懐中時計が返す刻

 チッ……。チッ……。チッ……。

 秒針が進んでいく音が耳に届く。規則的に刻まれる音は、穏やかな川の流れのようにゆっくりだが、川の水が止まることをしないように、決して止まることなく鳴り続けていた。

 この時計は、もうすぐ止まる。なんてことは無い。ただの動力切れだ。

 失われていく動力を注ぎ足そうとも、竜頭を回し、ネジを巻く事は出来なかった。いくら力を入れても、まるで懐中時計そのものが拒否しているかのように回らないのだ。

「そっか……。そっかぁー……」

 手の握力が失われ始めた頃、そういうものだと理解し、ネジを巻くのは諦めた。

 ならどうしよう。どうするもこうするも無い。竜頭が回らないのなら、ネジを巻くことは出来ない。早いことそれを認めて、諦めないことを諦めて、せめて最後までちゃんと使おう。

 チッ……。チッ……。チッ……。

 ほら。こうしている間にも、秒針は止まらないのだから。


 ◆ ◆ ◆


 今から五十年と少し前、世界に超常的で空想的な存在が現れた。ただしそれは、B級映画の宇宙人のようにこちらの準備が整わぬ前にいきなり現れたわけではなく、政府が公表するという極めて現代社会的な方法を持って現れた。

 最初は魔法そのもの。次に、それを扱う魔女と魔法使い。

 科学が十分に発達した世界は、かつて魔女狩りで迫害された人たちの子孫を、むやみに殺すことをしなかった。そもそも、人が魔女狩りを行っていたのは、自分に理解できない未知を恐れたからだ。しかし現代科学は、今までフィクションの中にだけ存在するとされてきた魔法を言語化し、数値化し、理論化した。

 理解できなかったものを理解できるようにしたのだ。そうなれば決して怖いものではない。

 一般人には知られぬよう、水面の下で魔法を理解していった一部の科学者とお偉いさん方は、満を持して魔法と魔女と魔法使いを公表した。結果として、いくらかのパニックを呼び起こしたものの、『存在するものはしかたない。認めろ』という暴論でありながらもこの上ない正論を持ってして、世界に魔法と魔女たちの存在を浸透させていった。

 それから五十年と少し。

 人は命を繋ぎ、魔法が日常に突然現れた世代の人々の孫やひ孫である私達の世代は、魔法が存在することが当たり前だという常識の中に生きている。

 かくして、かつての非日常は、日常へと姿を変えたのだ。

「って言われても、私達には実感無いよねー」

「なにが?」

「魔法が奇跡の力ってことが」

「あー……そうだよな……。かなり昔に大ヒットしたらしいファンタジー作品とか、俺らからしたら『なんじゃこりゃ』って言うしか無いもんなー」

「だよねー。自転車で水泳してるみたいなチグハグ感があるもんねー」

 ファンタジー系の一昔前の映画を見たり小説を読んだりしていると、魔法の常識が知識として存在する私達には、これがおかしい、あれがおかしい、とおかしな所だらけなのだ。しかしそれは仕方がないといえる。当たり前なのだ。使い方の分からないものを使えといわれれば、誰だってそうなる。魔法が常識として存在しなかった時代の人たちが精一杯に魔法という奇跡を想像し、作品を作り上げたのだから、決して馬鹿にする事は出来ない。

 現在地は放課後の教室。そんでもってここに居るのは私と目の前の彼だけ。

 机を四つ並べて、内二つはプリントの山が五つ。残りの二つは私と彼の作業場。私たちは五つの紙の山から一枚ずつ紙を取り、ホチキスで綴じ、床に置かれたダンボールに入れていく。

 ぺらっ。トントン。バチッ。パサッ。

 流れ作業に慣れてきた頃、作業スピードは上がってきたけど飽きもくる。何故、学級委員と言うだけでこんな面倒ごとをしなければいけないのか。正直、学級委員なんて雑用係を聞こえがいいように言っただけにしか思えない。内申には本当に影響しているのだろうか?

 ぺらっ。トントン。バチッ。しゅぴーん。ぴろろーん。

「おい。何してんだよ」

「ゲーム」

「何をやってんのか訊いたわけじゃねぇ。何でやってんのか訊いたんだ」

「飽きたのさ☆」

「そうかい……」

 おっと。呆れられた。でも、怒んないのははじめも飽きてきているからだと思う。きっと今、私たち通じ合っている。きゃっ。

「アホなこと考えてないか?」

「いーえー? べつにー?」

「考えてたんだな」

「うぬっ……」

 ばれた。おかしいな。物語では相手の心がわかるのは、女の方だって相場が決まっているのに。女はエスパーと呼ばれるほど勘がいいのです。

「ちょっと休憩するか」

「さんせーい」

 二人して「ふぅ~」っと一息。プリントの山は半分ぐらい減っている。まだ半分あると思うか、それとももう半分終わったと思うか。ちなみに今の私は『もう半分終わってしまった』と寂しさを感じながら思っている。いつもなら雑用なんて『うへぇ……まだ半分残ってる』と終わらない作業に嫌気が差すけど。感じ方なんてその時々の状況で変わるものだ。

 私が椅子に全身を預けるようにだらーっとしていると、創は鞄から財布を取り出して立ち上がる。

「ちょっと自販機行ってくる。久美くみはなに飲む?」

「んー? 奢ってくれるのー?」

「ま、たまにはな」

「やったー!」

 椅子から勢いをつけて立ち上がる。

 ふふふ。やるじゃない。女の子に奢ってあげるなんて中々の紳士。そういえば、私から何かを奢ってあげたことってあったっけ? 無い気がする。

「お前も行くのか?」

「創に任せたら何買って来るかわかんないもん」

「そんなこと無いだろ」

「いっつも変なの飲んでるじゃん。この前のはやつ炭酸おしるこだっけ? なんであんなの普通に飲んでられるの?」

「いや、だって美味いぜ? あのメーカーが出す飲み物は、なぜか俺の琴線に触れる。とくにあれだ。シーグラス」

「あれかぁ……。気が付くと飲んでるもんねー……」

「あれが美味いんだ。みんな分かってくれないけど」

「分かるわけ無いじゃん。だってあれ……なんかこう……こう……すごく独特な味するじゃん。言葉には出来ないような、へんな味がするじゃん」

「分かってないな。あの独特な味がいいんだよ」

 教室から出て廊下を歩きながら話し、あの珍妙な飲み物を思い出す。

 シーグラス。名前は浜辺にあるガラス片だけど、れっきとした飲み物だ。みんなが飲むような普通の飲み物よりはちょっと値段が高い。魔法が使われていて、見た目はすごく綺麗な飲み物なんだけど、味はお勧めできないのが特徴。

 この学校の自動販売機にもあって、一番下の列の一番左にある。入学して始めてシーグラスを見た新入生たちは、物珍しさで買って後悔するのがもはや四月の風物詩。

 シーグラスが何でまだ販売しているのか謎である。問題は味だけじゃない。つまり、あの飲み物はシーグラス。その名のとおり、原材料の一つがシーグラスなのだ。たぶん魔法で溶かして色々混ぜて飲み物にしているのだと思う。見た目は、液体なのに混ざらずあっちこっちで色が違うっている不思議な見た目。すごく綺麗。でも不味い。

「っていうより、そもそもガラスって元を辿れば石油じゃん。食べ物ですら無いじゃん。むしろ食べたらダメなほうのものだよ」

「いいんだよ。美味いし毒でもないんだから」

「毒じゃないかも知れないけど不味いじゃん」

「分かってくれる奴いねぇなぁ……」

 なんだか残念そう。でも不味いものは不味い。あんなのが好きなんて、舌が馬鹿なのか好みがおかしいのか。

 そんなこんな話しているうちに自動販売機に到着。

 創は流れるようにシーグラスを購入。

「久美は?」

「お茶」

「また普通だなぁ。お前もシーグラス飲めば?」

「いや、いらない。でも本当に綺麗だよね。それ」

 創が持ったペットボトルに入った何色もの色が揺れる。綺麗だ。混ざることない色とりどりがゆらゆら揺れる。ゆらゆらり。

 赤に青に黄に緑に茶色に白とか黒とかたくさん。それがまた重なってものすごく幻想的に光を通す。液体化したステンドグラスって言えばいいのかな。うん。私にしてはいい例えだ。

 蓋を開けた創は、幻想的な液体を飲み込む。

「うん。美味い」

「……んー。ひとくち頂戴」

 あまりに美味しそうに飲むからちょっと飲みたくなった。創はうれしそうにパッと顔を輝かせる。

「おお! 飲め飲め! そんでぜひシーグラスを好きになってくれ!」

 ペットボトルを受け取る。うーむ。綺麗だ。最後に飲んだのは結構前だし、もしかしたら味覚が変わっているかもしれない。何事もチャレンジ。

 ……むぁ…………間接キスか……。

「どうした?」

「や。なんでもない。いただきまーす」

 ここで恥ずかしがると逆に恥ずかしいので、なるべく意識せずに口を付ける。

 ……なんだこの舌触り。つるっつるしてる。と思ったらなんかザラッとした。わけが分からない。おっと。味が来た。なんだかとんでもない味がきた。

「おぅぶ……ん……っく……」

「お、おい? 大丈夫か?」

 全力で力を込めて、幻想的で破壊的な液体を飲み込む。力入れなきゃ飲めないって本当にキツイ。衝撃的過ぎて間接キスがどうとか考えている場合じゃない。ちょっと涙が出てきた。

「は……吐き出さなかった私を褒めて……」

 あ、でも後味すっきり。さわやか。何がしたいんだこの飲み物は。

「よしよし。よく頑張った。お子様にはまだ早かったか」

「お子様!? 今お子様って言った!? 大人の味ってわけでもないからねコレ!?」

 大人になれば飲めるとかじゃない。大人でも飲める人なんてほとんどいないはずだ。

「ほら、お茶」

「ありがと……」

 淡緑の液体を飲み込む。ああ。ほっとする味。お茶がやけに美味しく感じる。不味いものを無理やり飲み込んだ後になれた味がくるとすごく美味しい。美しさの話をするならシーグラスのほうが上かもしれないけれど、もはやアレは食用じゃなくて観賞用の液体だ。

 お茶を流し込む私と、シーグラスをゆっくり飲む創。飲んだ後だといえる。やっぱりこいつの舌はおかしい。

「さ。戻るぞ」

「うーい……」

 よく冷えたペットボトルに、結露が起こる。うっすらと浮かぶ水分が私の手をしっとりと濡らした。

 ――パチン。と指を鳴らしてみる。

「どうした?」

「や。指が適度に濡れると指ならしたくならない?」

「ならない」

「私だけか」

「お前だけだ」

 なんと。薄々そうだと思っていたけど、やはりそうなのか。今までプールの後に指鳴らしたとき周りから注目されたのはそういうことかな。

 もう一度鳴らす。パチン。もう癖になっている。鳴らさないと指が気持ち悪い。

「おかしな癖だな」

「真似していいのよん」

「べつに真似したいとも思わないな」

「ざーんねん」

 グッと力を入れて、パチン。うーん。この気持ちよさが分からないとは、創もまだまだだ。

 ぺちっ……。隣から音。おや?

「へたくそ」

「うっせ」

「くしし」

 頬を吊り上げて満面の笑み。真似してくれたことが嬉しい。ついでに、うまく指が鳴らなくて拗ねたように言う創が可愛らしく見える。

 それから教室に帰る廊下で、指の上手な鳴らし方を教えてあげた。ぺちっ……と音が鳴るたびに悔しそうにする創は見ていて楽しい。

 チッ……キィン……――

「およ」

 制服の左胸に付いているポケットが、一瞬だけ熱を持つ。

「どうした?」

「うーん……」

 生返事を返して、ポケットから熱源を引っ張り出す。もう熱は無くて、金属特有の冷たさが掌から伝わった。取り出した懐中時計は金鎖を私の左胸から伸ばした。鎖の擦れる音が耳の奥に嫌に響く。

 動き続ける秒針を見て、なんだか切なくなる。

「もうすぐ止まっちゃうなー」

「……そか。どうやっても巻けないんだろ? それ」

「うん。無理。そういうものなんだよ」

「そんじゃ、それが止まる前にプリント綴じようぜ」

「そだねー」

 ちょっとだけ早足になる。教室へと向かうパタパタとした二人分の足音が二重奏みたいでなんだか素敵だった。

 教室に戻って、作業の続きをする。単純作業に没頭するのも考え事が進んで嫌いじゃないけど、今は目の前の相手とおしゃべりしたい気分。

「ねぇ。この前ネットで頭のよくなる魔術を調べたんだけどさ」

「んな便利な魔術があれば、世界中が賢人だらけだろ」

「いやいや、あったんだよこれが」

「え? マジで?」

「うんうん。頭の良い悪いを何で計るかによるけど、知識量ってもので測るとしたらまさに頭をよくする魔術はあったよ」

「へー……本の内容を頭に詰め込むとかそういうことか?」

「そうそう。いろんな知識を強制的に脳に定着させられるんだって。ただ、無理やり詰め込むわけだから、元々あった記憶の何割かは吹っ飛ぶらしいけど」

「ダメじゃん。ていうかそれ絶対に禁術指定されてるだろ。あぶねぇ」

「されてた。だからやり方までは分かんなかったし、そもそも本当にあるかも分かんないけどね。都市伝説みたいなもんだよ」

「だろうな」

 でも、もし安全な方法で知識を詰め込める魔術が確立されたとあしたら、世界はどうなってしまうだろう。勉強することに意味は無くなってしまうのだろうか。学ぶことに価値は無くなってしまうのだろうか。

 なんだか、それは嫌だな。

「頭のよくなる魔術があったとして、創は使う?」

「使わない」

「なんで?」

「楽しくないから」

 即答だった。にへっと自分の顔が緩むのが分かった。それでこそ創だ。

 高校に入ってから二年と三ヶ月。入学してからずっと同じクラスで、一年の最初のクラスでも私たち二人が学級委員だった。最初の学級委員の時に思いのほかうまく仕事が務まったので、それから何となくいつも学級委員に立候補している。面倒な学級委員に自分からなりたいと立候補する人は私以外にいなくて、創も付き添いみたいに何となく一緒に続けてくれている。

 つまりなんだ。創のことをそこそこ近くで見ているのだ。私は。

「お前だって使わないだろ?」

「まぁ、使わないかな」

「何でだ?」

「楽しくないもんね」

「だよな」

 創がニッと歯を見せる。面白い時じゃなくて、嬉しい時の笑い方だ。笑顔の種類が分かるとは、我ながら創をよく見ているものだと恥ずかしくなる。

「それにしても、魔法も魔術もスゲェよな。理論的には何でもできるんだろ?」

「そうだね。人間が使うときは、人間としての限界はあるらしいけど」

 例えばそれは想像力であったり、体の耐久値であったり、魔力の貯蔵量の絶対値だったりする。過ぎた力は体を壊すし、魔法で起こす奇跡は明確な想像が無ければいけない。

 魔術は、努力すればある程度なら誰だって使える。魔方陣で魔力の流れを制御し、増幅し、明確な役割と範囲を指定し、言霊を使って起動と制御を行う。センスはいるけど、ちょっとした魔術なら誰でも出来る。でも、世界の理に干渉して奇跡を起こすには、それなりの準備と努力が要るのだ。

 対して、魔法を使えるのは限られた人たちだけだ。魔法を使うための回路が体の中に無いと、魔法は使えない。

 魔法回路という、そのまんまの名前を付けられたその回路は、『体内に収納された意志の力で書き換えられる万能な魔方陣のようなもの』……らしい。らしい、と言うのは、まだはっきりと分かっていないからだ。この魔法回路があると精霊を知覚したりもできる。

 魔術とは科学によって作られた魔法のような結果を起こせる方程式だ。魔法と魔術には、結果を起こすまでのプロセスに明確な違いがある。

「精霊って感じたことある?」

「無いな」

「私もー」

 魔法を使うに当たって必要な魔力は、自分で作るか、精霊や妖精と呼ばれる存在から借りるしかない。基本的に魔術師は前者で、魔法使いは後者だ。人間が作り出せる魔力はそれほど大きくないし、有能さで言えば、魔術師よりも魔法使いが大きくリードしている……とは一概には言えない。それぞれに利点がある。もちろん欠点も。ただし、起こせる結果は、魔術師よりも魔法使いのほうが遥かにすごい。

「魔法使いは世界の理に組み込まれている、いわば理の中の存在……だっけか?」

「そうそう。妖精や精霊の力を借りて、理の中で奇跡を起こすのが魔法使い。それで、魔方陣とか道具を色々使って、世界の理を力技で書き換えて奇跡を起こすのが魔術師」

「その懐中時計は? 魔法使い製? それとも魔術使製?」

「これはたぶん魔法使い製。魔術でこれは作れないよ」

 胸ポケットから懐中時計を取り出す。秒針は止まらず動いていた。シンプルなデザインの時計は、チッ、チッ、と時を刻んでいく。

「たぶん、なのか?」

「もらい物なんだよね。これ」

「へぇ。そんなものくれる人がいるのか。誰? 知り合い?」

「分かんない。気付いた時には持ってて、どういう物なのかも知ってた。不思議だねぇ」

「ふぅん。でもま、その人には感謝だな」

「そうだね」

 胸ポケットに懐中時計を仕舞う。もうすぐ止まってしまうのが分かるのに、どうしようも出来ないのはもどかしい。でも、しかたない。

 作業はほとんど終盤。五つの紙の山は最初に比べて随分薄くなった。

「これが終わったらどこか遊びに行くか?」

「うん」

「どこがいい? カラオケでもゲーセンでもいいぜ」

「うん」

「そうだ。この前近くに出来た、魔法使いがやってる雑貨店行こうぜ。俺さ、なんかすげー気になってたんだよ」

「うん」

「……おーい。反応が薄いぞ。じゃあ、久美はどこがいいんだよ」

「んー? じゃあ、川原がいい」

「学校裏の?」

「うん」

「まぁ……じゃあそこで」

「ありがと。早く終わらせよう。間に合わなくなっちゃう」

「あいよ」

 お喋りをしながらだらだらと続けていた作業のペースを上げる。無言になるのは嫌だったから、他愛も無い雑談は交わしながら。

 校庭から運動部の活気ある掛け声が聞こえてくる。活気の付きすぎた声は、時に怒号のようにも聞こえるけれど、それはそれで趣があると思う。自分の限界以上で声を張ればそうもなるだろう。頑張っている証だ。

 運動部の声に混じって聴こえるのは、楽器の音色たち。軽音部が鳴らすバンド系の音と、吹奏楽部が鳴らす音が遠くで混ざって教室まで届いている。茜色の西日が教室を照らし、なんだか恋愛ドラマのワンシーンみたいでどきどきした。

「これで最後だな」

 最後の一枚を手に取った創が、一息つきながら最後の流れ作業を始める。綺麗に揃えて綴じられたプリントが、ダンボールに収まった。

「おつかれー」

「ほんとだよ。俺はお前の倍近く綴じたぞ」

「倍は言いすぎ。……私が綴じた分が少ないのは認めるけど」

「だよな」

「あとで何か奢ってあげるから許して」

「しかたない。許してやろう」

 腕を組み大仰に頷いて許してくれた創に、笑いが洩れる。芝居がかった行動は、なんだかすごく似合わない。

「行こうぜ」

 ひょいっとプリントの入ったダンボールを持ち上げる創。一人で持ってさっさと歩き始めてしまう。うーん。こういうところはやっぱり男の子。実はモテるのだろうか?

「荷物は持ってあげるね」

「サンキュ」

 私は二人分の荷物、創はダンボールを持って教室を出る。

 廊下をパタパタと歩く私と、トッ、トッ、と安定感のある足音を鳴らす創。少し前に出て振り向くと、「どうした?」といつもみたいに訊いてくる。笑って「なんでもない」と返すのは、なんだか嬉しい。会話に意味なんて無いのに。

 きっと、私のことを見てくれている実感があるからだと思う。

「重くない?」

「いーや。全然重くないね」

「嘘だ。結構力入れてるでしょ」

「いやいや、どこを見ているのやら。こんなにもスマートに運べているのに」

「ふーん? ま、そういうことにしておきましょう」

「そうしておいてくれ」

 笑い合う。あ、やっぱり重そう。笑顔がちょっと引き攣っていた。でも頑張れ。男の子としての意地を見せるのだ。

 目的地は職員室。「失礼しまーす」とお決まりの文句を言って入室する。担任教師は気だるそうに書類仕事をしていた。創がダンボールをおき、すぐに退室。人によって感じ方はたくさんあると思うけど、私は職員室って場所が苦手だ。

