五箇伝についてちょろっと語ってみる その弐:山城伝
さて、なんか最近妙に更新しているエセ知識。
ふと気になったのですが、どっかのタイミングでこのエセ知識がいろんな人に読まれていたみたいですね。
餅鉄あたりまでのPV数がなかなかの数となっていて驚きました。
でも、その後は更新してなかったためか、そこで飽きたのか、一気に離れられたみたいですけども。
そんなところもエセっぽくて私は大好きです。
あい らぶ えせ。
さて。今回は前回に続いて、五箇伝について語ろうと思います。
前回は多分五箇伝の中でももっとも古い大和伝。
次は山城伝についてエセりたいと思います。
この山城伝。なかなかエセりがいのあるものでして。
ぶっちゃけ、大和伝ってしらない刀工や刀が多いのですが、以降の五箇伝は、有名どころがたんまりだったりしますので、もし知ってる刀工や刀が出てくるようでしたそこに想いを馳せながらエセをエセってもらえると嬉しい限りです。
エセをエセるってなんだろう……。
■山城伝
刀工数:845工
有名な刀剣:小狐丸
有名な刀工:三条宗近
この刀剣と刀工を見てぴんと来た人もいるかもしれません。
はい。小狐丸は三条宗近が作刀した刀であり、三条宗近はあの天下五剣の三日月宗近の作刀者でもあります。
なぜ刀剣を三日月宗近にしなかったかと言いますと、個人的に天下五剣三日月宗近より小狐丸のほうが好きだったりするからです。
小狐丸、知ってます?
これ、稲荷明神が狐の姿で現れて三条宗近の相槌として鍛えた刀なんです。
神様からお告げを受けて作刀などはありますが、神様と共に鍛えた刀なんてあまり類を見ない刀かなぁと思います。
さて、そんな山城伝。
山城伝もやはりいくつかの流派によって成り立っています。
有名どころとしては、三条派、
なお、終わりが大和伝より短い一派となるのですが、だからこそ刀工数も少ないのかもしれませんね。なぜ衰退したかというと、歴史のお話になるのですが、武士の合戦が多くなったことで、美しさをかねそろえた美術品のような日本刀ではなく、実用性に高い頑丈な太刀が流行った事と、後鳥羽上皇による御番鍛冶制度(いろんなとこから鍛冶師を招集しちゃって月ごとにつくらせちゃうぜ制度)により、粟田口派の有名刀工などが招集されたことによって衰退していき、刀工業界への革新となる相州伝へと変わっていくのですが、まあ、この辺りはもっと詳しい人に聞いたり調べたりしてみてください^^;
京中の需要というところから、優美な姿といえばいいのですかね、美しく力強い刀剣が多いのが、この山城伝の特徴だそうです。共通点としては、刀の反り――刀身がちょっと反っている――が刀身の中央にくるように作られています。この特徴的な反りは、山城物と呼ばれる所以となります。
三条派は公家であった、趣味で刀作ってたらすっげぇ技術力パなくて小鍛冶とか称されちゃった三条宗近を祖とする派閥で、一条天皇の勅命による作刀小狐丸や、刃文と
というか、この吉家って、子供とか孫とか言われてるけど、宗近の別名だったとかいう話もあるらしいですね。
粟田口派は、粟田口国家という刀工を始祖とする一派ですが、その子供達が特に有名です。粟田口六兄弟、そしてその中の次男、久国の曾孫、粟田口吉光こと藤四郎。天下三作、または名物三作として名工として名を連ねる刀工を輩出した一派です。主な刀剣としては重要文化財の
作風としては短刀が多いことこともあるかもですが、刃文は直刃を主体とした肉質のくせにすらっとしているという印象を私は持ってますが、専門家の説明とかだともっとこう細かいこと書いてあるんでしょうね。そこはやっぱりエセなのでよかったら専門用語と共にみて見るといいですよ。
あ。忘れてた。粟田口派は、鬼丸国綱も有名ですね。
来派は粟田口派の衰退により現れてきた流派です。当時の朝鮮半島、高麗から渡来してきた来国吉とその子供の来国行が開祖といわれています。
山城伝の作刀技術もさることながら、山城伝における優美さとは違い、立派な太刀を鍛えることが得意だった様子で、またそれが時代とマッチして鎌倉武士とのコネクション作りも確立できたことが隆盛を極めた理由ではないかなと考察されています。
刀作りも得意で、営業技術もあったってことですかね。
ちなみに、山城伝といわれると、刀剣愛好家の中では三条派や粟田口派より、真っ先に来派が出てくるそうですが、私は間違いなく出てこないです。
この来派の作刀技術は、各地へと鍛刀技術が広がっていて、その中にある延寿派と呼ばれる流派は、大正の時代まで続いていたそうです。私のとこの大ババ様が大正生まれだと思うと、ああ、なるほど、この延寿派が作った名刀を持って戦場に駆り出てたんだなって思うと感慨深いです。んなわけない。
粟田口派のように短刀が多いものの、中には薙刀なども作刀しており、三条派のような反りの中心が刀身の中央にあるものが多く、また、
国宝、来国光は短刀として有名ですね。
信国派は室町時代に来派と入れ替わりに栄えた流派です。作風は、信国派が栄えた時代に主流であった相州伝と備前伝の両方が融合しているかのような作風が特徴みたいです。戦国武将武田信玄が持っていたといわれる重要文化財、一期一会が有名ですね。
この流派の信国は、かの有名な刀工、正宗、その弟子である正宗十哲、その更に十哲の中の貞宗の弟子、貞宗三哲として知られる刀工だそうですが、こう書くと正宗に程遠いなと思いますが、信国も十分有名な刀工ですからね。来派の中で有名な、僧侶なのに鍛冶師である了戒という刀工の、二代目了戒の子であるとされています。こっちも遠いなおい。
なんでこんな感じになるかと言いますと、大体、流派の初代刀工って、現存する刀がなかったりすることが多いんです。この流派も例に漏れず。そのため二代目信国が初代とされてるくらいだったりするんです。
その二代目作の短刀が残っており、
五条派は三条宗近を祖とする三条派の
三条宗近の作風にとてもよく似ている、乱れ刃の刃文で優美な太刀が作風としていますが、この五条派、ほっとんど史料がないそうです。
なのになぜここに載せたかっていうと、ただ、御物鶴丸国永が有名だから出したかっただけですね、はい。
……くっ。
いっそのこと他のもまとめて書きたかったのに。やっぱり、一つの伝に一エピソードになりそうですね。むしろ大和伝より文字数多いし(笑
次に書こうとしてる備前伝は、とにかくでかい派閥で規模がとんでもないので、ちょっと時間を置いてエセりたいなとか思ってます。
でも、これ、そろそろエセじゃなくなってきた気が……。
上記の、私の大ババ様の話以外は、なんだかんだでネットでも調べてみると出てくることが多く書いてあるので興味があったら調べてみてください。こんなエセよりもより多くの情報が皆さんを待っていること間違いなし!
このエセ知識は、皆さんにちょっとでも興味をもってもらうがためのお話。
エセから興味をもって読んだ皆さんがエセを超える。それが、エセ冥利に尽きるってもんですたい。
ではでは。また私がエセりたくなったときにお会いしましょう。
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