絵を描く女

 その女は、ひどく美しかった。

 窓のそばにイーゼルを置き、油絵を描く女。

 肩までの栗色をした髪が窓から入り込んだ風に踊らされても、外を走る車に反射した太陽光が目元を掠めても、手に持った筆を狂いなく操っていくその風貌は、彼女自身が絵画のようであった。

 油絵の具特有のツンとした匂いが部屋に充満している。

 この世界に、この空気はいったいどれほどあるだろう。

 空気の匂いが違い、目の前の女は目をみはるほど美しく絵を描いているこの空間は、まるで外界と隔離されてしまったかのように現実味がなかった。

 窓から飛び込んでくる音もどこか遠く、室内には妙な静寂がある。それは秒針の音が聞こえそうなほどで、意識すると自分の呼吸音さえ喧しく思えた。

 女は、緑を画板に塗る。

 描き初めの絵はまだ何を描こうとしているのかもわからないが、彼女の脳内には既に完成した絵が存在しているのだろう。

 それを、自分の手を使い、この世に引きずり出す作業。絵を描くとはそういうものだと、彼女自身がいつだったか言っていたことを思い出す。

 技法も、道具も、知識も、技術も、全ては頭の中の光景を外に引き摺り出すために生み出されたものであり、絵を描くというのは、絵を生み出す手段であるのだと。

 見ると、彼女の頬には薄く青い色が乗っていた。

 油と顔料を混ぜる時に付いたものなのか、描いている最中についたものなのかは分からないが、背筋を伸ばして絵を描く女の肌は白く、その青が妙に目に付く。まるで描き始める前のキャンパスに一点の汚れが付いているかのような、コーヒー豆にピーナッツが混ざっているような、とにかく目に付くその青は、何故だろう。彼女の美しさをより一層際立たせていた。

 女の持つ筆が、画板を滑る。

 我が子を慈しむような優しさで触れられた筆先が、一筋の線を世界に生み出す。

 女の筆はゆっくりと丁寧に動き、時折走り去る風のようにぴゅうと画板を滑る。

 歩き、走り、絵はどんどん完成へと近付いていく。

 どれだけの時間が経っただろうか。静かであるが、激しさを同時に感じるような長い長い時間が過ぎ、彼女の筆は止まった。

 画板には、彼女の脳内にのみ存在していた光景が、はっきりと映し出されている。

 彼女は満足そうに頷き、イーゼルからその絵を外すと、別の場所に設置してある乾燥用のイーゼルへとその絵を移動させた。

 女は、ひどく美しい。

 世界は女の美しさを理解しようとしないが、女は確かに美しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます