景色飴

 仕事の都合でこの街に引っ越してきて、三ヶ月が経った。

 仕事場と自宅の往復を繰り返す俺の視界には、いつもその駄菓子屋が目に入る。

 雨風に晒されて、もはや風情があるほど古ぼけた看板には妙に丸い字で『ちゃもや』と書かれており、ガラスの嵌められた引き戸の先には沢山の駄菓子が並べられている。

 俺はきっと疲れていたんだろう。仕事場と自宅の往復だけの生活に。変化のない生活に、新しい風景を求めたのだ。

 いつも視界の端にだけ捉えていたちゃもやの店先で立ち止まり、古くなって動かしにくい扉に一瞬戸惑いながらも中に入ると、レジカウンターから妙齢の女性が出迎えてくれる。

「いらっしゃい。ゆっくりしておいきなさいな」

 こういった店では店番は高齢の方だと勝手に決め付けていたが、そうでもないらしい。軽く会釈だけして、店内を回る。

 店内には裸電球が一つ吊るされているだけで薄暗いが、ガラス戸から差し込む日差しのおかげで不気味さはなく、むしろどこか牧歌的な雰囲気でさえあった。店内を見回すと、お菓子の他にもおもちゃや謎のカードも売っている。ワクワクしながら店内をうろつくと、見たことのある駄菓子だけじゃなく、初めて見る駄菓子が出迎えてくれる。物によっては食べ方さえ分からないものもあって、俺は童心をくすぐられた。

 気になった物を数個手に取り、レジカウンだーでのんびりしている女性に声を掛ける。

「あの、駄菓子屋に来るのが実は初めてで。何かお勧めのものとかってありますか?」

「うーん。そうだねぇ」女性は唇に指を当てて考える。「景色飴なんてどうかな」

「けしきあめ?」

「こっちにあるよ」

 女性に手招かれ、俺はカウンターに近付く。彼女はカウンター下から拳大の大きさをした、木製の飾り気のない箱を取り出すと、大切そうに蓋を開けた。中には、透明なビー玉みたいな飴玉が雲のような棉の上に四つ並んでいる。

「一個はサービス。美味しかったら買っていくといいよ」

 女性は箱を俺の方に差し出した。「取っていいよ」と言われたので、手に持った駄菓子をカウンターに置いて一つ指で摘んで見てみると、それは無色透明で匂いも無く、ただのビー玉にしか見えなかったが、指先の体温でほんの少し溶けたので、やはり飴玉なのだろう。

 ニコニコと促す女性の視線を受け、口の中に放り込む。

 瞬間、内側から鼻を思いっきり針で刺したような痛みが襲ってきた。堪らず吐き出すと、女性はケラケラと笑いだした。

「わさびは苦手だったかい?」

「勘弁してくださいよ……」

 わさび特有の鼻の痛みで、目尻に涙が滲む。指で拭おうとしたら、「待って待って」と女性に止められる。再度手招きする女性に訳も分からず近付くと、彼女は箱の中の棉を少し千切って、俺の涙を吸わせた。その棉は、元の位置に戻される。

「うん。これでよし」

 女性は蓋を閉めて、箱を逆さにした。カウンターに置いてあった小さな砂時計も逆さにする。

「何をしているんですか?」

「景色飴を作っているんだよ」

「さっきの飴は?」

「あれは涙を流させるためだけの、ただの悪戯。涙が必要だからね」

 訝しげに箱に視線をやると、女性はニヤニヤと俺に言う。

「気になるかい?」

「それはまぁ」

「もうちょっとだけ待ちな。もうすぐだから」

 女性はそう言って砂時計を見る。すでに三分の二ほどが落ちていた。

 しばしの無言。女性からティッシュを一枚もらい、吐き出してしまったわさび飴を拾う。

 砂が落ちきる。

「うん。完成だ」

 女性は逆さにした箱の底板を開ける。さっきの上側の蓋を開けた時に並んでいた無色透明な飴はどれを選んでもわさび味だったんだろうな、なんてことを思いながら中を見ると、そこには三つ、奇妙な飴があった。

「綺麗だねぇ」

 一つは橙色で丸い。一つは緑色で四角。もう一つは深い藍色で、加工前の宝石のようなゴツゴツとした形をしている。しかし、形はどうでもいい。俺はその飴の美しさに息を飲んでいた。

 さっきの無色透明な飴玉とは違って、橙色が、緑色が、藍色が、まるでコーヒーに入れた直後のミルクのように、飴玉の中で揺らめいている。

「舐めてごらん?」

 恐る恐る、橙色の飴玉を摘む。なんだか、簡単に壊れてしまいそうな儚さがあった。

 その美しさを眺めていると、急激な懐かしさに襲われる。

 口の中に、そっと飴玉を入れる。

 みかんの味がした。舌で転がすと歯にカツンと当たる。


 暗転。


 窓の外では、しんしんと雪が降り積もっていく。脚を入れたこたつの上にはみかんが置いてあって、対面に座りテレビのバラエティを見る妹が声を出して笑っていた。

 景色は自分の意思とは関係なく進む。みかんを剥いていく自分の手はとても小さく、自分が成長したことをぼんやりと実感する。

 暖かい部屋で微睡んでいると、母さんが雑煮を運んで来てくれた。

 音は無い。なんと言われたか記憶にも無い。だけど、口の動きで分かる。こういう時、母さんはいつも言っていた。『ほら、手伝って』と。

 寒いからこたつから出たくないとボヤく妹を母さんが小突いたのを見て、俺は剥きかけのみかんを置いて台所へ行く。食器を運ぶ。

 なんの音も聞こえないのに、いろんな音が聞こえてくるような感覚があった。まさに夢を見ているようで、心地よくて、このままこの景色をずっと見ていたくなる。

 夢のような感覚の中で、口の中の飴玉だけ妙に現実感があるが、飴玉は急速に小さくなっていく。


 暗転。


 昼寝の夢から覚めたように、気付いたら俺の見る景色は駄菓子屋に戻っていた。

「おかえり」

 ハッキリとしない意識のまま、女性に「ただいま……」と答える。

 口の中に残るみかんの後味だけが、今起きたことを夢では無いと告げる。

 尚も現実に戻りきれないでいる俺に、女性は嬉しそうな表情を見せる。まるで映画を観た後みたいな感覚だ。自分の手を見ると、あの幼かった小ささではなくなっている。

「景色飴はね、ほとんどが光でできているから溶けるのが早いんだ。君の目が吸い込んだ光を、涙と一緒に流させて、飴玉に吸わせて作るの」

 ボーッとしたまま、女性の言葉に意識を傾ける。

 彼女は残った二つの景色飴を見ながら、コロコロと無邪気に笑っていた。俺がまだ放心しているので、彼女は独り言のように喋る。

「この緑はなんだろうね。スイカかな。メロンかな。緑がメインってことは、芝とか、森とか、夏の思い出なのかな。こっちはなんだろうね。不思議な形になってる。うーん。色的には海? それとも深夜の空の色なのかも。楽しみだね」

 徐々に手足の感覚が戻ってくる。自分がいる場所を思い出す。

 寝惚けているような感覚が薄れ、目が覚める。

 それを察した女性は、にこやかに告げる。

「買っていく? あくまで景色飴は景色だから、もしかしたらもう思い出したく無い光景が見えてしまうかもしれないけれど」

「でも、それは俺が見て来た景色なんですよね?」

 女性は微笑んだまま首肯する。

「なら、買います」

「まいどあり」

 女性は木箱の蓋を閉め、お会計を始める。

 カウンターに置いてあった駄菓子と、不思議な不思議な飴玉の入った木箱を袋に入れる。

「また来てよ。明日もいるから」

「はい」

 会計を終えて店を出る時、女性は悪戯好きな子供みたいに笑って言う。

「ちゃんとぜーんぶ食べてね」

 家に帰って木箱を開けたら、景色飴が二つと、わさび味の飴が三つ入っていた。

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