 持っていた創の荷物を手渡す。

「さて、じゃあ川原行くか。つかなんで川原? 今日ぐらいもうちょっといいとこ行こうぜ」

「違うよー。今日だからいくの」

「……そか。久美がそう言うなら行くか」

 創が悲しそうな顔をした。だけど気付かないフリをして昇降口で靴を履き替える。軽快に外へ飛び出して、舗装された地面に浮いた砂を踏む感触を楽しんだ。

 川原は学校のほぼ真後ろにある。夕方になると、水面に夕日が反射して少し眩しい。ここの景色が私は好きで、ボーっと座っていたりする。当たり前にそこにあるせいで、人が少ないのもポイント。

 とにかく、私の好きな場所。川原の土手はコンクリート舗装。ここに少しだけ散らばった砂を踏んで歩く。ジャリッといい音がした。

「こっちにきたまえ。創くん」

「おおせのままに」

 土手の斜面に腰掛ける。青い草から、夏の匂いがした。

 隣に座る創が、残っていた殺人飲料シーグラスを飲んだ。

 シーグラスに反射した夕日が、とっても綺麗。

 川が流れる。水は止まらない。野球部が白球をかっ飛ばす気持ちのいい音に混じって、胸のポケットから、チッ……チッ……と秒針が進む音が聞こえた。

「綺麗だねー」

「そうなー」

「私のお気に入りなのですよー」

「ふーん」

 む。興味なさげ。私にとっては大切な場所なのに。

 大切……と言うか、勝手にこの場所に意味を付けただけなんだけど。

「あ、あのねー」

「んー?」

「ここさー。ね、あ、あのさー」

「どうしたよ」

 舌が回らなくなってきた。夕日が隠してくれているけれど、私の顔は今凄く赤い。

 心臓が刻む鼓動の音が、耳の奥で鳴り響き、世界の音を私から遠ざけていく。

 ゆっくりと、整理する。言葉を間違えないように。しっかりと。

 勝手にこの場所に付けた意味を、頭の中で反芻する。

「あ……」

 ふと目だけで横を見たら、創と目が合った。

 心臓が大きく跳ねる。

 顔の赤みが増す。

 吐きそうなほどの緊張が、舌を絡めた。

 それでも、今日言おうって決めていたから。

 グッと力を込めて、なるべくいつものトーンで、言葉を絞り出す。


「私ね、告白するなら……ここって決めてたんだー」


 言った。言えた。声が上ずった気がするけど、ちゃんと言った。

 でもまだ、伝えきっていない。ここに私と創がいる意味を、もっと本当の気持ちを。

 けれど――私はそれを口にしない。

 絶対に。

 そう決めたから。

「久美……?」

「なーに?」

「いや……」

 言いたいことがありそう。でも、何も言ってこない。

 眉をしかめる創は、数秒考え込んで、手に持っていたシーグラスを落とした。

 トス……と土に落ちたシーグラスが、傾斜面を転がっていく。

 いつもの馬鹿な顔が、歯を噛み締めながら私を睨んだ。

 いや、睨んではいるんだけど、怖いとは微塵も思わなくて、それどころか、悲しそうに見えて、私は顔を逸らしてしまう。

「ごめん。ずるかった」

「だぁもう! ほんっと……! お前、そこまで言っておいて……! この……! 馬鹿か!」

「うん。そうかも」

「……っ……たく……言わねぇんだな?」

「うん」

 きっと、それは創を苦しめるから。

 もしかしたら、私の言葉は呪いになってしまうかもしれないから。

「お前は、言うつもりは、ねぇんだな?」

 再確認。見たこと無いくらい真剣な顔をした創が、私に訊いた。

「うん。無い。いま言っても、意味なんて無いし」

「解った……じゃあ俺からだ」

「……へぃ……?」

 変な声が出た。何を言っているんだこの馬鹿は。

「ちょっとシーグラス拾ってくる」

 言うと、創は土手を駆け下り、シーグラスを拾う。こっちに戻って来ながら、キャップをあけて中のシーグラスを飲み干した。

「……ぷはっ! うまい!」

「いや、それはおかしいし。今から口開いたらぶん殴るからね?」

「は? 何で――ぐへっ……!」

 殴った。口を開かせるわけにはいかない。

「ちょい……マジで殴ると……がッ!」

 二発目。もう止めちゃ駄目かも。三発目、四発目の準備をして、腕を振るう。

「いたッ! 痛い……! ちょっ……! 痛いっつのに!」

 右腕が掴まれる。残った左手で三回殴ったら、左手も掴まれた。

 腕が押さえられたので、蹴りを入れる。

 これは押さえられまい、とほくそ笑んだら――――蹴りの対策で抱き締められた。

 確かに蹴れないけどさぁ……!

