第13話:その武器は
冬は走っていた。
辺りの大木が生い茂る森の中を、彼はその大木を避け、時には大木の枝に乗り、走り続ける。
協力者であり、追跡者でもあった少年と少しでも距離を離すために。
彼がもし敵であったなら。もし彼が敵となるのであれば。
今の冬では勝てない。
ならば、この離れられる機会に離れ、返り討ちにできる程の罠を仕掛けて対抗する必要がある。
冬の武器は、特定の状況での接近戦に弱い。
それは冬自身が最も理解しており、だからこそ彼は試験が始まるとすぐに隠れる場所を探した。
その場所に近づく敵を罠にかける為。
または、気づかれないように近づき罠で倒すため。
今追いかけている殺し屋である高齢の男からも少し離れて罠を張る必要もあった。
だけど、冬は。
あの少年が、すでに敵ではないと。
なぜか心の中で感じてしまっていた。
「おいおい、どこまで逃げるんだぁ? 追いかけっこしても追いついて殺すだけだぞー?」
冬を追いかけるように後をついてくる体格のいい男は、明らかに冬を舐めていた。
自分を恐れるように逃げ惑う冬に、隠れて場所を特定されないように逃げる冬に。
武器さえも持っていないような冬に、彼は怖さを感じることはなかった。
いつでも殺せるだろう。
こうやって追いかけている間も、その気になればすぐにでも追いつけそうだ。
大木と大木の間を辛うじて人が通れるくらいの隙間に冬が入り込んだ。
男もそこを抜けようとするが、少しつっかえてしまって追いかける速度が落ちてしまった。
抜けきった先で縦横無尽に逃げる冬の姿が、大木の影に消えた。
余裕で追いかけていた男は冬を見失ってしまった。
「ちっ……どこいったぁ?」
逃がしてしまったとしたら、厄介だ。
気づけば元いた場所からかなり離れてしまっていた。
このまま、相方のほうへ向かわれ、相方が二対一で戦うことになったら、いくら子供とはいえ、この試験に参加している子供たちだ。
相方でも苦戦してしまうかもしれない。
急ぎ戻るべきか、それともこのまま気配を辿って追いかけていた子供を見つけて倒すべきか。
男は少し考えるため、足を止めた。
「……はっ。やっぱり子供だな」
他より大きな大木の天辺で、こちらの様子を伺っている中国服の子供の姿を見つけた男は、にやにやと気づいていないかのような素振りを見せながら、辺りをうろつきだした。
中国服の子供がこちらが気づいていないと判断したのか、ゆっくりと攻撃の体勢を整えているところを男にはしっかりと見えていた。
こんな人を殺し続ける場所で、そのように簡単に姿を見せてしまうのは殺し合いを経験したことのない初心者のやることだ。
迎撃の体勢を整えながら、男は冬が降りてくるのを比較的開けた場所を見つけて立ち止まる。
冬が、大木の天辺から男がしっかり見えたことを好機と捉えたのか、狙いを定めて飛び降りた。
飛び降りる重力も借りた渾身の一撃をもって冬は逃げている途中で拾った木の棒を男の頭に向けて叩きつける。
「やっぱり場馴れしていない初心者かっ!」
着地する前に振り下ろしたその一撃は、簡単に予測されていたかのように躱され、冬は着地と同時に驚きの表情を浮かべた。
驚きの表情は一瞬。
高いビルから飛び降りて着地したときと同じくらいの衝撃が足を駆け巡り足が痺れたが、そんなことを気にしている余裕はない。
動かないと、死ぬ。
「死ねぇっ!」
冬が着地と同時に上半身をお辞儀するように倒すと、さっきまで上半身があった場所に男の獲物がものすごい早さで通りすぎる。
顔の前で手を交差させながらすかさず男と距離を開けた。
反撃をすればよかったかもしれない。
だが、冬には反撃できるような武器はない。
彼の武器はすでに展開済み。
冬の両手首の辺りから、細い、無数の光が溢れだしていた。
「……ふん」
何かが起こるかと思い、防御態勢を取った男が言葉を漏らす。
ハッタリ。
男はそう判断する。
「……僕に近づくと、死にますよ」
「脅しは効かん!」
言葉と同時に、男の両手首からカタールが現れる。
男は両腕を後ろにやり、いつでも渾身の力を込めて振れるよう準備をし、冬に闘牛のように突進してくる。
「もらったぁっ!」
冬はその場から動かず。男の射程内に冬が入る。
男は目の前の少年が動きについていけないことに、勝利を確信しながら渾身の力を込めてカタールを振り下ろす。
カタールがあまりの速さに残像の光を残した。
切り裂かれた相手の体から吹き出す血。そこから連続で繰り出される返し刃の一撃に首が飛ぶ。
まさにそれは、男の勝利の一撃だった。
が。
振り上げ、振り下ろすという行為そのものが、男にはできるはずがなかった。
いつもの殺しと同じように振り下ろした、自分の自慢の高速の一撃。
いつもの殺しのルーチンワークは、まさにいつもの動きでいつも覚えている規則正しい妄想となって、彼の脳内で再生されていた結果だった。
血を噴き出したのは、男自身。
冬に近づこうと走り出した瞬間。
ありとあらゆる場所を切り刻まれ、首から下はぶつ切りに。
男の生首が、自分の身に何が起きたのかもわからずに冬の横を通りすぎていく。
空から降りてきたのも、途中姿を隠したのも。
木の棒で殴りかかったのも。
すべては冬が、自分の展開した武器を見せにくくするため。
「……糸、だと……?」
「ええ。僕は、『糸使い』ですから」
腕を振るうと、十本の赤と木漏れ日に反射する銀色の光の煌めきが、冬の周りに集まり消える。
「知られたら、そこまで凄いものではないので苦労します」
糸。
正確には、炭素鋼で作られた金属線――ピアノ線だ。
男の生首は地面に落ち、転々と、毬のように転がる。
冬はその生首が、切断面からこぼれる血の跡を地面に残しながら転がり止まる前に、その場からいなくなった。
相方の死が男の頭に過り。
そして、男の意識は途絶えた。
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