定の言葉に篭った怒りに、松は肩を竦める。
「あんなぁ? お前がダメだっていうても、わいは手伝うからな」
「……」
「僕達も手伝いますよ」
冬が枢機卿に「下ろしてください」と視線で訴えた。
枢機卿も流石にこのままでは先に進めないと思ったのか、名残惜しそうに冬をゆっくりと下ろした。
そんな今にも戦いが始まりそうな真剣な状況であるのだが……
……ついに。
降りることができた。
そんな、普通のことに、自分の足が地面に付いた瞬間に、じぃ~んと、感動の感情が押し寄せてきて涙がほろりと一滴落ちてしまうほどに嬉しかった。
誰にも気づかれないようにしなければと、首をもたげ、『Λ帽子』を被り直すついでに拭き取りつつ視線を戻す。
「い~や、お前は、先行きぃな。流石にここでもたつくわけもいかへんからな。ほれ、お姫様抱っこですすみぃ~な」
松がにやりといじめっ子風に笑い、枢機卿に指示を与える。
冬が「えっ?」と、何を言われたのか理解する前に、枢機卿がすばやい動きでまた冬を抱きしめ抱え込んだ。
冬が地面に足をつけ、またお姫様抱っこに戻るまで、おおよそ二十秒ほど。
抱きかかえられるまでのその動きは、まさに電光石火であった。
『その先、通して頂けるのでしょうか。ラード』
冬を大事そうに抱えた枢機卿が、冬の驚きと抗議と絶望の表情を無視して、目の前の敵にゆっくりと近づきながら声をかける。
時間がない。
それは確かである。
もしかするともう間に合わないのかもしれないという際どい状況だと枢機卿は分析していた。
松のその提案はとても魅力的であり、戦力の分散は愚作ではあると思いながらも、急ぐために彼等に任せることを選択した。
彼――ラードが、すんなりと通してくれること前提ではある。
「ああ、いいよ。今回の争いに参加した理由に、お前達は入っていないから。それに、先に進んだところで死ぬことには変わらないだろう? 僕に利のない殺生はしない方針なんだ。先に進んでいいよ」
『……死ぬかどうかは別として。急いでおりますので、感謝しますよ』
嫌味にも聞こえる発言をしながら自身の横を通り過ぎていく枢機卿に、「どういたしまして」と興味がなさそうに手を振るラード。
やり取り上、難なく素通りさせる行動からも、枢機卿達に興味がないことは十二分に分かったが、それが演技だったことを考え、松はいつでも動けるように警戒し、相手に殺気を向けて注意を引き続ける。
――だが。
「さぁて。話でもしようか」
――まさに何事もなかったという表現が正しい。
枢機卿達は、手を出されることもなく、そしてその先の暗闇の中に何かあったわけでもなく。ただ、素通りして、世界樹の中へと侵入を果たした。
枢機卿と冬が背後となった松と雫、そして敵であるラードの姿を視界に一度納めると、意を決して奥へと進んで暗闇の中へ姿を消していく。
その姿が消えた後に、ラードが気だるそうに、二人に対して声をかけた。
「……なんや、お前……。今の状況わかっとるんかいな」
「ああ? 分かってるさ。むしろ分かってないのはそっちじゃないか?」
勝てると思っているからなのか。
殺人許可証所持者としてこちらが下位の所持者だからと侮っているようにも聞こえ、その芝居がかった動きと言葉に、イラつきを感じる。
「あぁ?」
松の中で、眼鏡を軽く持ち上げながら雫を指差すラードに苛立ちが高まってきた時だった。
「そう思うだろ?――」
次の言葉でその苛立ちは、一気に霧散した。
「――僕の奴隷、しずくちゃん」
その言葉に、雫がぴくりと反応する。
「……今は、そうじゃない」
怒りのあまりか、震えながらも絞り出された雫の声。
松は一年前の冬の依頼を受けた時に、ファミレスで香月店長から、『戦乙女』は『運び屋』に売られたことがあるという話を聞いていたことを思い出した。
あわせて、弟を探しているとも聞いたが、今のやり取りから、それはついでであるのだろうと察する。
「なら、お前は、わいの敵やな」
推測するまでもなく、『運び屋』によって裏世界へと拉致された雫は、裏世界で競売にかけられ、この男に買われたのだということを簡単に理解できてしまった。
どうやって逃げ出したのかは不明だが、殺人許可証所持者となってラードを追っていたことも関係しているのだろう。
恐らくは、復讐。
そして、今ここで、出会った。
そうであれば、怒らないわけがない。殺気をダダ漏れにして睨まないわけがないと松は思う。
互いの過去は詮索しない。
だが、二人の関係性を知ってしまった今は、もう引くことはできなかった。
ゆっくりと、自身の
その復讐を、手伝うことができる。
その復讐を終わらせることができる。
そう思うのは、恋人として当たり前だと、松は思った。
苛立ちはまた再燃する。
「はぁ?」
敵同士であることは当たり前で、敵対することを意志表示したからか、ラードはそんな松を見て、不思議そうに声をあげた。
「何言っているんだ、お前。当たり前だろ」
「そうやな、当たり前や」
「そう、当たり前だ。楽しませてもらったあの時から、お前等は元々僕の、敵、だろ?」
松の頭の上に、疑問符が現れた。
ラードは雫のことを知っているのは当たり前だとしても、自分のことを知っているのはおかしい。
松はラードが雫の過去の男だから、今の男としてちょっかいをかけてきていて、過去と決別させるために敵として認識したのであって、元々ラードのことを知っているわけではない。
「? あなた、なにを……?」
雫も同様に。
ラードそのものが何を言っているのかは、正直どうでもよかったが、松とラードの会話が噛み合っていないことに違和感を覚え、思わず聞き返してしまう。
「家を放火したの。誰だと思う? 『焔の主』? そんなわけないだろ? あいつがやらかしたら消し炭だろ? 『流の主』が消す? いない時に狙ったんだから、それはないだろう?」
「……家を、燃やした……?」
松が聞き返す。
松は、小さい頃の記憶がない。
ただ、自宅を燃やされ、そこで家族のうち自分以外の誰かが生き残っていると聞いているだけである。
その『燃えた』という部分に、松は反応した。
「……旦那様?」
この男は、雫を買っている。だから家の話を雫に言うならまだ分かるのだが、なぜそれをラードが松に言うのか、雫には理解ができない。
「『
ぴくっと。二人がその言葉に反応した。
『四院』の一人であり、『焔の主』との婚姻関係のあった、『流の主』の名だ。
「久遠、
互いが反応したことに、互いが驚き、聞こえてきた内容に、理解が追いつかない。
「まさかね、ここで君達姉弟に会うとは。僕の奴隷であるしずくちゃんとだけ会うはずだったんだけどね」
「「……え?」」
二人が、互いを見合って、硬直した。
End Route01:『松』と『雫』 完
――――
あとがき
ここでカクヨムコンテスト6は打ち止めとなりました。
面白いと思っていただけたならお星さまを
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