「は、離し……むぐっ!」

 力強い。思いっきり抱き締められた。

 顔を横に向けて、呼吸を確保。私の手はもう離されているけれど、創を押し返そうとしていなかった。

「言わないで……」

 胸の奥が痛くて、涙が出た。

「なんでだよ」

「諦めたくなくなっちゃう……から……」

「はぁ……でも悪い」

 創は、抱き締めた手を離す。ようやく見えた創の顔は、凄く赤かった。


「俺、お前のこと好きだよ。ずっと前から、大好きだった」


 止まらない涙が、制服を濡らす。

 言わないで欲しかったその言葉が、嬉しすぎて。どうしようもなかった。

「言わないでって、言ったじゃん……!」

「悪い」

「謝るんなら最初から言わないでよ……!」

「申し訳ない」

「なんで……なんで言っちゃうのぉ……」

 胸が痛い。キリキリと喉の奥が痛む。

 涙が熱くて、夕日が眩しくて、もう何がなんだか分からなかった。

 ――カチッ……キィン――。

 涙と顔の熱さに負けない熱が、胸ポケットから発せられる。

 もうすぐ、時計が止まる。

 針が逆回転に進む、残り時間を刻む懐中時計が、あと一分で十二時を指す。

 かけられた魔法は、十二時で終わる。

「やだ……やだ……!」

 覚悟が揺らぐ。さっきまで受け入れられていた終わりが、近づくのが怖い。

 軽くパニックに陥る私を――創がもう一度優しく抱き締めてくれた。

「一緒にいるから……落ち着け……」

「でも……!」

「あ! 俺、結局お前に何も奢ってもらえねぇじゃん!」

 大声。わざとらしいそれは、どう見ても演技だったけれど、いつもの創だった。

 そういえば、そんなことを言った。プリントを多くやってもらったお礼。

 ほんの少しだけ、恐怖が遠のく。

 そうだ、そうだった。いつも通りのままでいようって、決めたんだった。

「ふふ……残念。今からじゃ間に合いませんな」

「く……逃げやがって」

「逃げるが勝ちよん」

 声が震えた。それでも、精一杯に笑う。最後くらい、笑ってやる。

「まぁまぁ、しかたないのでお礼をしてあげましょう」

「ほう。何をしてくれるのか」

「目をつむりたまえ」

「……おう」

 言われたとおりに創は目を閉じる。素直でよろしい。

 では――――バシッ!

「いってぇ!」

 ビンタである。

「言わないでって言ったのに、言った仕返しね」

「嘘だろ……」

「それで……」

 服を引っ張る。顔が私に近づく。

 私からも顔を近づけて――触れるだけの、軽いキスをしてみた。

「こっちは私からの気持ちです」

「……行動だけかよ。言葉は?」

「キスだけじゃ足りない? 欲しがりさんめ」

「最後までアホだなお前……」

「創もねー」

 秒針の音は止まらない。でも、さっきほどの恐怖は無くなっていた。

「もう一回抱き締めて欲しいなぁ」

「へいへい」

 抱き締められる。優しくて、あったかかった。

 涙が溢れる。創の温もりに、もっと触れていたかった。

 私が願っても、秒針は止まらない。もうすぐ、止まる。

 創が、私の指で涙を拭う。

 ――ぺち。

 不器用に指を鳴らす音が聞こえた。

「へたくそ」

「みたいだな」

 笑い合う。

 チッ……チッ……キチチ…………。

 時計が止まる。

 瞬間、身体から重さが消失した。綿毛のように私の身体が解け、宙に舞う。

「大好きだぞ」

 最後の言葉、素直な気持ちを、最後に返そう。

「うん。ありがとう」


 ――私も、大好きです。


 言葉と一緒に、私は夕日の中に溶けていく。

 こうして、私の最後は割と幸せに終わった。

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