さかしま

 ぼくはあいつを許さない!

 暗い森の中で、息を潜めて拳を握る。

 夜露で湿った腐葉土から立ち上っているぬめりけのある空気は、ぼくの気管を気味悪く撫で付けていた。ナメクジでも口にしているかのような土の香りを胸いっぱいに溜め込み、ぼくは吐きそうになる身体を必死に押さえつけている。

 身を潜める場所から数メートル先。

 あの場所で、ぼくの大切な人が殺された。

 自慢だと言っていた亜麻色の細い髪を見る影も無いほど血で濡らし、

 笑うとえくぼの出来る頰から白い歯が覗くほどの大穴を空けられ、

 毎日化粧水と乳液を欠かさなかった柔肌に打撲の痣を付けられ、

 眼球をゼリーと間違えているかのようにスプーンで抉り取り、

 健康的な太さをした太腿にいくつもの浅い切り傷を走らせ、

 痛みを増やすためなのか凶器は全てが錆びた鉄製を使い、

 白魚のように美しかった指はあらぬ方向を指していて、

 指の内数本はそもそも根元から無くなっている上に、

 切り離した指を無理矢理に口の中に詰め込まれて、

 注射器で虫の体液を体の中に流し込まれた挙句、

 そのまま自分の血を吸い出されてしまったが、

 泣き叫びたくとも声帯は切り取られていて、

 逃げ出すための足は健が切られて動かず、

 もはや抵抗する意思すらも無い彼女は、

 最後は死を懇願するような絶望の中、

 誰にも気付かれず無残に殺された。

 だからぼくはあいつを許さない。

 そして、あの時動けなかった自分もまた同様に、許せない。

 遠くから深い穴の底に埋められていく彼女を見ていることしか出来なかった自分が許せない。

 犯罪心理として、犯人は現場に戻ることが多々あるという。

 犯罪が露呈していないか確かめるためや、自分がやったことを再認識して恍惚に浸るためなど、理由は様々だが、犯人は現場に戻るという。

 故に、ぼくは今日もここにいる。

 あいつを捕まえるためにここにいる。

 そうして、犯人に教えてやるのだ。

 彼女が土をかけられている時にどんな目をしていたかを!

 彼女が埋められていく時に、どれほどの絶望でその顔を塗り潰していたかを!

 絶対に、あいつに教えてやる。

 同じ痛みを叩きつけてやる。

 生い茂る木々の葉の隙間を抜い、月明かりが地面に届く。

 彼女が埋められた地面に、ぼくは花が咲いているのを見つけた。

 ぼくは溜まらず涙を溢れさせながら、その花に駆け寄った。

 彼女が埋められてから、いつの間にか花が芽吹くほどの時間が経っていたのか。

 彼女が殺されたのは、まるで昨日のことのようなのに。

 大きくて赤い花弁の花。夜露を受け止めた柔らかい花弁が、ぼくを見ている気がした。

 この花は、彼女の血を吸ったのだろうか。

 この花は、彼女の無念を食っただろうか。

 そっと、花弁を一枚毟る。

 躊躇なく口に入れ、優しく食んだ。

 口の中で千切れる花弁は、少し塩気があり、とても……甘い。

 もし彼女がこの花の一部となっているのなら、ぼくの中で生きてくれればと願った。

 ぼくの中で彼女の苦しさが生き続けるのなら、ぼくは必ずあいつを追い続けるから。

 絶対に、許さない。

 絶対に、絶対に――。

 そういえば、今更だけれど。

 深い穴の底で土をかけられていく彼女の姿を、

 真上からじゃ無いと見えないはずの穴の底を、

 どうして、

 ぼくは、

 知っているのだろう?

 う、だろ? か、あ?


 ◆ ◆ ◆


 ぼくはあいつを許さない!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます