第131話:世界樹事変


 和美のストーカーではなく、冬のストーカーだと自身で告げた音無。

 音無が自分で告白したその内容に、スノーと姫は言葉を失う。


「であれば……水無月さんに近づいたのは」


 やっと声を絞り出した姫は、学生時代から今にかけてこの男が計画していたのかと思うと、どれだけ自分達が後手に回っていたのかと、驚きを隠せなかった。


「ああ、別に水無月と付き合いたいとかそういうことを思って告白したわけじゃないんだよね、あれ。別に不自由してないから特定の子と仲良くなってもいいことないし」

「……永遠名冬に近づくためですか」

「ま~ね。結局、二人が仲良くなったからより近づけなくなったんだけどさ」


 冬に近づくために、まずは外堀から。

 その外堀を埋めるためにそう思わせぶりに声をかけた結果、冬とスズは恋人同士になってしまったのは、音無にとっても予想外であったのだろう。


「永遠名って、結構人見知り激しかったし、いくら同級生って言っても、元から知り合いじゃないからさ。いきなり仲良さそうに声かけてもあいつ警戒するからね。だからまずは水無月を引き剥がそうとしたんだよ。それがさー、俺って自分で言うのもなんだけど、イケメンだからさ。簡単にこっちに靡くと思ったんだけど、ガード固くてさー。そこらの子だったら声かけて一緒に帰ったら堕ちてそのままお持ち帰りして楽しんだりしてるんだけどなー」

「……饒舌ですね。クソみたいな発言ですが」

「ははっ。まあ、解体バラして売っ払って金にするか――杯波と後輩の子みたいな可愛い子だったら、他に渡しちゃっても裏世界でも表世界でも十分金になるからさ。水無月も永遠名と仲良くする為にちょっと遊んだ後、永遠名に俺のお下がり返してあげようかなって思ってたんだけど」


 心底、姫は目の前の男がクソ野郎だと思った。

 その犠牲者を目の前にし、誘拐されていることにも気づけず、助けられず。そしてその犠牲者の亡骸と今も一緒にいるのだから尚更である。


「……なんでそんなこと……」

「はぁ? だぁからぁ。永遠名に近づくからだろ」


 何を当たり前なことを言っているのかと言わんばかりの発言に、スノーも姫も、何を言っているのかさっぱり分からなかった。

 だが、次の音無が言った一言に、スノーは理解する。


「俺の永遠名に、近づいて俺より仲良くしているからに決まってるだろ」


 その言葉は、つい半日前程に似た内容を聴いた。




【お兄ちゃんがね。美菜がいるのに、他の子と仲良くするからだよ?】




「……兄妹、ね……いやなとこだけ似てるわ……」


 刃月美菜。

 音無の妹と思われるその女性と同じ発言をし、同じ存在――冬を狙う二人。


 スノーは、冬という自分の弟のどこにそこまで人を惹きつけ、老若男女、善意も悪意も一まとめに惹きつける魅力が何なのかとため息をついた。


「ま、弟だから、それでも守ったげるんだけどねー」


 先ほど枢機卿が言った「疫病神」がぴったり合うなどと、スノーは自身の弟へ失礼なことを思って口元に笑みがこぼれる。


 惹きつける魅力がなくとも、スノー――永遠名雪にとっては、自分を心配して裏世界へと足を踏み出してくれる、愛すべき弟だから。

 たった二人だけの家族なのだから、守るのは当たり前だとスノーは思う。


「つーかさ。さっきからそこの許可証のトップとメイドさんさ、な~に、俺の永遠名のことを親しく呼んでんの」

「「姉だから?」」

「なんでお前らみたいなのが永遠名の姉なんだよ。そこからおかしいだろ」

「いえ、おかしくはないでしょう」

「姫ちゃんはおかしいからね?」


 そんなやり取りも、ギアの起動が終わり、そのギアが立ち上がったタイミングで止まった。


「永遠名冬がこの男に狙われることについては、もう永遠名冬のサガのようで、自身のせいであるようですので、今更ツッコミいれたりはしませんが……」


 起動しきったギアをみると、姫はため息をつく。


 音無の背後で付き従うように駆動音とともに動きを止めているソレは、ただそこにいるだけで、ぶるりと体が震えるほどに威圧感を与えてくる。


「なんにせよ、ですよ。あのギアが起動したこと。そしてアレを見つけられたことは、私にとって嬉しい話ではあるのですが……今の状況では、厳しいですね」

「知ってるの?」

「知ってるもなにも……御主人様への救援まで持ち堪えられればいいほうです」

「……そんなに?」

「ええ――」


 スノーは、裏世界、許可証協会ではトップに位置する強者である。

 しかし、その強者を軽くあしらうことの出来る『鎖姫』と自分がいても、「持ち堪えられない」と姫が言ったことが信じられなかった。


 ましてや、それは。

 そうではないとわかってはいるが、まるで自分が足手まといと言われているかのようにスノーは感じ、その表情に陰を落とした。


「――あれは、絶機。ギアのハイエンド。通称『混迷』です」


 ギアの頂点に位置する存在が、彼女達の前にいた正体。


 その存在を十分に知る姫は、最大級の力を持って戦うべきだとすぐに判断できるが、ソレを知らないスノーはまだ軽く考えているようであった。


「勘違いしないでください。あれは次元の違う強さです。恐らく勝てるのは……悔しいですが、御主人様と、御主人様のお母様以外、いらっしゃらないでしょう」


 姫でも相手にならない存在だと強調する。せいぜい、時間を稼ぐ程度。場合によってはここで死ぬことさえ、具体的に想像できてしまっている。

 だが、スノーの力があればもう少し耐えられる時間が延びる、生き延びる確率が高くなるかもしれないという、微かな望みを姫は感じていた。


 姫が腕を挙げると、背後に控えていたメイド勢が担いでいた布と共に姿を隠す。

 姫からアイコンタクトで受けた指令と共に、屋敷へと戻ったのだ。


 せめて、彼女達だけでも、元の世界へと帰らせてあげたい。


 そんな想いを感じることも、姫自身、死期を悟ってしまったとも思えなくもなかった。


「さ、時間だ。お別れしよう」


 音無が振り返り、自分が目覚めさせた、圧倒的な力を持つといわれるギアの横を通り過ぎる。


 ギアが、ゆっくりと、赤い瞳を二人に向け、動く。



 このギアが。

 彼女達の前で動き出したことが。


 彼女達を、望まない結末へと、進ませていく。



「――っ! ピュアっ! 避けてっ!」

「え――?」


 目は、離していなかった。

 そのギアが、目の前に来ていることを知覚したのは、口と思われる場所が開き、そこから蒸気のように白い煙が立ち昇るその光景を目の前にしたときだ。


「は?」


 そして、そのギアの指先が、スノーの腹部に刺さるように触れ。


「――ひゅ、ぐぇっ」


 その指先が腹部を貫き、遅れて口から糸のように細かく飛び散る血が漏れた時。


 遅れて、そのギアが動いた際に弾けた空気の破裂がその場に届いた。

 その破裂に、腹部から腕首まで侵入していたギアの腕が抜け、遥か後方へとスノーは吹き飛ばされる。


 がつんっと。

 自身が裏世界まで降りてきたエレベータドアにぶつかり止まると、ずるりと、ドアに血の跡をつけながら床へと座り込む。


「……は、え――?」


 いまだ、自分に何が起きたか理解できず。


 腹部に生じた痛みに、「お腹はこれから大事なんだからダメでしょ」なんて呑気なことを思うが、成す術もなく致命傷を負わされたことが嘘ではなかったことをスノーに思い知らせる。


「ピュアっ! ぼーっとしてないで避けなさいっ!」


 そんな叫びにも似た声と共に猛スピードで自分に近づいてくる姫が視界に見えた。

 だがその視界はすぐに【黒】に塗り潰される。


「……あ~……こりゃ姫ちゃんが言ってた通りだわ……」


 目の前に、姫より先に姿を見せたのは、ギアだ。



    絶望を人に与える機械兵器。




       通称・絶機。



      機体名称・『混迷』



 人が作ったであろうオーパーツ的存在であるその機械が、一人の女性に猛威を振るう。





 これが、始まり。





 ラムダという許可証所持者の許可証剥奪から始まった裏世界の騒動。

 世界樹の管理者である『縛の主』が、過去に自分が失った研究成果『苗床の成功体』を取り戻し、世界に反旗を翻したこの戦い。

 殺し屋組合の中でも謎の組織である、『音無』の暗躍と、裏国家最高機密組織『高天原』の崩壊から始まったこの戦い。


 それは後に――






      『世界樹事変』 






 ――と。

 総称して、そう呼ぶこととなる。



 そしてこの世界樹事変は――





 ――ちんっと。

 エレベータドアの前で起きていた状況を知らず、暢気な音を立てて開いたドア。


「……え?」


 エレベータの扉を開き、裏世界へと降り立った冬が。


 ビシャっと。

 最愛の姉から赤い鮮血を浴びせられたこの瞬間が、その、始まりであった。

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